ここから
なし崩し的に師弟関係になったヴァンスとバルパは、ヴァンスが秘蔵していた瞬間移動の魔法の巻物を使ってリンプフェルトの街へと戻った。そして未だミーナがいるであろう祝福の宿り木亭へと向かう最中、バルパはここに来るまでの大体の話をした。自分が魔物であることと、翡翠の迷宮に来る前に何をしていたかということは黙っていたが、そこについて突っ込まれることはなかった。
「なるほど、要はお前が見られたらマズいって奴が居て、それを見られたお前の仲間が攻撃しちまって、そのことを隠すために四人ばかり殺したってことだな?」
「……ああ、概ねそれで合っている」
「そっか、ならなんとかなんだろ」
「……そうなのか?」
「ああ、少なくとも殺しの方はだがな。お前の正体の方は……ちょっと考えとく、まぁ最悪俺の弟子ってだけで強引に押し通すから安心しとけ」
「……それは本当に安心できるのか?」
「最強の俺の弟子なんだ、世界中のどこより安心だろう」
「なるほど、確かに」
そこは普通そんな訳あるかと怒る場面なのだが、元は強さを何よりも尊ぶ魔物の精神性を持っているバルパにはヴァンスの言っていることは至極正しいことに思えた。かなり普通とは違う考え方のバルパを納得させてしまうのだから、ヴァンスもまたかなり特殊な人間なのである。
「っと、迎えが来てやがるな」
「ん……ああ、『紅』の四人か」
「おう、じゃまあ俺はとりあえず戻るから……後は上手くやっとけよ? 明日迎えに来てたときに酷いことになってたらつまんねぇからな」
「……ああ」
少しだけ歯切れの悪い口調でバルパがそう言い、二人は宿の手前で別れた。
宿へ入り、受け付けに声をかけてから階段を上る。その行動の一つ一つがどうにも億劫で、体が重くなったような気がしていた。
何を言おう、何と声をかければ良いだろう。
謝るべきだろうか、まだ何も起きてはいないのだから謝るのはおかしいのだろうか。
色々な事を頭の中に浮かべながら歩き、そしてミーナのいる部屋のドアを叩いた。
「…………バルパ」
「入るぞ」
「……うん」
それ以上は何も言わず部屋に入る。ドアを閉め魔力感知を発動させ近くに脅威になるような存在がいないことを確認してから彼女に向き直る。
人間の顔の違いは良くわからないバルパにも、彼女の顔がいつもと違っているということはわかった。いつもはパッチリと開かれている目はしょぼしょぼと小さくなっていて充血が酷い。まるで魔力切れでも起こしたかのように体調が悪そうで、今や普段の可愛らしさはどこかへ行ってしまっている。
「その……ごめんっ‼」
彼女がバルパより一回り小さいからだを縮こまらせながら膝を地面につけ、頭を地べたにくっつけた。
「あの、私、その、何にも言わないつもりだったんだけどっ……」
「ああ」
「アラドさんが来て、気が付けば全部話しちゃってて、そんで気が付けばどうしてかSランク冒険者の人まで来て。それで私、バルパが死んじゃうかもしれないって、だからっ……」
途切れ途切れで支離滅裂な言葉の数々を咀嚼しながら理解に努めるバルパ。
どうやら彼女は何も言わずに出ていこうとする自分をそれでも送り出そうとしていたこと、そしてこれから一人になり心細い毎日が始まると思ったときにアラドさんが来て、ついポロっと二人の事情の一端を話してしまったこと。そうしたらあれよあれよといううちに事態は進み、どうしてかSランク冒険者のヴァンスとバルパが戦うような流れになってしまったということ。
彼女の話を聞いてバルパは感じていた、悪いのは彼女ではなく自分の方なのだと。この世界には死というものがありふれている、スウィフトとヴァンスが再会した先ほどの出来事を思い出したバルパは今それをよりいっそう肌身に感じていた。
もしミーナが死んで、彼女に二度と会えなくなると思うと自分は寂しくなるだろう。もう二度とあのうるさい声が聞けなくなるのかと思うと淋しさを感じることだろう。そしてそれは多分、ミーナがこちらに感じている思いと同じなのだ。
死んだら終わり、だから生き残る。それこそが最優先事項ではあることは今でも変わらない。だが今は、それだけではないということを知っている。ただ身の安全を守るという一点だけに頑なになる必要などないのだと自分は師匠に教えてもらったのだ。
強くなるのだ。殺されないように、そして誰かを守ることが出来るように。そうすれば全てどうにかなる。人間の強さの一端は、もしかしたらこんな風に誰かのために強くなりたいと思う気持ちにあるのかもしれない。
「……」
目の前でミーナが謝りながら泣いている、自分のせいでバルパが面倒に巻き込まれてしまったと涙を流している。彼女は別れたくないと駄々をこねたりしなかった、そして今ミーナは自分のことを思うがために泣いている。だがそれだけでは少し悲しい、バルパはそう思った。自分はもう決めたのだ。身の安全も、命も、そして笑顔も、ミーナの全てを守ろうと。そもそも突き放しきれずに彼女を危険に曝しているのは自分なのだから守って当然だ。
そのための力を得るためのチャンスは得た、明日からはきっとヴァンスと一緒に戦うことになるのだろう。自分は彼の弟子になったのだから。だが明日のことは明日考えれば良い。今考えるべきは、目の前にいる彼女のことだ。
バルパは俯いている彼女の頭をポンポンと叩いた。
「もう大丈夫だ、心配しなくて良い」
バルパは聞き役から話す役へと立場を変え、さっきまで自分の身に起こった話をしてやることにした。
ヴァンスと戦い、一矢は報いたが力及ばず破れたこと。そして別れずに死ぬよりも別れて生きた方が良いと言ったバルパの意見を一笑に付され、別れずに死ななければ万事解決だと言われたこと。そして自分はそれだけの、無理を通して道理を引っ込められるだけの力を手に入れるため、今日からヴァンスの弟子となったこと。
勇者の話だけはしないでおいた。これはミーナを信じていないからというわけではなく、彼女に今以上の迷惑をかけてしまわないための措置だった。
もし自分が勇者を殺したことを伝えることがあるとしたら、その時はきっと自らを襲う世界の荒波を乗りこなし叩き斬るだけの力を手に入れた時になるだろう。
「だから問題ない、俺が守る。俺の命も、お前の全ても」
「ば…………バルパッ……」
彼女はまだ泣いたままだ、だがその泣き顔は先ほどのように悲しさを湛えたものではない。
それは彼が好ましく思っている、彼女のくしゃりとしわだらけになる笑顔だった。だから今の涙はきっと、悲しい涙ではなく喜びの涙だ。
「バルパぁ~~」
上級鑑定を弾く潮騒静夜にぐりぐりと鼻水を押し当てながらミーナが顔を擦っている。
バルパは彼女が落ち着くまで、そっと頭を撫でてやっていた。




