意志を継ぐもの
「指先を動かせば殺す、攻撃の兆候があれば殺す、魔力を使おうとしたら殺す、俺の質問に答えなければ殺す。もちろんお前だけじゃない、ミーナも殺す」
「……随分な言い草だ……ぐぅっ⁉」
馬乗りになってのしかかられているバルパは、両腕を膝で押し込まれる形で地面に背中をつけている。ヴァンスはそのバルパの右腕の関節を強引に曲げ脱臼させてから、人差し指の骨を本来曲がってはいけない方向にねじ曲げた。バキッという乾いた音とポキリと小気味の良い音が連続して届き、バルパは裂傷とはまた違った種類の痛みに顔を歪める。
「俺の許可なく喋るな、次はない」
ヴァンスが自分を見つめるその瞳には、色がない。黒い瞳の中に何が潜んでいるのか、バルパにはわからなかった。
バルパは知らなかった。ヴァンスとスウィフトが時に同じ釜の飯を食らい、時に命のやり取りをするような特別な関係であることを。普段の思考能力が戻ってきていたのならば目の前の強者がこの世界で相応の地位にいることを理解し自らが差し出す道具はしっかりと吟味していただろう。だが今の彼は二度ほど魔力枯渇になり、全身には治ったばかりの切り傷の痕が熱を持っている状態だ。満身創痍な今の彼は無限収納の中から武器と念じ短剣を取り出した。そして結果として、彼にとって思い入れの深いとある短剣が出たのだ。
冥王パティルの短剣、それは勇者スウィフトが戦利品として持ち帰ったとして有名な魔法の品である。
「その剣は冥王の短剣だな?」
「その冥王がパティルという名前なのであれば、その通りだ」
「その剣には本来の持ち主がいたはずだな?」
「ああ」
「どうしてお前がそれを持っている?」
「譲り受けたからだ」
「どこで、どうやって、誰から譲り受けた?」
ヴァンスの声が、少しだけ震えているのがわかった。バルパはもう一度ヴァンスの瞳を覗きこむ。先ほどまでは隠れていたなにかが、今度はしっかりと顔を出していた。不安と疑念と喜びと悲しみがぐちゃぐちゃに混じり合った複雑な顔、人間にしか浮かべられないであろう顔が自分の上にある。
どう答えれば自分は間違えずに済むだろうか、そしてどう答えるのが一番ヴァンスを傷つけない結果になるのだろうか。少し考えてからバルパは呟いた。
「場所は翡翠の迷宮第二階層、そこに勇者がいた。だから俺は、勇者を殺した」
「バカ言え、いくら油断してたとしてもお前ではスウィフトはお前なんぞでは殺せん。あれは俺ともタメ張れるくせ油断しない真面目の権化みたいな男だ」
「勇者は既に死にかけていた、俺が殺さずとも遠からず死んでいただろう」
「……なるほど、そういうことか」
ヴァンスが体を上げ、その勢いのままバルパの右腕を踏み抜いた。骨同士が無理矢理継ぎはぎされるような感触と再びの鈍い音を伴い右腕の脱臼が元に戻る。
「そうか……そっか……」
立ち上がり夜空を見上げるヴァンス、だが今のバルパには彼が星空を見ているようには思えなかった。きっと彼は空に浮かぶ勇者スウィフトのことを見ているのかもしれない。人は死ねば空高くにある神の国へ行く、そんなことをミーナが行っていたのを思い出す。
だが少なくともバルパはスウィフトがそんな場所にはいないことを知っている、彼は今も自分の持っている無限収納の中で眠っているのだから。
このことを彼に言うべきだと思う自分もいる一方で、今はまだそれを待つべきだと主張する自分もいた。思い出すのはルルの前で勇者の死体を出したときのこと、そしてあの時の経験は人間という生き物が人間の死体にだけは特別な感情を持つということだ。
話すべきだろうか、黙っておくべきだろうかと考えたとき自らが判断基準とするべきは、やはり自分がどうされたいかというところだろう。
例えばミーナが死んでしまったと仮定する。そして自分がそのまま二度と彼女と会わないという場合と、死体とでもかまわないから再会出来る場合を選択できると考えてみる。その場合自分は一体どちらを選ぶだろうか。決まっている、自分は死体を見たいと思うだろう。死体であってもそれはミーナだ、他の誰でもなくミーナなのだ。それならば彼は自分の思った通りにしようと思った。
なんとなくではあるが、目の前の男がそのことで自分を殺すとは思えないという直感もあった。自分の感覚がそれを後押ししてくれるのなら、最早後顧の憂いはないだろう。
「ヴァンス」
「……なんだ?」
相変わらず空を見上げているヴァンス、空が雲に覆われ星の光に陰りが見えても彼の首は固定されたままだ。
「俺は今、スウィフトの死体を持っている」
「なっ……⁉ 本当か⁉」
「ああ、出せと言われれば出そう。どうした方が良い?」
「見せてくれ、今すぐに」
ヴァンスの目に迷いはない、即断即決を尊しとするこの男に躊躇などというものがあるはずもなかった。
バルパが袋から敷物を取り出し、その上に勇者スウィフトの死体を乗せる。無限収納の中では時間が停滞しているおかげで、その死体には未だ頬の赤みすら残っている。金色の髪は土と汚れでくすみ、その鳶色の瞳は固く閉じられている。
「…………は、はは……」
バルパはそっと後ろに下がった。二人の再会がお互いの望んだ形ではないものであるとはいえ、邪魔をするのは違うと思ったのだ。
「お前…………ホントにスウィフトじゃねぇか。マジで……俺にして結構マジになって探してたんだぜ、お前のこと。星光教で邪教徒認定されたって聞いたときはああ、やっぱりかって思ったよ。お前はよ、本当に底抜けのアホ野郎だな」
静かな口調だ、先ほどまでの激情がまるで幻だったかのような静謐な声がバルパの耳に届く。
「俺は何回も言っただろ、あんな欲深ジジイ共が約束なんぞ守るわけねぇってよ。俺の伝手でもなんでも使ってあの魔力オバケんところで皆で暮らせば良かったんだ」
昔を懐かしむようなその言葉には、皮肉たっぷりなようでどこかいとおしさのようなものを感じさせる不思議な響きがあった。
「最期まで……バカは治らなかったか」
死体にヴァンスが触れた、するとスッとスウィフトの姿が消える。恐らく収納箱にそれをしまったのだろう。
「良いのか? これにいれれば死体が腐らずに済むぞ?」
「はぁ? …………もしかしてお前のそれ、無限収納か?」
「そう聞いている」
「…………プッ」
堪えきれんとばかりに腹を抱えるヴァンス。体をうずくませる彼にバルパは慌てて近付き、どうやらただ笑っているだけらしいとわかり足を止めた。
「ハハッ、やるじゃねぇかスウィフト‼ 青臭いお前もとうとう最後の最後で一枚剥けたか‼ いや、こんな愉快なこたぁねぇぜまったく」
ヴァンスの笑みの理由がバルパには理解できなかった、だがすぐにその疑問は氷解する。
「人間様の救世主、星光教の旗頭様が最後に自分の全てを託したのが魔物だなんて、こんなに面白ぇことはないぜ‼ ざまぁ見さらせクソジジイ‼」
無限収納は持ち主が次の持ち主と認めた物にしか受け継ぐことが出来ない、このことを知る者は少ない。だが幸いなことに、何度か郭を並べたこともあるヴァンスはそれを知っていた。
自らの意志など押さえつけただ一人の女への愛情のために戦い、そして死んでいった男が最後に全てを託したのは彼が今まで何千何万という数を殺し続け、星光教からは等しく魔物として認定されている男。
人間の御旗が魔物に未来を託す、そんなあり得ないことが起こった証拠が今ヴァンスの目の前で自分を見つめている。
スウィフトは一体こいつの中に何を見たのだろう、あいつは一体死に際に何を思ったのだろう。それはヴァンスにはわからなかった、そもそも難しい考えをこねくり回すのは自分には向いていないことを彼は十分に理解している。
だから自分の感覚を信じる。見て、戦って、そんでなんとなく出た答えは大抵の場合正しい。そんな風にちゃらんぽらんなようで、しかしどこか的を得た答えを出すヴァンスはバルパの方へと歩いていき、その頭をガシガシと撫でた。
「安心しとけ、俺の収納箱も無限収納とまではいかなくともほぼほぼそれに近い能力はある。下手にお前に預けてると後が怖ぇからな」
最初は思い付きで適当に言っただけだったのだが、こうやって色々な事実を知るとバルパを弟子にするという考えは非常に素晴らしいアイデアなように思えた。そうだ、こいつを育てて、あの神殿のカス共に一泡吹かせてやるってのも面白いかもしれん。
考えれば考えるほど先の展望が溢れだし、ついさっきまで停滞と鬱屈の泥の湖に浸っていたのが嘘であったかのようにヴァンスの視界がクリアになる。
俺が楽しい、そりゃあつまり世界も楽しんでくれてるってことだ。なら正しい、このガキの面倒を見てやるってことは。
スウィフトが認めた奴が俺の弟子というのも悪くない。アイツの意志を継ぐにもそうでないにしても、今のバルパでは明らかに力量不足だろう。
今なら丁度兄弟子もいる、それなら二人まとめてしごき倒してやるか。
ニヤリと笑うヴァンス、内心で彼が何を考えているか知る由もないバルパは、これから自らの師匠になる人が笑顔になってくれて良かったと少しだけ晴れやかな気分になっていた。
勇者の意志は、確かに今在る人へと伝わった。その事が意味を持つようになるのは、もう少しだけ先の話。




