急転直下
果たして倒せたのだろうか、という疑問は出てこなかった。そんなことは自分の視線の先で広がるものを見てしまえば理解できる。
「いってー‼ 痛っ、痛っ‼ マジで刺さった、やべぇこれ‼」
ヴァンスは腹に刺さっていたボロ剣を抜いた、かなり奥まで突き立っていたようで剣を抜き取ると同時音を立てて血が流れ出す。
「あー、いてー、いてーよ、やべー」
彼は腹からビシャビシャと滝のように流れる血と、足元に広がる血の海を作り出したボロ剣を見て笑っていた。バルパにはそれがなんの笑いなのか理解できない、痛くて笑うなどということがあるのだなとどこかぼやけた意識の中でまた新たな事実を学んだ。
足元の血溜まりを踏みながらヴァンスがこちらへ歩いてくる、せめて魔力回復ポーションを取り出せないかと右手を動かそうとするが、感覚がかなり鈍っているせいで袋に触れると同時に自らの顔を見下ろすヴァンスと目が合った。その顔には先ほど戦っていた時のようなこちらを侮っていたような笑みや飛来する攻撃を捌いていたときの真剣な顔はどこにもない。そこには人好きしそうなにこやかな笑みがあった。
「バルパ、お前すげぇよ。うん」
何に納得しているのかうんうんと一人で頷くヴァンスは、首を上下に動かす度に間欠泉のように噴き出す血を見て自分が傷を負っていることを思い出したようだ。腰に提げている収納箱に触れると、緑色の塗り薬を取り出して患部に塗り始める。
「ちょっと武器に使われてるところはあっけどよ、そんだけの若さにしては上等だろ」
「……俺は自分の年齢を行ったつもりはないが」
「お前が見た目通りの年齢してないことはわかってるから隠さんで良いぞ……っと、魔力切れか。ちょい待ってろ、たしかスース特製の魔力回復丸が……っと、あったあった。ほれ、顔上げろ」
バルパの口の中に何かが放り込まれた、もぐもぐと噛むと口いっぱいに苦みとえぐみが広がる。ううっと思わず体を震わせ、そして自分が既にある程度動けるように気付いた。
そのまま立ち上がり、ヴァンスの方を見つめる。
バルパはこの男は一体なんなのだろうと首をかしげた。いきなり出会い頭に転移の魔法を使われ、かと思ったら殺されかけ、必死の思いで一撃を当てれば笑顔で血を噴き出しながら自分のことを回復させてくれる。自分がやられたことを頭の中で並べてみても、バルパの謎はよりいっそう深まるばかりだった。
「あぁ、良いねぇ切り傷っつうのは。生きてるって感じがする」
「……お前は俺を殺さないのか?」
「殺されたいのか?」
「……いや」
そんな質問をぶつけられて殺されたいというやつがあるかと言いたくなったが、自分は目の前の男に負けあまつさえ情けをかけてもらっているという現状を鑑みて口をつぐんだ。
「あぁ、いやまぁ俺もちょっとはっちゃけすぎたところがあんだよな。いやぁすまんすまん、危うく殺すところだった」
物騒すぎる言い訳を聞いても何がなにやらわからない。ただこうやって一応戦闘が終息し、彼はヴァンスがミーナのことを話していたのを思い出した。
「ミーナは……」
「あ? ……ああそうそう、俺ってばミーナちゃんのためにお前と戦いに来たんだった。……忘れてた訳じゃないぞ? ホントだぞ?」
「ミーナはやはり、気付いていたんだな」
「当たり前だろお前、女の子の察しの良さは尋常じゃないんだぞ」
やはりミーナは、自分が彼女と別れるつもりであることに気付いていたのだ。だがバルパにはそのことと目の前のヴァンスとが上手く繋がらなかった。聞いてみるとヴァンスはあのアラドの師匠らしいと知り、恐らくはアラド経由で彼に話が伝わったのだろうと推察出来た。
「そうそう、そもそも俺はお前に言ってやりたいことがあって会いに来たんだよ。ようやく思い出せた」
ポンと左手で作った拳骨で右の手のひらを叩く動作をするヴァンス。
「お前さ、頭良いバカだろ?」
頭が良いということはバカではないということだ、そう返すとヴァンスはそういうことを言うやつは頭の良いバカの典型だと笑った。その言葉には自分をバカにしている色がありバルパは少しだけむっとする。
「バルパ、お前自分のせいでミーナちゃんに迷惑かけたくないから、もし自分のせいで彼女が酷い目にあったらって思ってあの子のもとを去ろうとしたんだろ?」
「……そうだ。もしそのせいで今ミーナが傷ついたり悲しんでいるとしても、生きていることの方が大事だ」
「バカ、はいバカ。もう完全にバカ。頭固すぎ、ガリ勉の典型例」
バカと言われて気分が良くなる者などいない、バルパは自分がなんでバカだと言われているのだろうと不思議に思った。別れるのが正しい選択だ、そうすれば生きていられる可能性がグンと増す。生きていることに勝るものなどない。日々死に追われていたバルパにはなぜ自分が間違っていると言われているのかがわからない。
「良いか、お前は今ミーナちゃんを悲しませてんの‼ んで、彼女がお前のこと頼ってるって知ってる上で突き話そうとしてるわけ。で、お前の言い分としては自分が居たら危険な目に遭う、だから別れるって感じだろ。合ってるか?」
「ああ」
「それが違う、その前提が違う。別れようという考え方がバカの極み。お前ホントに男か?」
「……何が言いたい?」
バルパは真っ直ぐにヴァンスの方を見つめた。先ほどから黙って聞いていれば目の前のヴァンスという男はこちらをバカにするばかり。それでいてこちらを否定して悦に浸っている。最良の結果を否定するという無意味なことをなぜ自分をバカにしながらするのか。彼の脳内は疑問符とやり場のない怒りでいっぱいだった。
「簡単な話だ。お前が守れよ、何がなんでも守れ。それで全部解決だろうが」
ヴァンスの瞳の色は澄んでいて、そこに嘘や雑念のようなものはない。彼が本心からそれを言っているとわかり、バルパは嘆息する。
「そんな簡単な話ではない。守るのなど最初から不可能なんだ。人間は数が多い、結束が強い。倒しても倒しても終わりはこない。そして一度その輪の中に入ってしまえば、ミーナは二度と抜け出せなくなってしまうだろう。そして最後には、不遇の死が彼女を待ち受けることになってしまう」
「違うな、守るんだよ。絶対に死なせないんだ。何がなんでも守り抜きゃ良いんだよ」
「そんなことは不可能だ、そもそも……」
「だぁっ‼ うっせぇ黙れ‼」
ヴァンスが中腰になりながら話を聞いていたバルパの尻を思いきり蹴り飛ばした。ゴンと鈍い音が鳴り思いきり前へと吹っ飛ぶ。弧を描いて木に激突しようとするバルパを押さえたのは、自分を蹴り飛ばしたヴァンスの腕だった。
「お前が死ぬほど頑張って強くなりゃあ済む話だろうが‼ ミーナちゃんの笑顔も、安全も、全部お前が守れるくらい強くなりゃあ良いんだ‼」
怒ったようにがなりたてるヴァンス、彼の言葉にバルパは目から鱗が出る思いだった。
彼は命が最も重要だと感じていた、ダンジョンにおいては命を大事にすることが最も重要だったから。生きてさえいればなんとかなる、だからこそバルパは死に物狂いで生にしがみついて生き長らえて来たのだ。
だが人間というものは、感情を持つ生き物というものは命以外の大切な何かを持っているということをバルパはここ数日の生活で実感していた。
笑いかけてもらえばなんとなく嬉しい気分になるし、悲しい顔をされれば悲しくなる。
ただ命だけではなく、ミーナのありとあらゆるの全てを守れとヴァンスは言っているのだ。命も、笑顔も、その安全な生活も、全部ひっくるめた全てを。
だが果たしてそれは強くなる程度でどうにか出来るようなものだろうか? バルパにはそうは思えなかった。それは少なくとも今の自分が少々強くなった程度のことでなんとかなるとは思えない。そんなバルパの顔を見てヴァンスが笑う。
「まぁお前は最強無敵の俺様から比べれば悲しくなるほど弱いわけだが……ずっと弱いままでいなくちゃいかんなんていう道理はない。強くなれ、強くなるんだ。自分を潰そうとする奴等を全員捩じ伏せてやれば全部良い感じに収まる。あ、ちなみにこれは俺の体験談な?」
要はこの男は自分に自分のように強くなれと言っているのだ。傲岸不遜な言い方だが、実際に自分でも全力を出させることすら難しいような人間にならば本当にそれが全てをはね除けるようなことも出来てしまうのだろう。
果たして自分にも同じことが出来るだろうか、そう考えて自分が既にミーナと一緒にいる気になっていることに気付く。可能性を提示されるとすぐにこれとは自分は思ったよりも現金な奴なのかもしれない、バルパは小さく笑みを溢した。
「だが強くなるのは難しいだろう。というわけで俺がお前の師匠になってやる。お前みたいな骨のある亜人がただ人間に潰されるっていうのはつまらんからな」
「……どうして俺が人間ではないと?」
「はぁ? んなもん斬りゃあわかるだろ普通」
普通はわからないだろう、だが彼にとってはそれが普通なのだろう。自分と彼では立っている場所があまりにも違いすぎる。そんな彼に近づくことが出来るのなら、彼を師匠と仰ぐことも悪くないように思える。バルパはその提案を承諾した、もともと拒否権などないのでは? と言われればまぁその通りなのだが。
新たな弟子が生まれたことに気を良くしたのかヴァンスは鼻を大きく膨らませながらふんぞり返った。
「俺が弟子入りさせる時に求めるもんはたった一つだけ。普段使いじゃないもんで一番価値があると思う武具を出せ。受講料がたったのそれっぽっちで世界最強の授業が受けられるなんて滅多にない幸運なんだぞ」
バルパは何を渡せば良いかと考えた。本来ならあのボロ剣を渡すべきなのかもしれないが、あれは自分の生命線なので渡す気はない。彼は悩んだ結果、とある短剣を出し、手に取った。
「よぉし、ようやく決まった……」
ヴァンスの笑顔がその短剣を目にした瞬間に固まった。そして次の瞬間、バルパはヴァンスに押し倒されてしまっていた。
「動くな、動けば殺す」
バルパにはヴァンスの瞳が、自分ではない何かを映しているように見えた。




