刃に願いを 2
「そりゃずっとあんな感じだからさ。最初は怖かった、そんで次は疑った。だけど最後には……そんなことを考えるのも馬鹿らしくなった」
「ああ、それはわかるよ。なんとなくね」
相槌を打つとミーナが笑う。目は赤く腫れていたが、それはとても綺麗な笑みだと彼には思えた。
「それからアイツに魔法を教えて、そんでバルパは一日でそれを覚えちゃって、あの時はショックだったなぁ」
「へぇ、バルパは凄い魔法の才能を持ってるんだね」
「そうだ、バルパは凄いんだ。……うん、ホントにスゴいんだ」
彼女はその笑みを曇らせた、そして息を落ち着けてから今度は辛そうな顔をする。話題が変わる、懐かしむような素晴らしい過去から、彼女を追い詰めている現在へと内容が変わっていく。
「私、バルパが強いってことはわかってたんだ。まぁわかったのはあいつと別れてから色んな冒険者の人ととりあえずパーティーを組んだりしてからなんだけど」
アラドは黙って頷いた、彼もバルパの実力の片鱗は感じ取っている。全力を出しても勝てるかどうかと考えるほどには、彼はバルパのことを評価している。
「でさ、あいつは私が師匠だからって会いに来てくれてさ。そっから私が無理言って一緒に旅することになったんだ。だけどさ……旅してる間も、それから迷宮に籠ってる間もさ、ずっと私はなんにも出来なくて」
ミーナの実力は、そこまで高くはない。実際に戦っている場面を見てきた訳ではなかったが、二人と初めて会ったときの彼女の体勢や、身のこなし、こちらとの接し方からなんとなくの察しはついていた。実際にギルドカードを見たわけではないがEランク、もしくはDランクといったところだろう。
二人の実力差は隔絶している、それはもう絶望的なほどに。
「バルパにはさ、強くならないといけない理由があるんだ」
彼女がふっと顔を横に向けた。
「でもさ、私が無理言って一緒にいてもらってるからさ。だからさ……バルパは全然まともに戦えなくってさ……」
それはそうだろう、彼女の実力に合わせて戦う相手を選んでいるのであれば、そのような戦闘はバルパにとってさして意味をなさないに決まっている。
「でもさ、あいつは文句一つ言わないんだ。優しすぎるから、私のこと全然怒ったりしないんだ。だから甘えちゃったんだ、私。私が私として、ミーナとして生きてる今がとっても楽しくて、その幸せが維持できればそれで良いやって思っちゃってたんだ」
顔を上げ、真っ直ぐアラドを見つめるその顔が歪んだ。その赤い瞳が、じんわりと滲んでいく。
「でもさ……でもさっ、ホントはそれじゃダメだったんだ。私なんかほっといてどっか行けって、笑顔で送ってやらなくちゃいけなかったんだよっ……でもそれが出来なかったから頑張ったんだ。私に出来ることは全部やろうって、私なりに頑張ってダンジョンの探索を頑張ったんだ……」
瞳が水気を増していく。
「で、でもさっ……全然上手くいかなくてさっ……頑張ろう頑張ろうってしても、空回りばっかりでさっ……」
ポロリと滴がこぼれ落ちた。瞳から流れ出した涙は頬を伝い、口の端に溜まる。
「でさ、さっき話しててさ、気付いちゃったんだ。多分ね、バルパはなんにも言わずにどっか行っちゃうんだって。きっとこのままお別れして、もう会えなくなっちゃうんだろうって」
唇が圧迫された白く変色する。彼女は堪えようと目を細め、そして結局さっきよりも涙を流してしまっていた。
「だけど私さ、もうワガママ言うの止めようって。これ以上、バルパに迷惑かけたくなかったからさ……だからなんにも言わないで別れたんだ。最後には自分で稼いだお金でご飯も食べさせられたから……満足だよ、うん」
じゃあどうして今の君は泣いているんだい? アラドの口からそんな言葉が口から出かかったがなんとか堪えた。
ただ話を聞き、頷いているだけの自分の目の前でポロポロと涙をこぼす少女。
アラドはその快活なフリをして、実際は慎ましやかな少女へ手を伸ばそうとして……止めた。
彼女の頭を撫でるのも、彼女を慰めるのも、それをするのは僕じゃない。それが出きるのは、それをしていいのは彼だけだ。
二人には、というかバルパにはまず確実に重たい事情があるのだろう。きっとそれは二人を嫌が応にも別れさせてしまうほどに大きなもので、あんなに元気で人懐こい笑みを浮かべる少女を嘆かせるほどに厳しいものなのだろう。
きっと僕にはどうにも出来ない、アラドはミーナの話を聞いてそう思った。
彼には確固たる自分というものがない。とある経験から自我を持つということの一切を禁止されていた経験を持つ彼は、今も本当の強い気持ちというものがなんなのかはっきりと理解出来ないでいる。
今話を聞いているのも、そして考えているのも、アラドという透明な人間がそれらしいことを言っているだけでしかない。自分に自信がないアラドという男はそう考えている。
そんな彼は、バルパとミーナが別れてしまうことは本当に正しいのだろうかと疑問に思った。別れればミーナは安全に暮らせるようになる、だがそこに彼女の笑顔はあるのだろうか? 別れなければ二人は苦難の道を進み、彼らは道半ばで死んでしまうことになるのだろうか?
(僕には……何が正しいのかわからない)
彼は自分が出ても結果は好転しないであろうことを理解していた。きっと彼らの関係は理詰めの説得だとか、そういうもので解決出来る範疇を超えてしまっている。
(だけど……僕にだって出来ることがあるはずだ)
アラドは二人が二度と会えなくなるのはおかしいと思った。だけどその上手い解決策を自分が出せるとも思ってはいない。だけどこれだけはわかった。きっと今の別れかけの二人を繋ぎ直すのは自分のような潤滑油ではなく、強引に全てを接着させてしまうような豪腕なのだと。
気づけば彼は立ち上がっていた。
「ちょっと待ってて」
「……え?」
「君達二人をなんとか出来る手段がある。僕には無理でも、きっとあの人なら君達に答えをくれるはずだ」
それを聞いてミーナは焦った。心が弱っている所に頼れる先輩冒険者が現れてしまったせいで、気付けば本当にマズい所を除けばかなり色々な話をしてしまった気がする。気持ちが溢れ出してきたせいで言ってはいけないことを言ってしまった気がする。
今、そのせいでバルパに迷惑がかかってしまいそうになっている。一番迷惑をかけたくない相手に、これ以上困らせたくないと思っている彼を自分のせいで面倒に巻き込んでしまう。
「だ……ダメだっ‼」
「僕もそう思うよ、他人の関係性に口を出すなんて、バカのすることだと僕だって思う」
「じゃあ止めてくれっ‼ 私は大丈夫だからっ‼」
「止めた方が良いのかもしれない、だけど僕は……止まる気はない」
「どうしてだよっ‼」
必死に自分を押し止めようとするミーナを見て、これはただのお節介で、むしろ彼らをより面倒なことに巻き込むだけなのではないかと疑念を抱く。だが、それでもと思うのだ。
少女が少なくとも今日出会ったような知り合いに心の中を吐露してしまうほど弱り、男が少女のためを思うばかりに彼女を拒絶しなければいけない。そんなことは間違っていると、そんなことを強要する世界はおかしいと。
だから彼は真っ直ぐとミーナの方を向きながらこう言った。
「ハッピーエンドの可能性があるのなら、それを掴み取りたいと思うからさ」
アラドは自分を抑えようとするミーナの腕をすり抜け夜の街へと繰り出した。
世界の枠組みなんぞ全てぶち壊して自分の答えを押し付けてしまう師匠に、世界の理を力で捩じ伏せてしまう頼れる男に助けを求めるために。




