刃に願いを 1
二回ほどドアのノックをした。ドタドタと部屋の中で動く音が聞こえ、すぐに扉が開かれる。
「はい…………あれ、アラドさん?」
顔を出したミーナの目は赤くなっていたが、不思議なことに涙の跡は見えなかった。もしかしたら事実を認識することを心が拒否しているのかもしれない、だが彼女は今きっと心の中で泣いているはずだ。そしてそれを拭ってやれる人は、世界にたった一人しかいない。
「ちょっと話があるんだ、部屋の中に入れてくれないかな?」
「えっと……今はその、ちょっと」
「そのちょっとの部分の話がしたいんだ、バルパの話をね」
「あ、えっと…………はい、どうぞ……」
反動をつけ扉を大きく開いてくれた彼女の脇を抜け部屋の中に入る。自分も以前泊まっていたからか、その部屋からは懐かしさを感じた。
ローブと杖、それから替えの服がいくつか置いてあるだけで部屋の中は殺風景だ。だがいつ何が起こるかわからない冒険者という職業を選んだのだから、嵩張るようなものがないのは当然のこととも言える。
ベッドがあるだけで椅子はない、女性の部屋のベッドに座るのは流石にどうかと思ったので地べたに座った。地面に寝そべることもあるのだから大して抵抗感はない。
ミーナはベッドの方へ向かおうとしてから、ベッドに腰かければアラドを見下ろす形になってしまうと考えたのか彼の対面に座るように地べたに腰を降ろした。
「……」
「……あー……その……」
「はい」
アラドは何を言うべきかわからなかった、というか何をどうやってどう切り出すべきなのかとか、そういったものが尽く頭から抜け落ちてしまっていた。衝動的に体が動き、気が付けば彼女の背中を追っていたのだ、詳しいプランなど計画していたはずもない。
なので彼はとりあえず自分が思ったまま行動してみることにした。
「バルパと、何かあったんだね?」
「それは……はい、そうです」
自分がベラベラと講釈を垂れるのは間違っていると思った。だからアラドは待った、目の前の少女が自分に話しかけるだけの準備を整える間、じっと待ち続けた。
「あの、バルパの話をする前にちょっとだけ、私の身の上話をしても良いですか?」
「もちろん」
随分としおらしい顔をしているな、と感じた。それに一人称がアタシではなく私に変わっている。もしかしたらこちらが彼女の本性により近いのかもしれない、そう思いながら耳を傾ける。
「私、幼い頃から両親がいなくて。ずっと孤児院でお世話になってたんだ」
孤児院出身の冒険者というものは決して珍しくない。まともに使い物になる人材はほんの一握りだが、命を張りさえすれば金が稼げるのだからその道を志す人は多いのだ。
まともに商家に入り奉公出来るのなんて実際のところ一握りで、街のチンピラや冒険者にならない場合は大抵の場合ほとんどゼロに近い賃金で死ぬまでこき使われる。ミーナもまたそんな風に労働をするだけの人生が嫌で冒険者を志したのだろう。
「大変じゃないとは言えないですけど、色んなことがあった。そのうちのほとんどは嫌なことばっかりだったけど……魔法を使えたことだけは嬉しかった」
魔法を使えるだけの魔力を持つ人間というものはそれほど多くはない。冒険者を見ていると錯覚しそうになるが魔力を全く、あるいはほとんど持たない人間というのがこの世界の大多数なのだ。よるべのない孤児院での生活の中、魔法を使えるようになったことは彼女にとって誇れることなのだろう。
「そう、孤児院の中って言うのは嫌なことばっかりだった。院長先生は身売り紛いの行為をして子供達を身受けさせるし、やる意味なんてない雑用も何度も何度もやらされたんだ。そんな子供達が十人以上いた、誰も彼もやらされることは同じで、本当に自分がいる必要があるんだろうか。ここにいるのは自分じゃなくちゃダメなんだろうかって考えながら不味くてお腹のたまらない食事を必死に噛んで口に入れる毎日」
彼女の手は小さく震えていた。その震えは、一体何に対するものなのだろうか。
「だから頑張って魔法を覚えたんだ。本当に少しの間だけ近くの宿にいた魔法使いの人に頼み込んで、基礎の基礎だけ。魔力があるなんて思ってなくて駄目元で頼んだら、なんと私には魔力があったんだ。驚いた、これで私は他とは違う。孤児院の子供達とは違う一人のミーナになれるんだ、そう思った」
ミーナが上を向いた、何かを堪えるように。
「それから成人して、冒険者になった。だけど丁度この街が稼げる場所になったせいで私は一人でダンジョンの探索依頼を受けざるを得なくなっちゃった」
初心者が碌な先導も受けずに一人でダンジョンに入るなど普通のことではない。ダンジョンは自らを熟知した人間にも、何も知らない者にも平等に接する、戦闘という手段を以て。
「私は魔法が使える、だから大丈夫だと思った。知り合いの冒険者の皆は魔法が使えなくてもなんとかやっていけてる、だから自分ならもっと簡単に出来るはずだって思って。そして翡翠の迷宮に入った」
そこから話した内容は極々在り来たりなものだ。戦闘にまともに魔法を使ったこともない人間が魔力の配分を間違え窮地に陥る。己の力量を正確に把握していないがために命の危機に陥ってしまう。
「またゴブリンの群れと戦うってなって、もう駄目だって思った。でも諦めたくなかった、だから必死になって魔法を使った、でも怪我しちゃって。ゴブリンが攻撃をしてきてああ、このまま死んじゃうのかな……って思った時に、バルパが来てくれたんだ」
この世界は厳しい、辛くて苦しくて嫌なことで溢れている。だがだからこそ、優しさを本当に大切に感じられる。彼の、バルパのことを話すミーナの顔は本当に嬉しそうだった。これから起こるであろう悲劇を見なければいけないという事実から目を逸らしたくなってしまうほどに。
アラドは顔を下げ地面を見つめた、俯いた彼の顔に小さく陰が差す。
そんなアラドの様子に気付いても、ミーナは話すのを止めはしなかった。
そして彼女の話は、彼ら二人が偶然の出会いを果たしたその後へと続いていく……。




