『無限刃』のヴァンス
バルパは四人にミーナの面倒を見て欲しいと頼み込んできた。なんのオブラートにも包まずに発されたその言葉の意味は明白だ。彼はミーナのもとを去ろうとしている、恐らくは彼女に何も言わずに。
彼は覚悟を決めた漢の目をしながら滔々と語った。自分は魔力感知の魔法が使えること、そしてミーナはミルミルやバルパよりもたくさんの魔力を持っているということ。基礎的なことが疎かになっている彼女の指導をしてやって欲しいと金も渡された。彼が取り出したのは聖貨だ、たかが口約束一つに支払うには多すぎると言うのもなまぬるいほどの額だ。一流の冒険者として名を馳せるアラドでさえ聖貨を見たのは初めてだった。金など渡されなくとも適当に働き口を斡旋してやることはしてやるつもりだった、自分のネームバリューを使えば別段面倒がかかることでもない。だがそれだけの大金と、鬼気迫るその顔を見てアラド達は絶対にミーナの魔法を上達させてみせると約束した。
そして転移水晶を使い地上へと戻り、一週間ほど前から滞在している宿へと帰る。
その道中、普段はやかましいツツもあまり口を開かなかった。アラドはこれから二人を襲うであろう別れを思い、そしてリーノとムルムルは明日からミーナにどのように指南するかを考えていた。
アラドは思う、きっとあの二人は別れることが正解なのだと。
バルパは普通ではない、きっと最初に自分が考えていたよりもずっとずっと複雑な事情を抱えているはずだ。そうでもなければ一度ご飯を共にした人間にそうポンポンと聖貨を渡せるものか。どんな理由があるかはわからないし、わからないままの方が良いと思っていた。もし事情を知ってしまえば、自分は力が及ばないなりに二人を繋ぎ止めようと頑張ってしまうかもしれない。そしてそのことが、二人を苦しめてしまうことになるかもしれない。
こういうことは当人同士で決めなければいけないのだ、他人がしゃしゃり出て得られた結果に意味などないのだから。
「……あれは……」
どこかしんみりとした一行は、宿屋のすぐ近くにまでやって来ていた。だがいつもと様子が違う、観察をしてみるとどうやら宿の前で何やら騒ぎが起きているようだった。
「ハッハッハ、近う寄れ近う寄れ‼」
「やーんもうヴァンちゃんのえっちー‼」
「男はみんなスケベなのだ、とーっ‼」
「キャー」
一行が先ほどまでとは違う種類の沈黙に包まれた。
『紅』はダンジョンでの疲れをしっかり癒せるようにと無理をしてかなり高い宿を取るようにしていた。国中に支店を持つ商家の大旦那が逗留するような一流の宿に凄まじくそぐわない声が響いている。色街やスラム街から遠く離れ、それらとは一線を画すこの区域は、少なくとも男の下卑た声と女の嬌声が響き渡るような場所ではない。
そんなことをすれば直ちに衛兵がかけつけしょっぴかれてしまう、故にこのエリアの公序良俗は保たれているはずなのだ。
だからこんな場所であんなバカなことをする人は滅多にいない。わざわざお偉方を煽るような真似をするのは狂人だけだ。
アラドは眉間を指で挟んだ。ああ、あの狂人が自分の知り合いでなければどこかで時間を潰せたのに。明らかに騒ぎになっている場所へ人混みを掻き分けながら進んでいく。するとそこには良く見知っているその男の姿があった。
「なにやってるんですか…………師匠」
「ん……なんだアラドか。そんなの女遊びに決まってるだろっ‼ ほれほれっ」
見たところ流石に人前で出来る範疇に留めているようではあるが、それでも明らかに編み目の粗い粗雑な服を身に纏う娼婦を伴ってこの場所へ来るというのは常識的に考えて非常によろしくない。遊びにいくならさっさと色街に繰り出せば良いものを、どうしてこの人はこうわけがわからないことばかりをするのだろう。アラドは久しぶりにあった自分の師匠が、想像通りに何一つ変わらないことを理解した。
「……はぁっ……もうちょっとこう、慎みをですね……」
大きく溜め息を吐きながら女性に銀貨を握らせ、この場を去らせる。すると男は不満げな様子も隠さずアラドを睨んだ。
「お前、俺がモテモテだからって僻むなよっ‼」
「はぁ……お金を払って得た好意をモテカウントするのは如何なものかと……」
「うるさいっ、アイツにガミガミ叱られてこっちは色々溜まってんだっ‼ ストレス発散でもせんとやってられんわっ‼」」
高級宿の前で娼婦らしき女性と乳繰り合っているのは、誠に遺憾ながらも彼の師匠であり、そして彼が一週間もここに滞在している原因になったその待ち人であった。
Sランク冒険者、『無限刃』のヴァンス。
勇者スウィフトと一騎打ちの末引き分けたとされるこの男は、何の因果か勇者を殺したゴブリンがいるこのリンプフェルトへとやって来たのである。
英雄と勇者殺しのゴブリンが同じ場所に集い、アラドという男を通じて繋がった。これが一体どういう意味を持つのか、それをまだ世界は知らない……。




