別れた二人を繋ぐには
一度決意を固めてしまえば、今までずっと悩んでいたことが急に馬鹿らしく感じられるようになった。どうやって別れればなるべくミーナのことを傷付けずに済むか、どうすれば彼女が死ぬ可能性を少しでも減らせるか、最低限の目処は立っている今それほど悩む必要はないように思えた。
別れ際、『紅』の面々にミーナには内緒で少しだけ話をした。そして使い道などほとんどない金子を彼らにいくらか渡し、なるべくミーナのことを気にかけてやって欲しいと伝えた。彼女の魔力量はミルミルやリーノを軽く超えていることや、しっかりとした先生がいなかったために魔力の使い方が下手くそであること。きっちりと教えを仕込めば確実に戦力になるということなんかも付け加えて。
流石に『紅』に入れてやってくれとは言えなかった、そこまでする義理なんて向こうにはないし、完成された連携を崩すことほど愚かなことはないからである。
本当ならば『紅』の男達の中の誰かを旦那様に出来ればそれが一番だったが、そこまで面倒を見ていては取り返しがつかなくなるとも限らない。
彼女を守ろうと、彼女がなるべく傷つかないようにしようと頭を悩ませていた自分こそがミーナを苦しめるその原因となっている現状にバルパは笑わざるを得なかった。守ろう守ろうと言いながら彼女と行動を共にし、結果ミーナのことを現在進行形で危険に曝している現状を笑わずになんとすれば良い。彼は自分が心のどこかで彼女と一緒に過ごすことを望んでいたのだとわかった、そうでなくば何も言わずに別れを告げるべきだという意見を思いつかないはずもない。
転移水晶で地上へと戻り、『紅』の面々と別れ、バルパとミーナは一度別れて再度一回の食堂で集合することになった。
今バルパは一人で部屋の中にいる。ベッドに横になりながら、シミの目立つ白色の天井に目をやっていた。
(…………これが最後の食事か)
今まで何度も行ってきて空腹を満たすものでしかなかったはずのそれも、ミーナとの最後の食事だと思えばどこか特別なものに感じてしまう。
自分は別れよう別れようと頭の中で思っていても、今まではそれを決して行動には移さなかった。どれだけ自分は弱いのだ、バルパは自分が強者とはほど遠い存在であることを知った。
目を瞑ると、ミーナが翡翠の迷宮でゴブリンに殺されかけていた時の記憶がしっかりと瞼の裏によみがえった。そして教えを請い、魔撃を使うための方法を金貨一枚で教えてもらった。まるで輝かしい思い出であることを示すかのように、彼女に渡した一枚の金貨がキラリと光る光景を幻視する。
そして彼女と別れ、ルルを拐い、そしてルルと別れ、ミーナと再会した。そして今自分はまた、ミーナと別れようとしている。
もしかしたら自分は出会って仲良くなった人間と別れなくてはいけない運命でも持っているのかもしれないとバルパは珍しくセンチメンタルに浸った。
目を開いた、先ほど見てしまった幻が表れる前に元のシミだらけの天井が彼の開眼を祝ってくれる。
バルパは立ち上がり、鎧を着け直してからドアを開いた。ドアの扉が、いつにもなく重いように感じられた。
「遅かったじゃんか」
「ああ、悪い」
ミーナは相変わらず元気な様子でテーブルを占拠していた。四人がけの丸テーブルに向かい合う形で席に座った。
既に注文は済んでいたようで、バルパが座るのを見計らったかのように食事が供されていく。
よくわからない茶色い肉の液体漬けがやって来た。
昨日食べた麺はなかったが、肉があるので別に構わないと思った。彼女の方にも同じ料理が配られる。二人とも一品だけで、麺以外にもスープや肉があった昨日と比べると少しだけ簡素になっている気がした。
「いただきます」
「いただきます」
よくわからないが彼女がいつもやるその手を合わせる行為を真似してバルパも手をパチリと合わせた。いつものブロック肉よりはるかに小さいそれが、どうしてか今はとても大きく見えた。肉を手で掴んでは小さく噛み取っていくのだが、中々食べきることは出来なかった。
「ねぇ……あのさ」
「ん、なんだ?」
「なんか、気付いたことない?」
「…………特には」
「昨日との食事でなんか違うところあるだろっ、思い出してってば‼」
思い出してと言われても特に何か違いがあるようには思えなかったが、彼は頭を捻らせて違いについて考えてみた。
料理の品数が減っている、食事があまり進まない、それから……と考えて彼はようやく気付いた。
「金を払えと言われてないな」
「もうっ、気付くの遅いってば。今日はね、アタシの奢りっ‼ だから味わって食べてよね」
どうやら今自分が食べているのは彼女が自分の金を使って作ってもらった料理らしい。そう考えると、少しだけ食欲が増した気がした。
「ねぇバルパ…………大丈夫か?」
「……」
何がと質問に質問で返すことはしなかった、自分でも今の様子がおかしいという自覚はあったから。
「あ、あのさ……」
ミーナが下を向きながらモジモジと指と指をくっつけながら言う。
「アタシ……もっと頑張るからっ‼ いつか、その……」
ミーナが放った一言は、今となってはバルパが最も聞きたくない言葉であった。
「バルパの隣で、戦えるようになるからっ‼」
「止めておけ」
心で留めておくはずの言葉が気が付けば口から出てしまっている、それを聞いてショックそうな顔をするミーナを見ると少しだけ悲しい気分になった。
「俺の隣で戦うことなんてしなくて良い、俺はお前にそんなことを求めていない」
本当は彼女が強くなることを求めているのだと、そう思っていた。強くなれば勝てる、勝っている間は生きていられる。だからこそ強さを彼女に求めたのだと。だが違った、それは自分に言い聞かせているだけの望みのようなものでしかなかった。
自分は魔物だ、人間から狙われる魔物なのだ。きっと自分といれば、どれだけ強くなったとしても彼女は助からないだろう。数の暴力がどれほど強いものなのかをバルパは理解している。自分と行動を共にするということは、人間との果てなき戦いに身を投じるという覚悟をすることだ。いつ正体がバレるかと恐れながら逃げ、戦い、そして戦い続ける。弱いミーナが強くなる前に、世界は彼女を押し潰してしまうだろう。
「……そっか。……わかった」
それ以上何も言わないミーナを見ながら、中々喉を通らなかった肉料理を無理矢理食べ終えた。
「……じゃあな」
「うん、それじゃあまた明日」
二人は意味の百八十度異なった言葉を口にして食堂を後にしようとした。
ミーナはもしかしたら自分が何をしようとしているのかを理解しているのかもしれない、バルパはなんとなくそう感じた。
ミーナが先に部屋に戻るのを確認し一度部屋に戻って気持ちを落ち着かせてから、外の空気を吸いに受付へと向かった。
このまま宿を、そして街を出ていってしまうのが良いだろうと思った。もしミーナに見つかってごねられれば自分がまた妥協してしまうかもしれない。それは自分のためにもならないし、そしてミーナのためにもならない。
宿屋を出て西門へ向かおうとすると、宿の脇に置かれた樽に背中を預けている人間の姿が見えた。外套を羽織りその顔は見えないが、恐らくは男だろう。
バルパはその姿を一度見てから、その場を、そしてリンプフェルトを去ろうとする。
「おい、そこの女泣かせ」
「……俺のことか?」
「他に誰がいる」
男がバルパを呼び止める、そのまま黙っていると男は立ち上がった。
「あの嬢ちゃんな」
それは恐らくミーナのことだろうと、そう思った。何故目の前の男がミーナのことを知っているかはわからないが、その予想は間違っていない気がしていた。
「今、自分の部屋で泣いてるよ」
「……そうか」
なんでお前がそんなことを知っているのだと尋ねることはしなかった。それは目の前の男の魔力が、下手をすればあのレッドカーディナルドラゴンを超えているのではないかと思えるほど異常な量だったからだ。それほどの魔力があれば、魔力を大量に使えば盗み聞きの一つや二つくらいは出来るはずだ。
「健気でよ、良い子じゃねぇか。そんな子を、お前は今悲しませてるんだぞ?」
「だが俺と共にいればミーナは間違いなく殺される。悲しまずに死ぬよりかは、悲しんでも生きている方がマシだ」
「……かーっ、こりゃ重症だな‼ アラドから聞いてた話よりよっぽどひでぇな。なぁ、おい」
目の前の男が視線を寄越すのと同時に発した威圧感は、今まで感じたことがないような鋭さを持っていた。敵意を向ければ一瞬にして斬られてしまう真剣のような雰囲気がその男にはあった。
バルパは身構え、袋の中に入れていたボロ剣を取り出す。全身に魔力を循環させ戦闘を始める準備を整えた。
どうして目の前の男が自分に敵意を向けてくるのかはわからない。ただ確かなことが一つだけあった。目の前の強敵は、自分を殺すことが出来るだけの実力を持っているということだ。
「俺はお前に言いたいことがあって来た。お前に聞かないなんて選択肢はないし取らせない。そして拒否権はない。抵抗するなら、半殺しにしてから無理矢理聞かせる」
漏れ出した宿の灯りが男の顔を照らす、人間の見た目の違いはわからないバルパではあったが、男が相応の年齢であるということはわかった。
「おっと、そう言えば俺の名前を言うの忘れてたな。年取るとボケていけねぇや」
男がニヤリと笑った。そして腰に差していた鞘から二対の剣を取りだし名乗りを上げる。
「俺はヴァンス。通りすがりの……S級冒険者だ」