一番大切なこと
冒険者にはランクというものがある。一番下は見習いのEから国からの信頼厚い英雄にしか与えられないSまで存在し云々。魔力があり案外戦えそうな受付嬢がしていた説明のほとんど全てをバルパは右から左に聞き流していた。説明の序盤で迷宮の探索にはランクによる制限はないと聞いてからは完全に迷宮のことしか頭にはなかった。彼としては迷宮探索以外の採取や護衛なんぞをやるつもりは毛頭なかった、そんなことをせずとも迷宮探索が一番手っ取り早いのは火を見るよりも明らかなのである。
迷宮に潜れば自分を鍛え、ミーナを鍛え、そしてミーナの相手も見つけられる。戦う相手をミーナに合わせる必要はあるが、それでもこれが一番早く結果を出せるのは間違いない。今現在は魔物の領域への侵攻のせいで迷宮には人手が普段より少ないというのは気になりはしたが、話を聞き出てくる魔物をある程度調べてみたところ少なくとも国境線を越えると出てくるらしい魔物はミーナの手に負えるレベルの相手ではない。たまに出てくるらしいドラゴンをミーナが倒せるビジョンが彼には見えなかったということと、そちらには自分が理解できない政治力、経済力、権力という謎の力を持っているものが多いらしいという理由でそちらの選択肢を選ぶ気はバルパにはなかった。わからないものを理解しようとする姿勢は決して捨ててはならないが、人間の複雑な生き方や生活様式の理解もおぼつかない状態で下手なことをしでかしてしまう方が怖い。バルパには最悪迷宮にこもるという手があるが、ミーナはきっと迷宮暮らしには耐えられないだろうから。
「というわけで迷宮に行こう。聞いた話だとこの辺りには二つほど迷宮があるらしい」
「クンツァイトの迷宮と獄蓮の迷宮だろ? 私も聞いてたんだから言われなくてもわかるよ」
この街の近くにあり、かつ人間の管理下に置かれている迷宮は二つある。正確には最近三つ目が見つかったらしいがそこは魔物の領域に近いので考慮に入れる価値がない。
まず最初にクンツァイトの迷宮、こちらは第三十階層まで到達が確認されている中級ダンジョン。出てくるモンスターは基本的にはそこそこの強さで、第三十階層に出る守護者にさえ挑まなければ問題はないらしい。
そして次に獄蓮迷宮、こちらはそのおどろおどろしい名前に反してクンツァイトの迷宮より更に優しい難易度の初心者向けの場所らしい。名前がこんなに物騒なのは、第十階層の守護者が炎を吹く化け物だからだそうだ。だが今回の探索では自分が強くなることは求めていないのでそこはどうでも良い。そしてミーナの旦那様(お嫁さんの相手のことをそう言うらしいとつい先ほどバルパは知った)探しもついでに行えるとなれば一石二鳥だったためにバルパの腹は既に決まったも同然である。
「それなら行くのは獄蓮だな」
「そうか、でもバルパはクンツァイトの方に行きたいんじゃ……」
「問題ない、今日はな」
「……そ、そう?」
今日という言葉に若干の違和感を覚えたらしいが、それ以上何かを言われる前にバルパは席を立った。
「行こう、準備は出来てるか?」
「もっちろん‼ ……まぁ杖とローブだけだからほとんど準備要らずなだけだけどね」
二人は獄蓮の迷宮に近い北門へ向けて歩き出した。
どうやら魔物の領域というものは相当に魅力的らしい。そう考えたのは踏みならされているだけで特段整備などしていなさそうな道を歩きなんとかダンジョンへと辿り着いた時に、眠っている衛兵がこっくりこっくりと首を動かしているのを見たときである。
ダンジョンは転移水晶という便利な帰還システムのおかげで入り口付近にたまる冒険者も多い、あの時は偶然というべきか衛兵を除けば一人も人は居なかったが、そんなことは滅多にあることではないとミーナはことあるごとにバルパに言っていた。
そして獄蓮の迷宮の入り口に冒険者は一人もいなかった。そんなことになっているのならば衛兵が寝てしまうのも無理はない。魔力感知を使っても人の気配は感じられない。どうやら本当に誰一人としていないようである。
「やはりこれは珍しいのか?」
「うーん、私もそこまで詳しくはないけど。まぁたまにはこういうこともあるんじゃないの? ここに居ないってだけで」
「流石に中には誰かいるだろう。集中を切らさないようにダンジョンで夜営をするパーティーも多いと聞いた」
「いんや、だぁれもおらんよ」
「わっ、おっちゃん起きてたのかよっ‼」
「いや、そりゃあ誰かが近付いて来たら起きるさ。こっちも一応仕事だからね。それじゃあギルドカードと銀貨二枚ね」
二人はギルドに入会した際に作らされた紙を取り出して衛兵に見せた。紙だと言うのにその強度はかなり高いらしく、随分前に作っているミーナのそれと今朝作ったばかりのバルパのそれに大きな違いは見られなかった。衛兵はそれを太陽に透かしてから返す、偽造防止がどうのこうのと言われたがこれも例に漏らさずバルパは聞き流している。
ギルドカードを返した右手の上に銀貨を乗せてやるとどうぞどうぞと衛兵の男が体を横に向けた。
「新人さんか、頑張んなよ。わかってると思うが親切心から忠告しとくぞ、絶対に十階層には行ったらいかんからな」
「んなことわかってるよ、無理はしないって。てかさおっちゃん、なんで今は誰もいないんだ?」
「ん、お前さんらこの辺には来たばっかかい?」
「昨日きたばかりだな」
「あぁ、それなら仕方ないか。まぁ皆お偉いさん方の出した報酬に飛び付いて絶賛荷運び中なのよ」
どうやらこの街は魔物の領域から届けられる素材により莫大な利益を出しており、その素材を運ぶポーターの仕事も普段からすれば考えられないような高値の賃金になっているのだという。私がパーティーを見つけ損なったのはこういう美味しい仕事が受けられる期限までに成人になれなかったからなんだ、とミーナが補足してくれた。
魔物の領域というものがただ強力な魔物が跳梁跋扈しているだけの場所なのかと思っていたが、どうやらそうでもないのかと若干不思議に思い尋ねてみると衛兵の男が要らん話まで添えてしっかりと教えてくれた、どうやらこの男は面倒見が良い人間のようだ。
話を聞いてみるとなんてことはない、低ランクの冒険者達は要は使い捨てに近いような運用をなされているのだという。低級と分類されるEランクDランクのやつらはべらぼうに高い賃金を命の危険と引き換えに得られるらしい。だが得られる額が大きいが故にそれでも荷運びの依頼は貼り出されると同時に受注されてしまうらしい。
「命を失ったら意味ないだろうに」
「良い稼ぎになるってなれば目を眩むもんさ。嬢ちゃん良かったな、下手したら今こうやってバルパと一緒にダンジョンに潜ることも出来てなかったかもしれないぜ」
「…………そ、そんな危険だったなんて……」
ミーナが自分が取り逃していたと思っていた魚が大魚ではなく自分の体まで持っていきかねない怪魚であったことを知り俯いてしまう。ダンジョン前に気持ちを落ち込ませることをしてどうすると衛兵の方を睨むと合掌されスマンと口パクで伝えられた。
ミーナが戦闘で使えなくとも自分が全てをやれば良いのだが問題はないと言えばないのだが、そもそもこのダンジョンに来た理由の一つが彼女を鍛えることである。当の本人が気落ちして戦えないということはいただけない、それに万一がないとも限らない。
下を向いてじっと爪先を見つめている彼女の頭をゴツンと叩いた、もちろん本気ではなく手加減をした上でのことである。
「ミーナ、生き物が生きていくために一番大切なこととはなんだかわかるか?」
「……何さ、急に。知ってるよ、だってあんたいっつも言ってるじゃないか。強さだろ、誰にもやられないための強さ」
「違う」
「え?」
それは重要な要素ではある、強さというものがなくては弱い生き物はすぐに殺されてしまう。魔物も、人間もそれは変わらない。だがバルパにとって最も重要な要素、生きていく上で自分が最も有用だと感じている要素はまた別のものだった。
「それはな、運だ」
「……運?」
「ああ、俺はとある幸運が起こり、そしてその幸運に乗っかる形でここまで来ることが出来た。そしてお前に出会い魔撃を教えてもらったことで強くなり、そしてルルに鑑定や常識を教えてもらうことで強敵を倒すことが出来た。それらの要素の中のどれか一つが欠けていても俺は死んでいたし、今ここでこうしていることはなかった」
生物を殺せば経験値を獲得し成長していくこの世界において、世界最強の男が持ち物をすべて持っている状態で死にかけている確率とは、一体どれほど薄いものだろう。だがバルパは偶然その場に居合わせた。そして今、ここでこうして生きている。彼は知らない、無限収納とは持ち主が真の持ち主たると認めた者にしか継承出来ないものだということを。彼は掻き消えかけていた意識で勇者スウィフトと話し、そして認められた。そのアイテムのおかげで、今までバルパは生き延びてこれたのだ。これを幸運と言わずしてなんと言おう。自分ですら気付いていない幸運にもまた、彼は助けられている。そしてそれはまた、ミーナも例外ではない。
「ミーナ、お前は他の人間より産まれるのが遅かった、それがまず第一の幸運だ。もしかしたらそのせいで苦しむこともあったかもしれないが、そんなものよりも生きていることの方が大事だ」
恐らく、ミーナは魔物の領域へと向かっていれば助からなかっただろう。そんな風な考えが一瞬頭をよぎり、そして実際にそうであるに違いないとバルパはある種の確信を抱いた。彼女はゴブリンしか出ない第二階層で死にかけていたのだ、そんな彼女がドラゴンの出るような魔境で冷静に魔法を使い生き残ることが出来たとは到底思えなかった。
「そしてお前は一人で翡翠の迷宮へ行き、そして俺に救われた。それがお前の幸運だ。お前は今生きている、ならその幸せを噛み締めなくてどうするのだ」
「…………」
ゴブリンは衛兵と比べても遜色ない程大柄な体格をしているため、自分を見つめるミーナを自然見下ろす形になっている。
ミーナはパチパチと瞬きをし、それからバルパの方をじっと見つめた。
「…………まともなことも言えるんだな」
「俺にとって重要な生と死については常に考えているから、そのおかげだろう」
「……ふーん、そっか。……そっかぁ……」
後ろで手を組んでからピョンと前に飛び、衛兵の脇をすり抜けるミーナ。バルパの方を向くことはなく、そのままステップを踏みながらダンジョンの地上階層への道を歩いていく。
「ほらほら、さっさと行かないと置いてっちゃうからなっ‼」
さっさと行けなかったのはお前のせいなんだけどな、とは言わなかった。黙ってついていくバルパに衛兵が顔をしかめながら舌を出した。
「うへぇ、ごちそうさん」
「……? 何か食べたのか?」
何を言われているのかはわからなかったが、ミーナがズンズンと先を行ってしまっているためにその意味を知ることは出来なかった。
朝陽が洞窟の壁により遮られ、蛍石のうすぼんやりとした明かりが二人のことを照らしている。
階段を下ろうといたその直前、ミーナは思い出したように振り返って怒ったような顔をした。
「そのルルって女が誰なのか…………あとで教えろよな」
そういえばミーナには彼女のことを言ってなかったことを思い出し、兜をゴリゴリと動かして強引に後頭部を掻いた。
ミーナの顔からは、先ほどまで気落ちしていたとは思えないほどに輝いていた。