お嫁さん
よく考えてみると自分のさきほどの行動は明らかに間違っている、ミーナに取ってもらった宿の中でバルパはそう考えていた。
自分の最大の目的はあくまで人間に殺されないことだ、故に人間が空腹になり強くなれないような状態に陥っているのならそれを喜ぶべきなのだ。
だが自分は彼女に強くなれと言った、言ってしまった。それは恐らく彼女が自分よりも強くなる可能性などゼロに等しいという油断と、そして昔飢えと渇きでまともに何かを考えることも出来なかった頃の自分と彼女を重ねてしまった愚かさのせいだ。これは良くない、まだ人間の群れを相手どって勝てるとは思えない。そんな状態で更にその先の、弱いものに機会を与えようなどと考えることはただの慢心だ。弱い者に手を差しのべすぎて強くなったそいつらに殺されてはなんの意味もない。助けたいという気持ちはないではないが、それはあくまで自分の命の保証がしっかりとある上での話だ。
「……早く迷宮に潜らなくては」
強くなるのは早ければ早いだけ良い、まだまだ自分は強くなれる。ここには自分を悩ませるものが、考えなくてはいけないものが多すぎる。そのほとんどは今の彼にとってただただ煩わしいだけのものでしかない。
そしてそのほとんどという例から漏れるミーナという少女の存在、これが今のバルパにとって一番大きな問題だった。
そもそも彼女がどうして自分についてきたのか、バルパは未だにわかっていない。彼女は街に居たのだし、それほど危険はなかったはずなのだ。そこそこの強さのある人間なのだから人間の群れの中に居れば死なないだろうし、お嫁さんになればその安全は更に増えるだろう。
お嫁さん、というものの存在を教えてくれたのはもちろんルルである。なんでもそれは、男と番になることで女が安全を手に入れられるものらしい。それ以外にも子供を産むだとか云々と色々話されはしたのだが、およそ戦い以外のことに興味のないバルパがそんなものに興味をそそられるわけもない。彼はまだこの世に生を受けてから一年足らずであり、そんなゴブリンに性知識などというものが期待出来る訳がない。
彼が理解したのは、女はお嫁さんになれば幸せになれて死ぬ可能性が減るらしいということだ。自分と一緒に戦えばまず間違いなく彼女は死ぬし、彼女が死なないように配慮をしていては自分が強くなれない。だから彼はミーナをお嫁さんにして別れを告げることを決めた。せめて死ににくくしてやるくらいはしてやろう、後は彼女に自分で強くなってもらえば良い。それが彼が自分が死ぬ可能性と彼女が死ぬ可能性の両方についてなるべく配慮し下した結論であった。それに自分が強くなり、そう簡単に殺されることはないと確信を抱けるようになったなら彼女を鍛えてやれば良いのだ。
ゴブリンは立ち上がり、鎧を袋から取り出して換装してから各部の調子を確認する。全身をすっぽりと覆い隠す藍色の鎧は、海竜リヴァイアサンの尻の革と鱗で作られた潮騒静夜という魔法の武具である。それほど目立つ色合いではなく、遠目からみる分にはリザードマンの鎧と区別がつかないというのがミーナがこれをチョイスした理由だった。
傷一つ付いていないことを確認してから袋に再び銀貨を補充しておく。
こんなに時間を取られることになるのなら押しに負けてミーナを連れてくるのではなかったとバルパは嘆息し、食堂に向かうためにドアを開いた。だが彼は自分が何度その場面を繰り返そうとも決して彼女の願いを断れないだろうという嫌な確信があった。
階段を下り、一回の広間に併設されている食堂へと歩き出す。これからの予定をミーナと話し合うために、そして彼女には内緒でその番を見つけるために。
お嫁さんと一緒になる男にはいくつか求められる条件があるらしいというのもルルの段であった。彼女の言葉を原文のまま抜き出すとこのようなものになる
『まずは甲斐性、つまりお金を稼ぐ手段をしっかりと持っているということです。例えば協力な魔物を易々狩れる実力のある人なんかはうってつけかもしれません。そして次に男性的な魅力がある人、つまり雄としての強さを持っている人です。これは戦闘での強さということだけではなくて、心の強さや財力なんてものも関わってきます。最後に一番大事なのはやっぱり当人の気持ちですね。無理矢理の結婚なんて……全然良いものじゃありませんから』
彼女の言葉をバルパなりに要約するとこうなった。つまり強くて、金を持っていて、当人が良いと思うような男が良いのだろう、と。
お嫁さんの相手を探すのは無理難題だと言わざるを得ない、そもそも良いと思うとはなんだ。良いなどという言葉は理解が出来ない、自分はドラゴン肉の串焼きを良いと思うがミーナは串焼きのお嫁さんになりたいと本当に思うのか? なんとなく違うとわかりはするが、何が違うのかがわからない。ルルはお嫁さんになりたいと思っている女の子の心には容易く踏み込んではいけないとも言っていたが、そんな制限があるならミーナのいい人を見つけるのは不可能だろう。彼は正直途方に暮れかけていた。
ミーナが良いと思う人がどういう人なのかわかれば後はその条件を満たす強い男を探し、そいつに聖貨を渡してやれば解決するのだが……と考えているあたり、バルパは本質を理解できているとは言い難い。
「ん、食べないのか?」
「……いや、少し考え事をしていただけだ」
食堂にやって来るとミーナは既に適当に頼んでもらっていたようで、料理はすぐに出てきた。銀貨を払えと言われたので払った、食事に払うのはまだ納得が出来たが、こんな木の家に泊まるのに金を払わなくてはいけないというのは未だに納得が出来ていない。ミーナに泊まる金があるならそれで肉を買うべきだと言ったら無視された。金を出したのは自分なのに、とバルパは理不尽を感じずにはいられない。
「なぁミーナ」
「なんだ?」
麺と呼ばれる細長いアラクネの糸のような物体を食べているミーナに彼は直接聞いてみることにした。ちなみにバルパは既に完食してしまっている、食べ物に関しては自分はまだまだ足元にも及んでいないと彼は素直に敗北を認めている。塩以外にも味を変えられるものがあることを知り彼は後で袋の中を確認しておこうと心に決めた。
そしてミーナが食事を終えるのを待っている時間に少しばかり頭を回し、考えてもわからないのなら聞いてしまえという素晴らしい結論を出したというのが今の質問までの流れである。
「お前はどういう男のお嫁さんになりたいと思う?」
「ブーッッ‼」
「鼻から麺が出てるぞ。非常に興味深いな」
「お……乙女にそんなことを聞く奴があるか‼」
「ある、俺だ」
「デリカシーがないのかお前は‼」
「デリカシー、とはなんだ?」
「……ああそうだ、バルパってこういう奴だったんだ……」
鼻から出た麺を完食した皿のはしっこによける、勿体ないから食べろというと嫌がったので自分が食べようとしたらもっと嫌がられた。鼻から出た食べ物は食べてはいけないらしい、人間のルールは相変わらず複雑怪奇である。
「な、なんでいきなりそんなこと聞くんだよ?」
「……」
ここを一人で去るためにお前がお嫁さんになっても良いと思える男を探しているのだと正直に言えば間違いなくゴネられるだろう。ここ最近はミーナにゴネられ慣れしているバルパにはそれがわかっていたので真実を言うことは避けることにした。
「ただ聞いただけだ。やはり金か? 金は万能らしいからな」
人間にとっては、という言葉は飲み込んだ。人間ではないことを示唆するような発言は避けるべきだと二人の間で取り決めをしていたためである。
「そりゃ……お金は大事だろ。生きていかなくちゃいけないんだから」
「そうか、強さはどうだ?」
「強いのも……大事じゃないか? やっぱり守ってもらったりとかするのって、女の子には憧れだし」
「他は何かあるか?」
「あとはまぁ……優しければ良いかな」
「誰でも優しいだろう、余裕があればの話だが。リーダーは部下に優しさをもってあたる必要がある」
彼が思い出したのは、自分が翡翠の迷宮でゴブリン達の陣頭指揮を取っていたころの記憶である。ただ暴力を振るうよりも、暴力と餌を与えた方が言うことを聞いた。飴と鞭というものが生き物を動かす上で必要であることを、彼は実地で学び取っていたのである。
「ば……バルパはさ」
「……なんだ?」
昔を偲んでいる彼を見るミーナの様子はどこか所在なさげだった。髪をさわさわとさわり、視線をフラフラと揺らすその様子は、まるで死にかけのオーガのようである。だが自分が素直な感想を言うと大抵の場合怒られることがわかっていたので、彼は何も言わなかった。その心がけをデリカシーであることを、彼はまだ知らないでいる。
「どんな人なら……お嫁さんにしても良いと思う?」
「いらん、そんなもの」
「そ……そっか、そうだよね……」
ゴブリンのメスを見ても良いとは思えない、そんなものよりドラゴン肉とケーキの方が良いに決まっている。
そんな風に色気と食い気の違いもわからずに頭を悩ましていたバルパは、目の前の少女の落胆の色に気付くことはなかった。
 




