金
バルパは目を瞑るだけである程度休息を取ることが出来る。魔物に休息というものはあってないようなものなのだが、やはり十全のパフォーマンスを発揮するという意味では体を休めることは重要なことだ。
そのため勇者を殺し、自意識がはっきりしはじめてからは眠らずとも目を瞑ることは心がけるようにしていた。数週間程度なら寝なくても問題はほとんど無い、ぐっすりと眠ることなどそれこそ数ヵ月に一回で十分なのだ。
彼が現在人間のような見た目をしているのはあくまで魔法の品による効果であるため、その性質は今ももちろん変わらない。
朝になるまで目を瞑り、うにゃうにゃと眠り続けようとするミーナを起こしてから再び獣道を歩く。その最中に彼女はハッとしたような顔で言った。
「ねぇ、もしかしてなんだけどさ……最初からそれ付けてればわざわざこんな場所で魔物と戦ったりしなくて済んだんじゃないの?」
「……」
確かにそれはそうだが、そもそもミーナに言われなければ人間に擬態するなどということは考えなかったのだからその仮定になんの意味もないだろう。そう言おうとしたバルパは、明らかに怒った顔をしているミーナを見て黙ることにした。
「……わかってるよ、悪いのはバルパじゃなくてバルパに言わなかった私のせいなんだって」
「そうか、わかってるなら問題ない」
「ちょ、そこはお前のせいじゃ無いぞって慰めてくれる場所だろう⁉」
「なんでそんなことをしなくちゃいけないんだ」
平気な顔で街道を歩こうとするゴブリンと疲れたような顔をする少女は、昼になる前にリンプフェルトの西門へたどり着くことが出来た。
門はいくつかあるようだが、ミルドとの行き来がメインであるこの西門はかなり賑わっている。検問を待っている人たちの列はかなり長く、バルパ達の番が回ってきたのはギリギリ夕方と言っても差し支えないという程度に太陽の落ちる時間帯だった。
「はい、次の人。……なんだい、そいつは」
「ああ、悪いけどちょっと理由があってね。なるべくなら見せたく無いんだが……」
「そういうわけにはいかんよ、悪いがこれも仕事でね。おいお兄さん、その兜をさっさと取ってくれると助かるんだが」
バルパは何か言われても基本的には従えと言われていたので、黙って兜を取った。自分がつけている魔法の品が目の前の男にも通用するのかはわからなかったが、大人しくじっと彼の方を見る。肉付きは良いし、体格も出来ているが魔力はほとんど無いに等しい。それに自分を見る目はどこかぼうっとしていて締まりがない。この男は強くはないとバルパは結論を出した。
「通って良いか?」
「あ……ああスマン、問題ない」
「わかっただろ? 出来れば他の子達に見られる前に兜をつけさせたいんだけど」
「なるほど……嬢ちゃんも良い人捕まえたもんだ。ほれ、もう着けても良いぞ」
大人しく兜を着け直す、目の前で行われていた会話の意味がわからなかったがどうやら通って良いらしいということだけはわかった。
「通行料は一人頭銀貨二枚だ」
「そうか」
バルパはポケットに手を突っ込んでから銀貨四枚を取り出した。人間はこの丸っこい金で物事を円滑にするなどと最初に聞いたときは眉唾だったが、念には念を入れておいて良かったとそっと胸を撫で下ろす。人前で無限収納を使うのは避けろとはミーナもルルも口を酸っぱくして言っていたために彼はわざわざジャリジャリと音を鳴らしながら無限の容量がある袋の横に、金を入れたただの布の袋を取り付けたのだ。
ルルに基本的なことを教えてもらっていたとは知らないミーナがささっと足し算をしたバルパをびっくりしたような顔で見つめている。これで少しは溜飲も下げられたというものだ。バルパは自分を急いで追いかけてくるミーナの足音を後ろに感じながら、リンプフェルトへと入っていった。
街というものはなんなのか、バルパはミーナに会いに行くまではルルの話でしか聞いたことはなかった。彼女は言っていた、街とは人間達が日々の生活を過ごす共同体のようなものであると。最初それを聞いたときは、そんなことがあるはずはないと一笑に付したものだった。彼は人間を一人一人が強く、そして複数人になれば更に強いというまさしく戦闘集団的な要素のある生物だと思っていた。集まれば強い人間がたくさん集まれば、その先にあるのは全てを殺し尽くすような殺戮だろう。もうダンジョンの外には生き物は人間以外にいないのではないか? そう聞いた彼にルルは笑いかけてこう言った。
『ダンジョンに来る冒険者という人は多くはないんです。人間のうちのほとんどはそんな争いとは無縁な、剣を一度足りともまともに振ったことのないような人達なんですよ』
あまり深い理解をしたわけではなかったが、それでもなんとなくはわかった。人間をゴブリンと考えてみればわかりやすい。ゴブリンの中には、自分のように人間を倒せるものもいれば、人間の中でも弱い奴等に殺されるものもいる。自分だってついこないだまでは後者だったのだから、強い人間も戦いに慣れていくまでは弱かったのだろう。人間もピンキリだということは彼にもわかっていた。人間のキリはゴブリンにも勝てないというのは聞いても信じられなかったが、外は完全に人間に掌握されたのではないということはわかった。そして集まれば強くなる人間達が、街と呼ばれるものを形成していることも。
だがそれ以上のことは生まれてから一年も経っておらず、物事を考えられるようになってからまだほんの少ししか経っていないような彼にはさっぱりわからなかった。産業、農業、政治、言葉だけ聞いてもなんのことかわからなかったし、話を聞いてもやっぱりなんのことかわからなかった。そしてそんな訳のわからないものを動かしているものは、あの金ぴかで光るだけの金子なのだという。ここで彼の脳みそは爆発しそうなほど混乱した。こんなものが大切なのか⁉ と試しにミーナが前に見て驚いていた金貨を可能な限り出してみると、今度はルルが卒倒しそうになった。試しに一枚真っ二つに割ってみると、ルルが声にならない悲鳴をあげた。
彼はわからないなりに辛抱強く聞き、それをなんとか自分に理解できるような形にした。
この金というものは人間には大切、アホくさいがまずはこれを信じないことには話が進まない。
そしてこの金を使えば、どんな武器でも買える。そしてどんな装備も整えられるし、どんな魔法の品も買える。買うという概念はこれで合っているとルルが太鼓判を押してくれかたからこれは間違いない。
彼は一つ一つ金を出して並べ、どれをどれくらい使えば今自分が使っている魔法の品よりも良いものが買えるのかと尋ねた。
淡い虹色に光っている聖貨という名称の金が何十枚かあれば可能かもしれないと彼女は言った、なのでそれをバルパは沢山出してこれで買ってきてくれと真剣にお願いをした。するとプルプルと震えてからルルは気絶した。そして彼は金のことをまともに理解することを諦めた。あれば武器が買える、それだけわかっていれば困ることはないだろうと、そう楽観的に考えたのである。自分がダンジョンの外へ出るのはまだまだ先だと考えていたが故に。彼がその自らの短慮に怒りを覚え、人間社会の複雑怪奇さに頭を悩ませることになったのはリンプフェルトに入ってすぐのことであった。




