出禁
「なんだ、流石に空を飛ぶことすらできないとは思っていなかった。こちらのミスだな」
「いや、すまない。無理を押して連れてきてもらっているのだから、不手際の一つや二つはあって当然だ。気にしていない」
バルパ達はいきなり広場らしき場所へと連れてこられた訳だが、そこには当然のごとく何もなかった。
住居もなければ生活痕もなく、当たり前だが人っ子一人いない。
そんな場所でどうすればいいのか、というか講師役の竜がやってくるのかと不思議に思っているバルパ達に、竜のエナは気軽に
「あちらへ向かうと、ヴォイドニク山の麓がある。そこにお前達に教えを講じてくれる竜のおっさんがいるから」
とだけ言って去ろうとしたのだ。
瞬間移動を発動するよりも早く、バルパが全身全霊の力を込めて、聖剣すら持ち出してエナの動きを慌てて止めなければ、彼らはここに置いてけぼりを食らっていたのは間違いない。
エナは竜の渓谷から出ることがほとんどない、言わば人間や魔物達のことをあまり知らぬ竜だった。
彼女の魔法の基準は当然竜のそれに準拠していて、空を飛ぶのも当たり前、瞬間移動が使えるならまあまあやるじゃないといった具合に考えていたのだ。
ここまでお膳立てをすれば後はバルパ達が空を飛んで向かってくれるだろうと思っていたようだが、残念ながらバルパ達の力は強いとは言ってもあくまで人間準拠。
空を自由に飛び回ることも、というか道具を使わずに空を駆けることができる者ですらバルパしかいないのが実情だ。
自分達の不明、というか至らなさを話して、エナになんとか事実を理解してもらい、出てきたのが先ほどの謝罪である。
自らの未熟さを正直に話すことに、バルパが羞恥を感じることはなかった。
彼らは再度エナの背に乗って、約束の講師が居る場所へと移動してもらった。
どうやら瞬間移動ではいけないよう、何らかの封印がされているらしく、移動は空路を取った形である。
空を切り、冷たく裂かれた空気が頬を通り過ぎていく感覚を感じながら、バルパは竜と自分達の違いというものを強く感じていた。
竜というのは、バルパが思っていたよりも普通ではない。
彼らは今までバルパが必死になって学び取ってきた人間達の常識とも、そして彼自身の魔物としての常識とも違う、独自の価値観や考え方を持っている。
そして真竜だけの街を作り、こうして暮らしている。
言葉は通じているし、冷たい態度を取られているわけでもないが、彼らは自分達とは根本的に違う生物なのだというのを実感していた。
ドラゴンというものに深い思い入れのあるバルパですら、そう感じずにはいられないのだ。
今彼の後ろでひそひそと内緒話をしている女性陣がどう考えているかは、想像もつかない。
バルパがまず疑問に思ったのは、これだけ凄まじい存在が大量にいるこの場所が、なぜ今まで誰の目にも触れてこなかったのかということだ。
魔力感知で百や二百では聞かない数の真竜がいることを把握しているし、飛び地とはいっても広さはリンプフェルトなどとは比べものにならないだろう。
これだけ大きな空間が拡がっていれば、誰かが気付きそうなものだが、今まで竜達の里などというものがあることは噂の一つも聞いたことはなかった。
これだけ強い者達がいれば戦う相手には事欠かないだろうに、ヴァンスはバルパに一度としてその名前を挙げたことはなかった。
とすれば自分達は初めて、この場所にやってきた竜以外の生物ということになるのだろうか。
バルパは少し悩んでから、
「ヴァンスという男を知っているか?」
と尋ね、その後に彼の見た目の特徴や性格について話した。
すると間髪入れずにエナから答えが返ってくる。
バルパが想像していたよりも、ずっと斜め上の答えが。
「……そいつは出禁になった人間だ。前に一度、ここで暴れ回ったことがあってな、あれはたしか……百年くらい前だったか。八代竜王様を巻き込んだバカ騒ぎを起こされてな。その一件でそいつだけは入れないように結界を組み直したらしくてな。魔法に明るい奴でもなかったから、以来一度として被害は受けていない」
一体、何をやっているんだ。
心の底から、その一言があふれ出てきた。
真竜と喧嘩をして引き分けたという話は聞いたことがあったが、喧嘩の規模があまりにも大きすぎる。
喧嘩じゃなくて紛争とか抗争とか、そういう類の話だ。
バルパは戦慄を覚えると同時に、光明を見た気がした。
この竜の渓谷には、ヴァンスとやり合えるクラスの存在がいるのだ。
自分やダンよりも上の、スウィフトや魔王達のような強さの壁を超越した実力を持つ誰か。
もし機会が得られるのなら、その者から何かを学び取ることができれば……。
先ほど話題に出た八代竜王というのが、その超越者なのだろうか。
バルパが頭を捻らせているうちに、エナの飛翔が止まり、着地軌道に入る。
彼は弾む心を抑えられずに、彼女が着陸するよりも早く、空を駆けて地面へと飛び乗った。




