このままで
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頬を叩かれて、呆けた顔をするヴォーネ。
口から魂が出て行ってしまったかのように、驚いた表情が固まり、微動だにしていない。
叩かれた右頬を抑えるでもなく、ウィリスをジッと見つめている。
張り手をした方はどうかというと、ジンジンと痛む右手を抑えながらキッとヴォーネを睨んでいた。
相変わらず、気の強そうな態度だ。
それが表面的な物であることを、ヴォーネは知っている。
ウィリスはまだ熟し切っていない果実のようなものだ。
果皮は信じられぬほど硬いが、まだ誰にも踏みにじられていない果実は柔らかく脆い。
「できるかどうかが大事なんじゃない。本当に大切なのは、あんたがどうしたいかでしょうが!」
どうしたいか、と聞かれればヴォーネの答えは一つだ。
今のままでいい。
彼女は既に奴隷から解放されており、抑圧されることも、何かを無理強いされることもなくなった。
そして無事に故郷まで送ってもらい、両親と再会することもできた。
これ以上は望むべくもない、望んではいけない。
それが偽らざる気持ちだった。
彼女には、ドワーフなら持っていて当然である刻印術の才能もない。
運動神経が良くないから、近接戦闘に関してもやはり本職には及ばない。
無論、捧げてきた年月が違うために魔法だってあまり上手くは使えない。
戦闘に関して、ヴォーネにはどの才能も並み程度だった。
人間にもエルフにもゴブリンにも、彼女は決して辿り着けない。
そしてそれを分かっているからこそ、諦めてしまう。
諦めて、そして納得してしまう。
ああ、これが自分に相応の立ち位置なのだ。
自分にしては良くやった。
これくらいできれば、及第点だろう。
そんな風に納得することができた。
「私は今のままの生活が続けばそれでいいよ」
「今のままの生活? ハッ、笑わせないでよ。そんなものが続く保証がどこにあるの? 今こうしているうちにも、こちら側に人間達が浸透し始めてるのよ? ただ安穏としてるだけじゃ、今まで通りの生活を維持することなんてできない。私たち今まで散々、見てきたじゃない。それをあんたは、知ってるはずでしょ?」
「……バルパさん達が、なんとかしてくれるよ。私が頑張ったところで、どうなるっていうのよ」
「――――あんたそれ、本気で言ってんの?」
「だってそうじゃない。私が頑張って、それでこの村で一番強くなったとして。バルパさんみたいに強い人達に襲われたら勝てないし」
それもまた、ヴォーネが旅で知ってきた事実の一側面ではあった。
この世の中に、強い生き物というのは案外ゴロゴロと転がっている。
人間然り、亜人然り、魔物然り――道端にある石ころとまでは言えなくとも、とんでもないような強さを持っている者は決して少なくない。
そういう者達と戦って勝てるだけの強さを、自分が手に入れることはできない。
魔法や刻印術の指導を受け、実践もこなして得た、ヴォーネの結論がそれだった。
今から真竜の教えを受けたとしても、自分がどれほど強くなれるか。
彼らの領域にまで辿り着けるかは怪しいものである。
世界は、強い者が得をするようにできている。
しかしながら、中途半端に強い者は大抵の場合損をするようにもできているのだ。
彼女は自分が損をする側なのではないかと、そう思い込んでいる。
それは今まで生きてきた価値観が育んできた、彼女の強固な観念。
つまるところ、中々解けることのない強い思い込みである。
ただ、あながち思い込みとも言い切れない部分もある。
ヴォーネはミーナやウィリス達と同じように訓練をした。
だというのに彼女達と水を開けられてしまっている。
実際にやってみて、そして差を突きつけられた。
一対一で戦えば、彼女が勝てるのはまともに訓練をしていないエルルだけ。
頑張っても結果が出ない。
誰にでも起こりうるその現象は、一人の少女の心を折るには十分な力を持っている。
ただ幸か不幸か、ヴォーネは一人ではなかった。
彼女の隣には、同じように頑張り、そして同じように悩んでいる一人の少女がいたからだ。
「頑張っても追いつけないって、そんなことはわかってる。でもそれってさ、頑張らなくてもいい理由にはならないの。私もそうよ、あんたと……ヴォーネと同じ」
ドワーフの少女が顔を上げる。
そこには一人の、悲しそうな顔をするエルフの少女がいた。
ドワーフとエルフは、仲が悪いというのは有名な話。
だが少なくともその例は、この二人には当てはまらない。
ヴォーネはハッとして、ウィリスの端正な顔を眺める。
俯いていて気付かなかった。
自分のことに集中していたために、そこまで目が向いていなかった。
物語の主人公だと思っていた。
いや、そう思い込んでいた……ウィリスもまた、自分と同じ悩みを抱えているのだ。
ドクンと強く心臓が脈を打つ。
今まで使っていなかった、胸の辺りにある何かに熱が籠もるのを、ヴォーネは確かに感じ取った。




