向かう先は
自ら目掛けて向かってくる魔法を盾で受ける、軋りと音が鳴り魔力を吸い込んだ。甲高い悲鳴のような音を発しながら緑の表面に赤い線を走らせた盾が自らに降り注ぐ攻撃を吸収し、そして増幅して跳ね返す。
「ギャッ‼」
自らの必殺の魔法が返されるとは思っていなかったのか、ローブを被ったゴブリンがそのカウンターぎみの一撃をモロに食らう。魔法を使うゴブリン、ゴブリンメイジは自らの生み出した炎の槍によってその身を貫かれた。
呻き声一つ残さずに焼け焦げた自らの頭領の最期を見たゴブリン達は彼我の実力差をはっきりと認識し、四方八方へと逃げ散って行く。自らが右手に構えている剣を使う必要がなかったことが、バルパには少しだけ悲しかった。
(……いや、ミーナがいるのだから楽なことに越したことはないか)
ゴブリンのユニークモンスターであるバルパが着ているのは、自らの体色を隠すために紫色の鎧をその身に纏っていた。生前に恨みを持ったまま死んでしまい、怨念でその朽ちた体を動かすドラゴンゾンビの腐りかけの死体を使って作られたその鎧は名を腐蝕不触と言う。どこか毒々しく不気味な色合いのそれは人目を引くものでしかないのだが、彼に追従するように後ろにやって来た少女は然して気にする様子もない。
「……なぁ、怒らないで聞いて欲しいんだけど」
「なんだ」
バルパの後ろからててと歩き出し、少女ミーナは焦げ臭いゴブリンの死体の方へ歩いていった。彼は反射的に魔力感知を発動させる。周囲に魔力のある反応はない、襲われる心配はほとんどゼロに近いだろうと黙って彼女が死体を弄るのを見守る。
彼女はわざわざ前置きをしたのにも関わらず、まるで自分が話すことをなんとも思っていないかのように魔物の解剖を進めた。そして胸の辺りをグリグリとナイフでかっ捌いてから中にあった魔石を取り出した。色は白く、まるで砕けた水晶の欠片のように小さいそれをミーナは笑みを浮かべながら自分の手に持つ。そして固く握ってから再び彼の方へやって来た。今度は走らずにゆっくりと歩きながら。
「ゴブリンがゴブリンを殺すのってさ、やっぱ躊躇ったりするもんなの?」
「そんなことはない、人間も人間を殺すだろう? それと同じだ」
「うーん……盗賊退治とかした私にはわかんない感覚だなぁ。あ、はいこれ」
ミーナに渡された魔石を特に確認することも無く袋に入れるバルパ、その不気味な姿を見て彼女は顔をしかめた。
「てかさ、その鎧はやめときなって。怪しいなんてもんじゃないんだから」
「む、そうか。着心地は悪くないんだが」
「着心地は良くても私の居心地が悪いんだ‼ もし他の人に見つかって変な風に思われたらどうするんだ‼」
「全身鎧で顔も手も隠している人間など何を着ていても怪しいだろう、何も問題はない」
「問題しかないんだってば‼ これから人の居る街へ向かうんだぞ⁉」
名も無きゴブリン改めバルパは、今現在ミーナと行動を共にしながら東にある辺境の地、リンプフェルトへ向かっている最中であった。行き掛けに因縁を吹っ掛けられて面倒が起きないようにわざわざ魔物避けの効果のある螢楼石で出来た街道を行くのではなく、その満ちに沿うように獣道を進んでいるためそのペースはあまり早くはない。
自分達が間違いなくお尋ね者にされているに違いないと考えているミーナは繁っている葉っぱの擦れ合う音にすら敏感に反応している。バルパとしても人間が大挙してやってくる可能性があると聞けばその態度にも納得は出来た。
「空を駆けて行くか街道をさっさと抜けて行けば良いだろう。そのまま街を越え森を越え、魔物達のいる領域へ向かえば早々追ってはこれまい」
「そんなこと出来るわけないだろ‼ 空を走ったりなんかしたらドラゴンとかワイバーン用の対空砲で狙い撃ちされるぞ‼」
「それも悪くはないだろう」
「悪いだろっ、どう考えてもっ‼」
二人が目的としているのはリンプフェルトの更に先、魔物達の暮らす領域であった。成り行きとは言え人間達と敵対する形になってしまったバルパは、それならば人間のいない場所へ行けば良いのだろうと至極安直に考え、それを実行に移しているのである。彼の目的胃はあくまで強くなることであり、そして強くなる一番の方法は迷宮の奥深くへと進むことだ。今までの短い生のほとんど全てをダンジョンの中で過ごしている彼にとって、それは真理に近かった。彼は自分が強くなったことは自覚していたが、それでもまだ人間を容易く蹴散らすことが出来るだけの強さが得られたとは微塵も思えてはいない。現にドラゴンと一対一で対決したときなどは自分の力はほとんど何も役に立たなかった。勇者から頂戴した魔法の品によりなんとか勝ちを拾ったに過ぎず、それは彼の強さの証明とはなり得ない。彼としては一刻も早く迷宮へ行き、強さを得たいと思っているのだがミーナがそれを許してはくれない。今は無理にでも迷宮にこもるべきときだという考え方に彼女はひどく否定的である。魔力感知を使いなるべく人目を避けて行けば問題が起きる可能性など極小であることはわかっていたし、その数日があれば自分がどれだけ強くなれるかは全くの未知数だ。それならば街へ時間をかけて向かい追っ手を警戒したり、街へ入ってから魔物の領域へと向かうよりも直接そこへ向かい人間の脅威の無い場所で戦った方が良い。
バルパは生き残るためには自分の考えが正しいことは理解していたが、その考えを実際に口に出すことはしなかった。だしてもどうせ聞いてもらえないのだから、話すことを止めてしまっているのである。
何故かついてくると言って聞かなかった自分の師匠であるミーナのことは嫌いではなかったが、その頑固さはあまり好ましいとは思えなかった。
「それならばさっさと行こう、そのなんとかかんとかに」
「リンプフェルトだっ‼ 街の名前くらいいい加減覚えろって‼」
バルパはミーナが嫌いではなかった。彼女が危険に陥るとなれば人間や魔物の百体二百体なら殺してみせるし、罪を被らなければならないとなれば喜んでそれをするだろう。だが彼にとって好ましいということは、そのまま彼と一緒に戦闘をして欲しいということではない。
ミーナの魔力は相当なものである。初めて会ったときにはその直前にあった冒険者のレナよりも魔力が少ないと感じていたが、その時彼女はゴブリンと魔法のみで連戦し魔力をほとんど使い果たした状態だったのである。実際ほとんど魔力を使っていない現在の魔力量はルルに並ぶ、いやもしかしたらルルを越えているかもしれない。流石に勇者に迷宮の魔物、それにネームドドラゴンを倒し着実に強くなっている自分には及ばないが、魔物ではない人間としてはかなり破格な量である。
だがそれは彼と並び立って戦えるほどのものかと言われればそうではない。魔撃は自分が使えば事足りるし、彼女の魔法はロスが大きくてあまり実践的ではない。
彼は弱いものを助けるための手を差しのべようと考えている、だがそれはあくまで手をほんの少し伸ばしてやるだけのことであり、相手が何もせずとも自発的になんでもやってやろうということではない。
彼はミーナに会うことで彼女に自分の罪が降りかかることを恐れた、その考えに至ったせいでその押しに負けて彼女に同行することを許したのだ。
だが自分にはやらなければならないことがある、自分は誰よりも強くならなければならないのだ。誰かの面倒を見たり、誰かを守ったりするのはもっと強くなってからで良い。それまではルルとミーナに火の粉が降り注がないよう注意していれば良い、彼はそう考えていた。
彼は、リンプフェルトにミーナを置いていくつもりである。彼女が迷宮の中でやっていけるかは疑問であるし、ルルのように強力な防衛能力のない彼女のことを一々気にかけてやるだけの余裕を保つことは難しいだろう。ルルの回復能力が魅力的であることを理解した上で、彼は一人で戦うことを選んだのだから。
自分は魔物だ、人間とは決して相容れない。このままミーナと一緒に過ごしたとして、彼女が自分の横で生き残るのは難しいだろう。
「ほらっ、行くぞバルパ‼ この調子で行けば明後日には着くぜ‼」
「……ああ、そうだな」
二人は再び、ほんの少しだけ踏みしめられているだけの獣道を進んでいく。一人は強さを求めて、そしてもう一人はそんな魔物の背中を追って。お互いに見るものの違う二人は、全く異なる考え方のもと旅路を急いだ。




