あなたが私を、狂わせてしまうの 3
その後の彼の話を聞いた。どうやら彼は衛兵の二人を殺し、どこかへ行ってしまったらしい。どうやら服装を細かく変えながら逃げていたおかげか補足はされていなかったようだ。指名手配の内容を見ても緑の鎧、中肉中背、四人の人間を殺し逃亡中としか書かれていない。おそらく見つかることはないだろう、もし見つかったとしてもバルパさんならどうとでもなるだろうけど。
彼は目撃情報により、とある小柄な少女と行動を共にしていたらしいことがわかった。その人物も顔を隠していたために特定は出来ておらず、今は背格好を頼りに捜索を続けているらしい。
彼がゴブリンだということを知っている人間は、多分私とその少女だけだ。バルパさんのほとんど半裸の姿を見たあの二人は既に殺されてしまっているし。
あの二人はこのミルドの街では将来を有望視されている人間だったらしい、なんでも女性の方は世にも珍しい魔力感知を使えるだとか。下手をすれば聖魔法よりも珍しい能力なはずなんだけど、バルパさんも、そしておそらくあのドラゴンもそれを持っていたためにさほど特異な事とは思えなかった。
あの二人は第二階層でバルパさんの気配を感じ、そのまま浅い階層の探索依頼を二人の名義で出していた。だがそれがスカに終わり自分達で探し始め、そして見つけたのを最後に人生に幕を下ろしてしまった。その二人が死んだとなれば疑われる最有力候補はその魔物だろうが、その魔物とバルパさんを同一視する人間はほとんどいないと思われる。
二人が探していた何かに殺されると同時、謎の男が衛兵を殺して街へ入り、そして即座に離脱した。この両者に共通項を求めることは当然だ。彼らはダンジョンへ逃亡した犯罪者と考え、それがダンジョンから生まれ自分から外へ出た魔物だとは考えないだろう。
だがそれが当たり前なのだ、ダンジョンの魔物は決して外には出ない。これは有史以来一度も破られたことのないはずの不文律なのである。いったい誰がそんな曖昧な可能性のもとバルパさんを魔物と断定することが出来るだろう。
魔物ではなく人間と考えるだろうから、捜査の方向は東の辺境地域であるリンプフェルトではなく西のトリ・ガガへ向かうだろう。いくら魔物達の混乱でゴタゴタが続いているからと言って国の重鎮や戦果稼ぎの貴族達が大挙して押し寄せているリンプフェルトなどに行こうとする犯罪者がいるものか。可能性を考えてリンプフェルトに別動隊を派遣すること位は考えるだろうが、それでもメインは西のトリ・ガガになるだろう。南に行っても田舎村のいくつかを越えてしまえば後は漁村しかないし。北はそもそも国が違うのだからあり得ないと考えているだろう。犯罪者が他国へ行ってくれるのならそれは最早プラスなのだから。
というか、良く良く考えてみると人を四人殺した犯罪者という程度で捜索隊が出されることもないに違いない。
どうして自分が彼のことをそこまで気にかけているかと言われれば、彼が現在反逆者として国際指名手配されている勇者を殺しその遺品と死体を持っていると知っているからだ。……それ以外にも理由はあるけれど、まぁそれは良い。
私は彼が、世界を揺るがしかねない爆弾を持っていることを知っている。世界を救った救世主が誰かに毒を盛られたという証拠と、彼がその生涯で殺し続けた魔物の素材や見つけた宝物が全てあの袋の中に収まっているのだ。
もしそのことが権力者達に知られてしまえば……と考えるとゾッとする。
彼が同行者として連れていたのは少女だ、彼女がバルパさんと同様にダンジョンで生まれた見た目通りの年齢ではないなどという確率はほとんどゼロに近いだろう。と考えると彼女は恐らく彼が持つもののスゴさを真の意味で理解してはいないだろう。いくらでも物の入るすごい収納袋とたくさんの魔法の品を持っている、くらいにしか考えていないはずだ。
それが現在人間界の主流派であり勇者を反逆者認定した星光教を追い詰める鬼札となることも、彼が聖剣や上級鑑定すら跳ね返すほどの魔法の品を多数所持していることも、それを知られればどれほどバルパさんが強くとも数の暴力で殺されてしまうであろうことも理解していないに違いない。それにバルパさんですら正確にそれを理解しているとは言い難いだろう。前日にそれを教えてもらってからなるべくその危険性を伝えはしたが、真の意味でそれをわかってくれているとは思えない。
勇者の死体を死霊術師が行使すれば、あの大量の物品を使って世界の物流を壊せば、その物品を使い魔物側を強化させていけばと最悪に近いシナリオがいくつも思い浮かぶ。
「…………私だけだ」
「どうしたんだ、ルル?」
ルーニーさんの声は耳に入らなかった。そんなこと、バルパさんとそれを取り巻く世界のうねりと比べれば本当にちっぽけなものでしかない。
私だけだ、彼が本当に危ない綱の上を片足で歩いているということを理解しているのは。
その本当の使い方を教えてあげられるのは。
バルパさんは優しすぎる、本当に物事を知らなかっただけでその性根は明らかに善性だ。
彼を食い物にしよう、彼の善意にすがり付こうとする人間は必ず現れる。本当の意味の、戦闘以外の部分での人間の恐ろしさというものを彼はまだ理解していない。権力、政治、法、金。戦闘とは違う場所でがんじがらめになれば、彼はきっとあの勇者の無限収納を捨てざるを得なくなる可能性だって多い。
私や同行者の少女のためだと言われればきっと、彼は魔法の品を捨てるように与えてしまうだろう。
どうすれば良い、私はどうすれば……。
『すまない』
思い浮かぶのは私の意識を刈り取った時の彼の姿だ。簡素で、それ故に実情のこもった一言は、既に記憶の中にあるはずだというのに今でも私の心と体を震わせる。
「行かなくちゃいけない」
私は立ち上がり、ルーニーさん達の方を見た。私のことを救ってくれた騎士様。籠の中の鳥だった私を外へ出し、大空を羽ばたくだけの実力が有りながらも私と共にいることを選んでくれた殿方。
彼は私にとってダメなお父さんであり、そして憧れの人でもあった。
こんなダメな私を、ここまで育ててくれた彼に恩義以外の気持ちがあったことは否定しない。それを否定するということは、きっと今までの私自身を否定することになってしまうから。聖魔法が使えるようになったことも、今の私があることも、全部全部ルーニーさんのおかげなのだから。
だけど今は、今からはその気持ちに封をしよう。親への気持ちと言うには少しばかり熱がこもり、恋慕というには少しばかり穏やかすぎるこの健やかな感情をそっと奥にしまいこもう。
「ルーニーさん、私は今をもって暁を辞めます」
「なっ……どういうことよルルッ‼ あんたルーニーのことを何だと思って……」
「黙れスージー‼」
ビクッと体を振るわせるスージーには視線をやらず、ルーニーさんはじっとこちらを見つめていた。
「…………そうか、わかった」
「あんた、あんたねえっ‼ ルーニーが一体今まで、どんな気持ちでっ‼」
「スージー、そこから先は言っちゃ駄目だ」
トゥンガの言葉に押し黙る彼女をちらと見やってから、私は深く礼をした。
それ以上は私も、誰も口を開こうとはしなかった。
遠出の準備を終え宿を後にする私を、誰も見送ろうとはしなかった。それも当然だろう、私が彼らにしたことは自分を拾ってくれた恩義のある人間への裏切りに他ならないのだから。
思うことがないではない、だが私は今やらねばならないことがある。
自分が一体バルパさんのことをどう思っているか、それはいまだにわかっていない。だからこそ、彼に会いに行かねばならない。彼を助け、彼を取り囲もうとする悪意を潜り抜けた時、私は……。
「それはまた、その時になれば考えれば良い。だから……」
それは先送りでしかないことは自分でもわかっている。
私がバルパさんに抱く気持ちも、きっと上手く言葉には出来ないものだ。
言葉というものはどうしてこんなにもどかしいのだろう。本当に大切なものは、いつだって言葉にはならない。
私は最後に、宿の奥で集合している四人の宿の方向にもう一度だけ礼をした。
そのまま上体を起こし、踵を返して通用門へと向かう。
途中で私は憂いを取り払いすっきりとした頭で考え、そして不思議に思った。
一体私はどうして、こうやって考えるほど大切だと考えているバルパさんのことを殺さなくてはいけないと思ったのだろうか、と。
その答えは門を抜け東へ向かう道中ずっと考え続けたにも関わらず、一向に出なかった。