変わらぬ日常、変わる世界
ダンが彼主観で少しだけホロリと来てから、ある程度の時間が経ち、皆の様子も落ち着いてきた。
先ほどまでの醜態を隠すように、ダンは上を見上げた。赤く腫らした目からは、既に腫れが引き始めている。
それは普通の人間にはない、異常な回復能力だ。だがダンはその力を持っていることに今では感謝すら覚えていた。それはもう、彼が忌み嫌う力ではなく、彼を動かす原動力の一部だとすら今は思っている。
「ふぅ……君達は、どうするんだい。以前行ってた通りに、バラバラになるの?」
「はい、それはもう決めたことですから」
「そっか、それならもう何も言わないよ」
喉の奥に込み上げてくるものは消え、視界の霞みはなくなった。身体の立ち直りの速さぐらいに、僕の心の修復速度も速ければいいのに。
ダンは彼女達が言っていた予定を思い出す。
彼女達は皆、故郷に帰りたいものだとばかり思っていた。だが意外なことに、自分のふるさとへ帰ろうとしているのはヌルとアミの二人だけだった。
残る四人、ティルとリューン、イツネにハツネは四人とも、口減らしとして家から出ていくことになった農家の子供だった。自分から言い出したティルや気が付けば馬車にのせられていたリューン等その理由や行程は違えど、彼らは皆共通し、古巣から自分の居場所をなくしている少年少女だったのだ。
彼らはダンに教わったことを肝に命じながら、冒険者をするらしい。
ダンは今まで何百何千という冒険者達を殺してきた。彼らの末路が碌なことにならないことを、彼は知っている。街の有力者達の捨て駒として使われたり、騎士団の先鋒になって命がけの偵察をやらされたり……彼らの用途は、大抵の場合酷いものだ。
だが確かに他に何をするとなっても、彼らに戦う以外のことは出来ない。
まだ成人にもなる前の、親の農作業を手伝っていた程度のことしかしていない彼女達に、まともな働き口など最初から残っていないのだから。
商会で働かせるために算術なりを習わせたり、メイドとして雇われるためにある程度の礼儀作法を教えた方が良かったかもしれない。修行を初めて五日が経過してから彼女達の予定を聞いたときには、そう思ったものだった。
だがそれはダンが既に彼女達に情が移っているが故の判断であり、彼自身あまり冷静で適切なものではないという自覚があった。
だからこそ気付いてからも彼は普段通りの対応を心がけ、彼女達を鍛えたのだ。
強くなければ困ることは多いが、強くて困るなどということは滅多にないことだから。
「もう会えることもなくなるんでしょうね」
「そうだね」
「いつ、行ってしまうんですか?」
「……いつなんだろうね」
「そんな他人事みたいな……」
ダンは取り敢えず、ヌルとアミを返すことを決めていた。だから四人とは、この場で別れることになる。
一期一会というのは当たり前のことであり、この世界で一度別れた人間と再会することは、そう簡単なことではない。
ティル達がどこを拠点にするのかなどわかりはしない。根無し草な彼らは稼げる場所へと行き、稼げなくなればまた別の場所を転々としていくのだから。
これで終わりなのか、とそう考えて今までは思考を止めていた。
だが今のダンは、それまでとは少し違っていた。そこから先を考えようとする強い意思が、今の彼にはみなぎっている。
「とりあえず僕は二人を家に送る。だけどただ帰すだけというのもつまらないから、行く道で適当にまた何人か拾って来ようと思っている」
上手くいくかはわからない。だがダンは上手くいかせたいと、そう強く考えていた。適当な場所で彼女達を野垂れ死にさせたくはないと。
「ティル、イツネ、ハツネ、リューン。金と装備を整えさせるから君達を僕が雇おう」
自分がしていることは、世間一般的に見ればあまり宜しくないことだということはわかっていた。だが自分がしたいことは、これだというある種の確信があった。
「とりあえずスラムの子供達を適当に連れてくるから、彼らのための場所を作っておいてくれ。金に糸目はつけない」
ダンは四人に魔法の品を渡し、彼女達をガチガチに武装させた。これだけの装備を整えていれば、そう簡単に殺されることはないだろう。死なないための方法は、一週間で叩き込んだつもりだ。
「……いいんですか?」
「いいんだ、僕は一人じゃ大したことは出来ないと、そう気付いたばかりだからね。というか君達こそ、僕なんかの下についてもいいのかな?」
一も二もなく頷く彼女達を見てから、ダンは少し考えて、収納箱にしまっていた皆のプレゼントを自らの首にかけた。
「僕はこれから、この世界から奴隷と孤児を慚減させていく。冒険者として活動できるだけのマニュアルか互助組織を、ギルドと提携するような形で大きくしていくつもりだ。活動が大きくなるだろうから、以後はあまり法を破らないつもりではいる」
彼は決めた。ヌル達のようなただ徒に消費されていく命の蝋燭へ、自分が強い灯りを点してやろうと。
自らに何も与えてくれなかったこの世界に、一矢報いてやろうとそう決めた。
「言ってみればこれは、世界への反逆だ。奴隷制度を壊し、富める物の富を貧者にも分配させるような、そんなシステムの再構築をするわけだ。だから当然、反発も多いだろう、色々な人間から恨まれ、今上にいる奴らは少しずつ引きずり下ろされていくことになるだろう」
奴隷制度というものは、基本的にいずれ壊れるものでしかない。効率的な生産を行い、国を富ませるためには、数百年という長いスパンで見ると奴隷は不適切なものでしかないからだ。今いる奴隷も、あと数百年もすれば農奴なり小作農なりにかわり、この世からは消えていくだろう。
だがその数百年をただ座して待つことを、ダンはよしとはしなかった。彼は自分の手で世界の流れを加速させ、奴隷という制度自体を根絶させる腹積もりであった。
そんな新しいことを始めれば、当然反発や反抗も数多く発生するだろう。だが彼はそれら全てをねじ伏せてでも、目標を達成するつもりだ。
自分は人間側の世界を変える、彼は自分の役割をそう規定していた。
魔物の領域という一番大きな奴隷の生産地に関しては、彼は何も心配してはいなかった。
きっと自分よりも上手くやれるだろうとあるゴブリンの存在を、知っていたがゆえに。
六人全員が頷き、彼に恭順の意を示す。どうやら帰ってから、アミとヌルも協力してくれる腹積もりらしい。
「そうだね、それじゃあ…………この首輪を、全員分作ろう。首輪は動きにくいから……腕輪にしようか」
そっと喉元を撫で、茶色の首輪に触れた。
自分を束縛し隷属させるものでない、自分を大きく羽ばたかせるための首輪。
これを僕の活動の旗印にしよう、ダンはそう思った。
「隷属じゃないから……解放の、自由の腕輪とここに命名しよう。下手に睨まれないよう仮の名前は考えるけど、本当の名はこれでいく」
これからのことを考える上で、とりあえず活動に最適な場所を見つけるまで、ダンと六人は行動を共にすることを決める。
彼らが七人で過ごす毎日は、もう少しだけ続くこととなった。




