気付き
「私達を強くすれば、結果的に千人よりもたくさんの人間を救うことが出来るようになると思います」
「……」
ダンは何も言わず、手のひらを上に上げてヌルへ続きを促した。
「一生懸命鍛えてくれたら、きっと私達は強くなります。別れてから私達が頑張って人助けをすれば、結果的には千人なんかよりもっとたくさんの人間を助けることが出来るようになるんじゃないでしょうか」
「……君達が誰かを助けるという保証がどこにある? これは僕の経験則だけど、ひどいことをされた人間というのは自分がされたことを他人にも強要するようになることが多い」
「私はそんなことしません。仮に皆が人殺しになったのなら、私がその分も補えるくらい人を助けます」
「……」
ヌルの言葉を聞き、ダンは黙って下を向いた。彼女が不安げに身動ぎしているのを察したが、恐らく彼女の予想と今の自分の考えは逆のものだろうと、ダンは確信していた。
誰かを助ける、そうすることが今自分に出来ることなのだろうと考えていた。そして心の中のどこかで、それは全て自分でやらなければならないものなのだと思い込んでいる部分があった。
自分は誰かを頼ったことがない。頼れる人など今まで一人もいなかったし、頼らねばならないような事態に陥ったこともなかった。
他人を頼る、その考えが一度も浮かんでこなかった自分自身に対し、ダンは正直なところかなり驚いていた。
(誰かを助けること、誰かを救うこと、人を殺さないこと……そればかりを考えていたせいで、いささか近視眼的だった)
自分からはまだ、以前の生活が抜けきっていない。
誰かの言いなりになっておけばよく、そうすれば正しいと思い込むことが出来た最低に近く、しかし悩む必要のない生活。その生き方のせいで彼は自分の力を何よりも尊び、自分と自分の目的以外の全てを切り捨てる癖がついていた。
切り捨てずに残せばそれが回り回って自分一人で動くより良い結果を残せる。そんな可能性があることにさえ、言われなければ気付かなかったほどだ。
仲間が欲しいと言っている人間が誰かを頼るという考えすら浮かんでいないのだから、とんだお笑い草である。
「僕は最適を選んだつもりだったけど…………最適よりも良い、最良という選択肢があることには気付かなかった」
誰かを頼る、信じて任せる。そういった経験は今まで一度もなかった。だから今彼女達を信じ彼女達を鍛え、一週間で将来何千人何万人という人間が助けられるという可能性を選び取る。
何度考え直してみても、それは悪くない考えであるように思う。
騙されるかもしれない。もしかしたら力をあげたら逃げられ、彼らが大量虐殺を始めるかもしれない。
だがそんなことを言い始めたら、決して仲間などというものは作れない。
仲間を作るためには、まず信頼が必要なのだから。
もし逃げられたとしても、それをいい経験だったと思うことにしよう。
自分はそういった、自分がまだ知らぬものを探し正解を見つけるために、ここへやって来たのだ。間違いをすれば、正しいことがなんなのかを探る一助になるに違いない。
「それに……一週間程度、別に大した時間じゃないからね」
「そ……それじゃあ……」
明らかに期待した様子のヌルを見て、ダンは自分よりもバカそうな人間にやりこめられたような形になることを、少し悔しく思った。そして自分はこういう時に悔しさを感じるのだと、納得して現実を受け入れた。
「一週間で君達を鍛えよう。まぁのたれ死にたいっていうのなら好きに逃げればいいけど、僕は強さはあって困るものではないと思うけどね」
ダンがヌルの後ろで縮こまっている五人へ居抜くような視線を向けた。それだけで小さな悲鳴があがる。鼻につくアンモニア臭のせいで、彼は一気にやる気をなくした。
「ここで一晩泊まる。明日の朝までに逃げたい人は逃げておいてね」
それだけ言うと彼は少し彼女達から距離を取り、幹を伝って木を登った。そのまま太い枝に体重を預け、耐久度が十分かどうかを確認する。そして背中をゴツゴツとしたウロに預けながら、下の方で聞こえている元奴隷達のぼそぼそとした話し声を聞き取った。
自分がヌルと話をつけた形になるが、彼女以外の者がどうするのかはわからない。
逃げるもよし、逃げずに辛い目に遭うもよし。どちらにせよあまりいいものではないだろう。生きること、ただそれだけのことがどれだけ難しいことだろうか知っている彼は、実感の籠った口ぶりで呟く。
「逃げるのは……楽だ。だけど逃げてばかりじゃ……望んだものは、手に入らない」
自分は勇者になること、聖剣を手に入れるということにひどく固執した。そうやって自分のベクトルを一方向へ向け、本当の問題から目を逸らして生きてきた。もちろん勇者になりたいというその気持ちは、確かに本物だった。だがそれがまともに生きていくことの出来ない自分が描いた夢想であるということもまた事実だった。
ダンは自分が逃げてばかりいたと、今はそう思っている。彼はどこかで、諦めてしまっていた。現実と折り合いをつける方法を学び、現実と直面することから逃げていた。
今ダンは、人として生きている。誰かに束縛されることも、命を担保に取られ何かを強制されるようなこともない。
それは自分が何よりも求めていたものであるはずだった。しかし今の状態が何にも増して幸福であるという風には、どうにも思えなかった。
「あるいは僕もまだ……逃げてるのかもしれないね。これじゃあ漏らした彼女達を、笑えないや」
本当に望んでいるもの、自分にそんなものがあるのだろうか。ただの操り人形だった、自分に。
ヌルは生きたいと、そう心から願っていた。あんな風に僕にも何よりも焦がれるものがあるだろうか。或いは今なくとも、これから出来るようなことがあるだろうか。
明日からの一週間でそれがわかったなら……。
とりとめもない思考を続けたダンは、頬に冷たい夜風を感じながら、そっと目をつむって眠りについた。




