生きること、生きていくということ
ダンは自分の持つ収納箱から鉄剣を取り出し、外へ出ようとした。だが自分の後方から聞こえてくる苦しげな声に振り返り、忘れていたことを思い出す。
「……そうだ、首輪をなんとかしておかないとね」
ダンは一応重篤そうに見える者達にはポーションによる応急処置を施してはいた、そこまで呻く理由は隷属の首輪以外に考えられない。恐らく逃げるという行為、もしくは逃げようと考える思考そのものが誓約の範囲にひっかかるようなかなりキツい縛りを設けられているのだろう。
ダンは奴隷を見る機会自体あまり多くはなかったが、それがどういうものなのかを知っていた。そしてその黒光りした魔法の品が、恐らくは自分がかつて所属していた星光教の作り出した作品であるということを察していた。
彼は振り返り未だ袖を握った時のまま拳を固めているヌルの姿を見て、その首にソッと触れる。
自分には聖魔法による解呪など出来ないし、それが出来るだけの魔法の品もない。ただ一応奴隷達を助けるにあたって、僕にしか出来ないことがある。もしかしたらまだ、あれが使えるかもしれない。彼は収納箱の中の見た目よりもずっと大きな空間の中へと手を入れる。
「えっと………よし、取れた」
腰に備え付けた収納箱をごそごそと探してから、彼は金属板を取り出した。
鈍い光を発する薄い板が、ダンが隣の賭場から漏れ出す光を反射した。
「まだ、認証権限が残っているといいんだけど……」
「あ、え、何を……」
もじもじと体を動かしているヌルの首にその金属板を当て、軽く擦る。
するとカチッと何かが外れるような音が鳴り、隷属の首輪がその円環の一部を自身へと収納する。ポトリと実に呆気なく、今までヌルを束縛してきた首輪がなくなった。
「ふぅ、よかった。まだ使えたみたいだね」
「あ……う……え……」
「着けているのが星光教産の首輪で助かったね、魔物の領域さんじゃ僕の管理者権限じゃ動かせなかっただろうから」
パクパクと口を動かすヌルは自分に何が起こったのか、現実を見てもなお理解が及んではいなかった。自分が今まで苦しめられることとなったその元凶からあっさりと解き放たれてしまったという現状に、頭が追い付かない。
心のどこかでどうせまた、誰かの玩具になるのだと諦めている部分があった。だがこの首輪さえなかったのなら、自分はもしかしたらもう一度、家族の元へ帰り、普通の農家の娘として生きていけるかもしれない。
今までは無理だと思っていて、そして今でも信じきれはしないそんな夢想が浮かんでしまうほどに、ヌルは今夢見心地だった。
彼女の目の前で自分の同輩、五人ほどの奴隷がその首を縛っていた戒めから解放されていく。
それはまるで虐げられてきた市井の人間を助ける英雄のように見えた。以前聞いた詩人の叙事詩を、その背中を見て思い出す。
現実離れしたダンを見つめどこか浮わついた気分になっていた彼女を現実へと引き戻したのは、賭場の向こうからドタドタと響いてくる足音だった。
「おいお前、なにをやってる‼」
ダンは扉が開かれテントの中の輝度が一気に上がったために、反射的に目を細めた。うっすらぼやけている視界に映るのは五人の男達。
ガタイはいいが大して強くもなさそうだ。恐らく用心棒か警備の人間だろう。
「なにって、首輪を外してたんだ。窮屈そうだったからね、別にいいだろ?」
「いいわけねぇだろクソガキ、お前なにやってるかわかってんのか? あぁ?」
「わかってるよ、いたいけな奴隷達を助けたんだ。ここを潰すついでにね」
「……チッ、狂人か。おい野郎共、かかれっ‼」
ダンの話を聞こうともせず襲いかかってくる男達の短慮さを嘆き、そしてすぐに自分がしていることを考えれば怒るのも当然だと納得を覚える。
自分の所有物を奪われようとしたのなら、抵抗するのは当然のことだ。
自分ナイフを突き立てようとした人間の甲を人差し指で突く、するとペキペキと軽い音を立てながら男の手の骨が何本か折れた。そして衝撃が腕を通して内蔵にまで届き、男は泡を吹きながら後方へ吹っ飛んでいく。
それを見て、攻撃しようとしていた者達の動きが明らかに鈍った。
全力でかかってこられようが恐れて身をすくませながら襲いかかってこられようが大した違いはない、どちらにせよダンの敵ではなかったからだ。
足を止めた彼らを見て、ダンもまた剣を下ろす。
「ねぇ君達、人を殺すのはいけないことだと思うかい?」
ダンがこの場所、眠らぬ街ディスイヤへやってきたのは、ここならば人間の強い感情を見ることが出来るだろうと考えたためだった。
彼は未だ自分が何をすべきなのかわからない。死ぬべきだとも思うし、死んで逃げるべきでないと思う。自分が殺した者達の親族ために生きるというのだって、選択肢の一つだろうと思える。
「僕は人間……つまり君達から見たら善人なわけだ、そして同時に大量殺人鬼でもある」
人を一万人殺したのなら、その倍、つまり二万人を救えば自分はトータルで見れば命の勘定にプラスに働いていることになる。だがそれで本当に、自分が罪を清算したと言えるのだろうか。
いやそれを言えば自分がしたことは罪ですらない、弱い者は弱かったから僕に殺された。そして僕は強かったから生き残った。そこに罪などという物が存在するのだろうか。
星光教には原罪という単語が存在する。それ人間は生まれ落ちた時点で背負っている罪を意味している。
罪とはなんだ? 生きるとは、なんだ? 僕は今……何がしたいんだ? そんなことを自問する日々が続いた。そしてそんな答えの出ない毎日に終わりを告げるため、彼は強い欲望の渦巻くこの場所へやって来た。
強い感情に当てられれば自分にも何かが見えるかもしれないと、そんな希望的な観測を抱いて。
そしてダンは強く生きたいと願う少女を、成り行き任せとはいえ助けた。
「彼女達を見殺しにするのが正しかったんだろうか? 君達を殺すことは、果たして正しいと言えるのだろうか?」
生き物は死ねば終わりだ、だがそれは裏を返せば死ななければなんとでもなるということでもある。
故に彼はこの街へ来る最中、なるべく世間的に悪いとされている者達から金を巻き上げてきた。盗賊からも悪徳貴族からも金だけを毟り取り、しかし命だけは取らなかった。
「君達は生きたい? それとも死にたい?」
だからダンは自分の命を奪おうと襲い掛かってきた男達にも、ヌルと全く同じ質問をした。
「ひ、ひいっ‼ 化け物っ‼」
無防備な背中を見せながら逃げていく彼らの背中を見て、ダンは小さく呟いた。
「どうやら生きたいみたいだ、うん。それなら殺さない」
ダンは一つ頷き、奴隷達の方を見ずに賭場の中へと足を踏み入れていった。




