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ゴブリンの勇者  作者: しんこせい(『引きこもり』第2巻8/25発売!!)
断章 本当に欲しかったもの
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助けるとはなんぞや

 この世界では闇は未だに生活の深い部分にまで根付き、そして染み込んでいる。

 夜空の星々の頼りない光だけでは到底夜目が利くはずもないために、彼らは朝早くに起きて、太陽が沈む前に仕事を終える。

 月がポツンと浮かぶ中、世界は闇の帳に包まれ、そして眠りにつく。

 だが何事にも例外というものはある。

 ほとんどの者が眠る時間帯であっても起きている人はいる。では彼らは起きて何をするのか? その答えは簡単だ。

 彼らは今日も世界を覆い尽くす黒色の簑に包まれながら、闇夜の中で蠢くのだ。

 ある者は非合法な薬に陶酔し、またあるものは消えても構わない者を好き勝手に虐め倒しボロ切れのように使い倒す。

 彼らは今日も眠らぬ街で目をギラつかせる。そう、それは例えば……眠れぬ街ディスイヤのような場所で。



 ゴテゴテとしたシャンデリア、色とりどりの輝きをその身に宿す水晶製の照明具。カラカラと賽の目の回る音、カード同士が滑らかにシャッフルされていく汚い小鳥の鳴き声のような擦過音、誰かの怒鳴り声、笑い声、そして泣き声。

 あらゆる音が渾然一体となって混ざり合うその場所には、聴覚以外にも様々な感覚に訴えかける要素に満ちていた。


 眠れぬ街ディスイヤ。そこは合法非合法を問わなければありとあらゆる物が揃うと言われている賭博街。

 そこには人間のあらゆる感情が詰まっており、誰も彼もがそんな非日常を楽しむ。

 狂っているこそが正常、そんな街にある賭博場は公営から私設のものまで実に数多く存在している。

 ここ、蜘蛛の顋は数ある賭博場の中でもっとも小さく、それ故にかなり危ない物品の取り引きを行っている場所だ。

 みかじめ料だけで息の上がるような小規模の賭博場は、危ない橋を渡ってでも採算を採らなければならない。

 本気で戦っているのは、何も客だけではないのだ。



「ちっ……ツキがねぇや」


 潤いを無くしたパサついた髪をガシガシと掻いている壮年の男性が、目の前からチップを持っていかれる様子を見て小さく唾を吐いた。

 これで文字通りのすってんてん、今日の飯にありつくだけの金もなくなってしまった。


「はい、残念でしたね」

「やっぱイカサマでもしてるんじゃねぇのかい? 賽に細工でもしないとこんなことにゃあならんと思うんだがな」

「勝つこともあれば負けることある、それがギャンブルですから」


 ディーラーの女性を見て中年の男性、レジスは久しく刈り取っていなかった髭の感触を右手で確かめる。

 一体何をおかしいと感じているのか、学のない彼にはそれすらわからない。だがどうにも賭場から金を巻き上げられ過ぎている気がする。

 しかし向こうが明らかに客を舐めたプレイングをしていたとしても、中々賭けを止めることは出来ない。

 わかっちゃいるけどやめられない、それこそが賭博の醍醐味よ。そんな風に考えてしまうレジスは、正しくギャンブル中毒者であった。


「それではまたの来店をお待ちしております」

「おうよ、また来るぜ」


 わざとらしく強調された胸元の谷間をじっくり舐め回すように見つめながら、レジスはテーブルから立ち上がった。

 負けて気が立っていたせいか歩幅は大きくなり、下を向いてチップの一枚でも落ちてはいないかと目を皿にしていた彼は思いきり人とぶつかってしまう。


「おっと、ごめんよ」

「ああ、構わんさ」


 負けていてもそれを他人に当たり散らすのはナンセンス、それがレジスなりの賭博の美学であった。

 謝るだけならただだからとへこへこ頭を下げる彼に、相手は不思議そうな声音で質問をした。


「あそこでは一体、何をしてるんだい?」

「へ……ああ、あれか。ありゃあ扉の向こうのテントん中で碌に売り物にならない奴隷を格安で捌いてんのさ。二束三文で買い叩いた奴隷達を物知らずのバカ共にぼったくり価格で卸す、阿漕な商売さ」

「ふぅん……」

 

 うつむいたままの彼には相手の顔は見えない。だが声から察する限り、それほど年の行っていない少年であるように思われた。

 

「ありがとう、これはお礼と迷惑料だと思ってくれればいい」


 レジスは自分に見えるように下から差し出されたそれを見て、思わずギョッとして顔を上げる。そこには彼の予想通り、いや予想よりも少しばかり顔立ちの整っていた少年の姿があった。貴族のボンボンの道楽辺りだろうか、そんな風に当たりをつけてその全身を見回す。 


「……大したことをしたわけじゃねえが」

「いいよ、僕はもっと儲けるからね」

「……そうか」

 

 下手にゴネて貰えなくなってもことだとポケットに金貨を入れるレジスを見てから、少年が再び歩き始めた。


「いやぁ……神様は見てくれてるもんなんだなぁ。よしよし、これで今まで負けた分を一気に……」

「あ、今すぐ出てかないと下手したら死ぬと思うよ?」


 背中にかけられた声に、彼は再びギョッと目を見開いて振り返る。


「……何するつもりなんだい、あんちゃん」

「言ったでしょ、迷惑料も込みだって」


 そりゃあ質問の答えになってねぇぜ。そう言い切る前に、少年の姿は消えていた。

 キョロキョロと辺りを見回してみても彼がいた痕跡は何一つ残ってはいない。レジスの胸ポケットにしまわれている金貨一枚を除いては。


「……なんだったんだ、一体?」

 

 レジスは一度首を傾げてから……そのまま賭博場を後にした。

 何が起こるかはわからない、だが彼の勝負師としての勘が、この場に留まることをよしとしなかったのだ。

 これが彼が賭けに勝った最初で最後の機会になることを……レジスはまだ、知らないでいた。

 

「しかし金が余ったなぁ……久しぶりにカカに、飯でも食わせてやろうとするかね」


 レジスはまだ知らない。彼がその場で離縁した元嫁と出会い、よりを戻すことになることも。そして改心して働き始め、二度と賭博には手をつけなくなることを。

 彼は妻と子供達と幸せな家庭を築くことになるのだが……それはまた、別のお話。



「…………」


 賭博場である蜘蛛の顋の隣に併設されたテントの中では、幾つもの呻き声と怨嗟の声が漏れ出していた。母国語で各々の恨み辛みを吐き出している者達のすぐ側に、一人の少女が横になっていた。いや、それは本当に少女であるのかどうかも怪しい。小柄な身体と申し訳程度の胸の膨らみがなければ、男女の区別をすることさえ難しいように思える。その少女の顔は、紫色に膨れ上がっていた。海鼠のように大きく水気を含んだ唇は紫色に変色しており、食べ物を口に入れようとしただけで激痛がするほどだった。

 口を開き自分の不幸を嘆くことも出来ぬまま、彼女は世界の厳しさをその一身に引き受け、糞尿を垂れ流しにしながら地面に横たわっている。

 

「…………」


 言葉を発することは、痛みを感じるようになってからは止めてしまった。既にもう何日も口を利いていないし、そもそも日にちを数えるだけの頭を使うことすら、今の彼女には難しくなっていた。

 お母さんとお父さんが誉めてくれていたラピスラズリの瞳は瞼の腫れに隠れ、同村の男の子達を虜にしていた赤の混じったブロンズは、泥にまみれて黒ずんで錆びが浮いたかのよう。

 膨れ上がり至る所の骨が折れている彼女の唯一無事な箇所は、その少し垂れている耳だった。お母さん似の耳が捉えた音は、誰かの足音だった。

 カツカツという硬い音がどんどん近付いてきたかと思うと、自分の目の前で止まる。


「なるほど、ね」

「……」

 

 それが誰なのかは彼女にはわからなかった。こんな状態の自分を嘲りに来た客だろうか、ぼうとした頭でそんなことを考える。

 

「……君は、どうしたい?」

「……」

「喋れないか、それなら…………はい」


 何かが自分の顔にかけられる感触があった。次にもりもりと顔面の肉が動き、修復していく時の熱が顔中に広がっていく。

 自分が何をされたのかわからぬまま、声のする方を見上げる。

 そして見上げることが出来るという事実に驚いた。

 目が、見えている。今目の前に男の子の姿があるのがわかる。

 だがそれほど、嬉しくは感じなかった。少し唇を動かし、痛みが小さくなっていることを確認する。そして彼女は、久しぶりに横隔膜を震わせた。


「……ころ、して……」

「……君の名前は?」


 彼女の言葉を聞いても、少年の態度は変わらない。


「ヌル……」

「そうかヌル、それなら望み通りに殺してあげよう。だけど僕は君の気持ちがわからないから、もう一度だけ聞かせてもらうよ。君は本当に……死にたいんだね?」

「しに……」


 たい、と言い切る前に、ヌルの脳裏に幾つもの思い出が浮かんだ。

 それは自分が奴隷拐いに連れていかれ、望まぬままに他人の玩具となる前の、今に至るまでその心の支えとなった記憶。

 村の周囲の草原の青臭い命の匂い。

 お母さんの少しチーズ臭い体臭。

 いつも髭剃りをさぼってばかりいたお父さんのジョリジョリとしたあごひげ。

 浮かんでしまった思い出は、そう簡単に消えてはくれない。脳裏にこびりついて離れない記憶の欠片が、彼女の口をわななかせる。


「……たい」

「……声が小さいよ、どっち?」

「しにたく……ないよっ」


 辛いのは嫌だ、痛いのは嫌だ。だけど死んだらもう二度と、お父さんとお母さんには会えなくなってしまう。

 それは……どんな暴力を振るわれることよりも、嫌だった。


「いきたい…………いきたいよっ」


 一度口に出してしまえば、思いは言葉を通して外に出てきてしまう。

 目頭が熱くなり、視界が滲んだ。

 もう一度会いたい。会って心配かけてごめんねって、そうお父さんとお母さんに伝えたい。

 お父さん……お母さんっ‼ 


「……そうか、それならちょうどいい」


 少年がばしゃばしゃと、まるで腐った水でも捨てるかのようにヌルの体に液体をかける。

 折れた骨がくっつき、弛緩していた筋肉は張りを取り戻し、身体の奥には命の熱が溜まっていく。

 呆然としているヌルは次の瞬間、少年が凄まじい速さで動くのを視界に捉えた。

 何をするつもりだと尋ねる前に、彼女を閉じ込めていた檻がガラガラと音を立てて崩れ去る。

 彼は勢いそのままヌルから少し離れた位置にいる幾つかの檻を、次々に切り刻み始めた。

 そしてすぐに彼女の側に戻り、ポリポリと頭を掻く。


「僕がここを店ごと壊すから、どこか適当に逃げればいいよ」


 それだけいうと少年は扉を開き、出ていこうとした。

 ヌルは自分が助けられたのかどうかを気にする間もなく、衝動的に動いてその服の裾を掴んだ。


「あ、あなたの名前は……?」

「……いい質問だね。尋ねられたので、教えてあげよう」


 少年がクルリと後ろを振り返る。何故だかはわからないが、彼は機嫌が良さそうだった。その真っ白な髪と病的に白い肌は、ヌルにはどこか現実味のない姿に見えた。

 自分の身の振り方を考えなければいけないはずなのに、少年の纏う非現実的な雰囲気が、彼女の思考を現実に戻すことを妨げた。


「僕の名前はダン……。どうだい、いい名前だろう?」


 少しだけ口角を上げながらグッと親指を立てたダンに対し、ヌルはブンブンと頭を動かして頷いて無言の肯定を行った。

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