翼ははためいて
バルパが集落に帰ると、ダンが放った魔法の余波でほとんどの家屋が引き倒されてしまっていた。一部の丈夫な建物が辛うじて残っているという様子であり、もしや天使族に被害が出ていないだろうかと彼は少しだけ不安な気分になりながら魔力感知を使った。幸い生命反応や死後直後の霧散前の魔力の反応はなく、ホッと一息つくことが出来た。そんな彼の姿を確認してか、無事だった大きな建物からミーナ達が駆け寄ってきて既に皆が避難済みであることを教えてくれたため、バルパは本当の意味で一心地つけることが出来た。
彼らがバルパを見る目は畏怖や尊敬念等実に様々であったが、家屋を壊したことを叱責されなかったためにそれほど気に病んだりはしなかった。
どういうわけかミーナ達は自分とダンの戦闘の詳細を、その後のやり取りまで含めて把握していた。面食らうバルパに彼女達は詰め寄ろうとはせず、ただ黙して少しジト目で見つめられるだけだった。バルパには案外、その無言の抗議が効いた。
ぐったりしたバルパは戦勝パーティーを開いたりすることもなくすぐに床に着き、久しぶりの睡眠をとった。全力で戦い数多くの傷を負えば、普段は無尽蔵の体力を持っているように思われる彼であっても、疲れるのは当然のことである。
そして翌日、長く滞在して下手に情を移されぬよう、バルパはすぐに出立の意思を告げた。
下手に長居してしまえば、虫使い達の時と同様に天使族を鍛え上げようと思ってしまうかもしれない。
その選択もそう悪いものではないのかもしれないが、今のバルパにはやらねばならないことがある。もし時間が余ったのならば、その時にまた来て一丁揉んでやればいい。
そして朝食をいつものメンバーにレイの母であるミリアを入れて済ませてから、バルパ達はこの場所を去るために立ち上がった。
「本当にもう、行ってしまうんですか?」
「俺にはやるべきことがあるからな」
ミリアの引き止めにも、心が揺らぐことはない。見た目が良かろうが悪かろうが、バルパにとってはそれは至極どうでもいいことでしかなかった。
容姿により誰からも追われていた天使達を守ったゴブリンには、容姿による束縛が通用しない。それはなんという皮肉なのだろうか。
「……」
レイは別れの段になっても、決して懇願したりはしなかった。恐らく言葉や行動ではバルパを説得は出来ないと、共に過ごした旅路の中で理解していたためだろう。
初心を忘れぬよう全身を赤竜の革鎧に包んでいるバルパは、少し不安そうな顔をしているレイの頭をポンポンと撫でた。手甲にかなりの重量があったため、レイの頭部がゴリゴリと暴力的に撫ぜられる。
「……痛いです」
「すまん、間違えた」
すぐに手を離し、少し距離を取って彼女の全身を見つめた。
長いこと隠してきた対の翼が、今は伸び伸びと開かれている。白くふわふわとしている羽の一枚一枚には、粒だった麦のように生命力が満ちていた。
「その剣……治るといいですね」
「ああ、力を見せつけたかと思ったらこれだ。俺はどうにも、武器に恵まれない質らしい」
バルパが無限収納から聖剣を取り出した。一見すると変わらないようにも思えるが、その刀身には微細な罅が入っており、剣先は度重なる剣撃の余波で少しがたついていた。
バルパは右手に持つ聖剣で、取り出した盾をコンコンと叩き、そして再びしまった。そのおどけた様子を見て、レイがくすりと笑う。
緑砲女王、彼が以前使用しており、そして現状使用することが不可能になってしまった元愛用の盾。持ち主に使われていることに歓喜を覚えているかのように、盾に走る赤い導線がドクドクと激しい脈動を見せた。
バルパは常々この以前から能力が変わってしまい纏武を使いながらだとまともに使うことの出来なくなった盾をなんとかしたいと考えていた。
それに加え現在、誇張なく肌身離せぬ状態の聖剣が欠けてしまっている。
故にバルパ達の次の行き先は決まっている。
ヴォーネの生まれ故郷、ドワーフ達の里へと彼らは赴くのだ。
彼女を家元へ帰すため、そしてその高い加工技術により、バルパの武器を直して、或いは改良してもらうために。
その強い決意は、レイにもしっかりと伝わっていた。
だから彼女はこれまで、泣き言の一つもバルパに伝えてはこなかった。
彼が容姿で釣られるような人間だったなら、身体でもなんでも使って引き留めたかもしれない。今ばかりは、バルパがゴブリンであることが口惜しくてならなかった。
そんなレイを見て、バルパは少し違和感に気づく。
まるで隠されていた何かが解放されたかのような、今まで見えてこなかった何かが急に目前に現れたかのような、そんな気持ちに囚われる。
「……どうかしましたか?」
レイの声も聞かず、バルパは彼女ににじり寄った。
そしてそっと、その首元に触れる。
隷属の首輪、彼女を奴隷にやつした忌まわしき魔法の品。
その黒い環に指先を当てた。
レイが何かを言おうとする前に、バルパは黙って魔力を循環させる。聖剣により増幅させたそれを利用し、彼は新たに脳裏に浮かんだ魔撃を使った。
彼の指先に、緑色の光が宿る。チカチカと瞬くその光が首輪に吸い込まれていくのと同時、パキッと何かが折れるような音が聞こえた。
まるで砂で出来ていたかのように、首輪がボロボロと無形になって崩れ落ちていく。
黒かったそれは足元の砂と混じり合い、最早判別がつかなくなってしまった。
奴隷だった彼女を解き放つ新たな聖の魔撃、バルパは新たな力を今この瞬間に習得した。
呆然としていたレイが、そっと首に触れる。ゴツゴツとした武骨な首輪は、既に影も形もない。彼女の自由を奪う物は何も存在しないのだと、鎖骨を撫でる手のひらの感触がそう教えてくれる。
羽根を踏まれ、飛び方を忘れた籠の中の少女は今、自らを縛ってきた戒めから解放された。
そのことが徐々に徐々に、実感として湧いてくる。
小刻みな揺れは大きくなっていき、口許はわなわなと震えた。瞳は潤み、その光彩の中の輝きは、以前よりも一層美しく、命の煌めきを宿している。
「ズルい…………ズルいですっ‼ ホントに、ズルい……」
「お前は自由だ。これからは伸び伸びと、羽根を伸ばせばいい」
レイが硬い感触も気にせずに、バルパに抱き付いた。
彼は彼女の羽根を壊れ物のように撫でる。
「羽根、一枚……取っておいてください」
「わかった」
痛みを感じないようそっと抜き取ったその羽根を、バルパは無限収納から取り出した透明なケースの中に入れた。
「泣くな、別れづらくなるだろう」
「わ、私だって……我慢しようとしたんですっ‼」
せめて最後まで、いい子でいられるようにしないと。そう自分に言い聞かせていたはずなのに。
折角我慢してたのに……なんで、なんで別れ際になってこんなことをするんですか‼
別れが辛くないはずがない。だってあなたに拾われてからの毎日は……それまでよりもずっとずっと、楽しかったんですから。
あなたは、あなたは本当に……
「悪い……人ですっ……‼」
「人ではなく、ゴブリンだがな」
レイのいっそう強くなる抱擁を、バルパは黙って受け入れた。
「悪い奴ね」
「ああそうだ、バルパは本当に悪い奴だ」
後ろで騒ぐミーナ達の声を聞き苦い顔をしながら、バルパはレイが落ち着くまで近くから、その翼を見つめていた。
いつかレイが大空へ羽ばたく時がやってくると、彼は信じて疑わなかった。
にこやかに笑うレイが空から彼に手を振っている。そんな光景を思い浮かべながら、バルパはその羽根を撫で付けた。傷つけてしまわないように……そっと優しく。




