人として生きるということ
少年の身体が光り始める、それを見て二人は怪訝そうな顔をした。
「……どうして君がそんな顔をしているんだ」
「俺も使うのは初めてだったからな」
「……一体、何を使ったんだい?」
そう尋ねられたバルパは悪びれもしない様子で言った。
これはお前を、人間にする魔法の品であると。
バルパは今までに何度か、人間になろうかと考えたことがある。
人化の腕輪を使うだけで基本的に姿形を変形させたりはしていなかったのだが、やはり彼もまた人間になった方が色々と楽なのではないかということくらいは考えたりもするのである。
その時彼はいつも、ガラスの容器に込められた液体を眺めては、再びそれを無限収納へとしまっていたのだ。
以前無限収納から取り出すことに成功していた、自分が人間になるための薬。
人として生きるのか、ゴブリンとして生きるのか。今はもう魔物としての生を全うすると決めていたが、未だに完全に誘惑を断ち切れたとは言いがたい。
ただ大抵の場合かなりの数がストックされている無限収納であっても、この人間になるための薬は一つしかなかった。
また人間をゴブリンに変える薬はないために、一度人になってしまえばもう元に戻ることは出来ない。
バルパはそんな替えの利かない魔法の品を、少年に使ったのである。
ゴブリンを人間にする薬が果たして他の魔物をも人間に変えることが出来るのか、そこは心配してはいなかった。
無限収納から目の前の男を人間に変える物と念じ、この液体が出てきたからである。
光りに包まれる少年の身体には、一見するとなんの変化も見受けられない。
(……いや、違う。何も変わっていないというわけでもなさそうだ)
見た目には変化のない少年ではあっても、バルパの魔力感知は今目の前の少年の肉体が刻々と作り替えられているということを彼に教えてくれていた。
強引にいくつもの魔力を重ね合わせていたかのような反応が徐々に重なり合い纏まって、一つに結び付いていく。それに伴い少しずつ魔力の総量が減少していくのが、バルパには手に取るようにわかった。
(弱くなるのなら、人間にならなくてよかったな)
腕を組んで頷くバルパ、その先には自分に何が起こっているのかを未だに理解できていない様子の少年の姿がある。
敵のリミットをなくしてしまうような行為は、普通に考えれば間違っているだろう。
恐らくバルパの立場になったならば、百人中百人が彼を殺す選択肢を選ぶと思う。
だがバルパは決めた、弱き者達を助けると。
確かに少年は強いのかもしれない、現にバルパは一度負けたのだし、自分もその知り合いもまとめて殺されかけたという実績もある。
だがバルパには破れ悔しがる目の前の彼が、ただ泣いて駄々をこねる子供のようにしか思えなかったのだ。
彼もまた、弱いのかもしれない。そんな気持ちが少年を即座に殺そうとするバルパの手を鈍らせた。
戦いを通してバルパは彼が以前の自分と同じであることをしっかりと確信できた。
一事専心とばかりにそれ以外の全てを切り捨てようとするある意味で強く、そしてその実非常に脆いその在り方。それを知ってしまえば、バルパには彼は殺せない。
ミーナやルル達のように、物を知らぬ者に教え諭し導いてくれる師が、彼にもまた必要なのだ。
少年の魔力の減少が止まる。そして以前はおどろおどろしかった反応は、ただの強い人間のそれに変わった。
「これでお前は死ななくなった、ならばどうする?」
「……ほん、とうに? 本当に僕が、人間に……」
「お前はもう、自由だ」
「…………」
少年の目的である聖剣を渡すつもりはなかったが、それ以外ならばある程度融通を効かせるつもりだった。
「倒すならば、自分より強い者にするべきだ。俺はそう、人間社会で学んだ」
自分より弱い者を殺すならば、それ相応の理由がなければそれはただの弱い者虐めになってしまう。それは強者の行使出来る当然の権利ではあるが、そんなことをしても残るのは、モヤモヤとした感情ばかりだ。
「弱者を殺すのは構わない。ただ俺の手の届く範囲ではやるな」
バルパは今、守らねばならぬ物がある。
例えばそれは自分と行動を共にしている者達であり、リンプフェルトに残した知り合いであり、そして虫使いやレイの関係者である天使族達だったりもする。
彼が守ろうとしている者は多いが、バルパは今はそれを守るだけで精一杯だった。
いいことではないとは思うが、弱者に言うことを聞かせることが出来るのは強者の特権だ。
少年は強い以上、そうしていいだけの権利がある。それはバルパの思いや心情とはまた別の話でしかない。
だからバルパに出来るのは、こういう言い方だった。
「僕は……」
少年の目に、既に怒りや嘲りはない。
肩に背負っていた重荷が少しでも軽くなったからだろうか、それともバルパが彼のことを打ち負かしたからだろうか。
その瞳は揺れていて、口許はひきつって軽く痙攣していた。
「僕は一体、何になればいい?」
気炎を吐いていた戦闘中の形相が嘘のように、今の彼は親の庇護を求める子供のようにしか見えない。
バルパは回復し始めた魔力で脚力を強化し、一足飛びに魔剣目掛けて飛んでいった。
そして黒い剣を手に取りその感触を確かめながら、ぶっきらぼうに告げる。
「そんなもの、俺が知るか」
彼の言葉は厳しく、しかしその声音には優しさの欠片があった。
「それを探すことを人間は……人生と、そう呼ぶのだ」
魔剣の重さに驚きながら、そっぽを向くバルパ。
彼は自分の師匠に似て、誰かに何かを伝えることがひどく苦手だった。




