名はない、あるのはただ…… 3
速度では勝てない。殴り合い、斬り合いでも勝てない。ならば己が為すべき唯一の方策は……
「絶対的な火力で、お前を焼き尽くす……」
以後のペース配分も何もかもを捨てて放つ、一撃必殺の魔法しかない。
相手の回復量を超すダメージ量を、相手の機動力で捉えられないほど広範囲に放てば、理論上倒すことは十分に可能であるはずである。
一つ問題をあげるとするのなら、倒しきれなかった場合自分がかなりの劣勢に立たされてしまうということだ。
いや、違う。少年は自らの弱気を強引に押し込め、それすらも昂りに変えて、魔力を練り上げていく。
この一撃で倒せなかったらと考えるのではない。この一撃で倒さなければいけないと考えるな。
後のことなどうっちゃって、自分の全てをこの瞬間捻り出し、絞り出し、注ぎ込むのだ。
魔力が少年の身体から産み出され、循環を始める。
彼の体表、魔剣の持ち手として選ばれた証である漆黒の魔力に、別の魔力が混じり合い始める。
火、水、風、土、雷、氷、木、光、闇。彼が持って生まれなかった聖属性を除く九種類の魔力が混ざり合い、黒と重なってグラデーションを作っていく。
火属性の赤は炎の中心部の色から火花のような鋭い橙、夕闇の色へと。
闇属性の黒は更なる漆黒の魔力に包み込まれ、そこにあるものの存在を消してしまいかねないほどの希薄で、しかし濃密な黒を描き出す。
そこにあったのは、虹であった。
元々の配列の通りに完璧なグラデーションを成してはいない。
まるで黒く塗りたくったキャンバスに強引に描き込んだかのような汚い何十種類の色。
彼が求めてもいなく、嫌ってすらいた黒色の魔力が今、彼の最も求める物へと変わる。
自らの魔法への空気抵抗を減衰させるため、相手の防御力を減衰させるため。
誰かを陥れるためではなく、誰かに勝つため、全力をもって敵を打ち負かすためのその力を使う。
少年の体内で魔力が循環していく。速度が増していく。
体内を巡る魔力は平面的な線から線への移動から、螺旋軌道を描くような立体的で複合的な動きへと変わっていく。
(全身が……熱い)
彼は腕を天に目掛けて振り上げた。自分の眼下にいるバルパの存在が、今彼が全てを使いきるその理由。
高速かつ高密度の魔力循環に耐えきれず二の腕の血管が弾けた。しかし痛みはない。身体の痛みは既に感じなくなっている。
(まだだ、まだ……まだ足りないっ‼)
高速で循環させていた魔力がまるで生きているかのように彼の体内でドクドクと震えた。
彼の魔力と魔剣の魔力は体内で、そして体外で分かちがたいほどに結合していく。一撃を放つために魔力は巨大化し、膨れ上がっていく。
今はただありったけを、その思いが彼に必死さというものを与えた。
どこか世間を斜に構えて見ていた彼のその瞳には、確かな生の炎が宿っている。
少年が上げた両手の上に、彼の生み出した魔法が現れる。
空一面を覆い尽くす虹色の礫が、彼を見上げるバルパの視界を覆わんばかりに広がった。
星が彼らの眼前にまで迫った、そう錯覚するほどに、少年が放った魔法の一つ一つは輝きをその身に宿していた。
「…………ふっ‼」
少年は身体をたぎらせ、しかし心だけは冷たいままに自らの両腕を震わせる。
魔法を発動させると同時、彼は今自分が生命を維持するために最低限必要な魔力すら使いきり、確殺の攻撃を生み出した。
ただ一面に広がる光の玉が、視界一杯、地平線の先にまで続いている。これが自分に放てる最高威力の攻撃であることを、彼は試し打ちをしなくともわかった。
「がああああっ‼」
バルパがそれを見て咆哮を上げ、少年へ迫る。
俺はお前の攻撃の全てを受けきってみせる。バルパの雄叫びが、彼にはそう言っているように聞こえた。
「…………」
言葉を発する余裕は既にない。狙いを定める必要もなければ、これ以上何かを練り直す必要もない。
少年は億劫に感じながら、自分の両の腕をなんとか下げた。
森に住む魔物、バルパ、少年を問わず全ての生命に向けて死の雨が降り注ぐ。
自分もただでは済まないだろう。だが彼もまた、ただでは済まないはずだ。
少年は自分とバルパに迫る虹色の星々をみながら、自らが発動した一撃の技名を、思い付いた。
「輝くもの、天より墜ち……」
自らの肉を削ぎ骨を穿つ一撃をその身に浴びながら、少年は上がる砂ぼこりの中へと姿を消した。




