決戦に向け
激しい音が、極彩色の森の中に轟いた。群れていた一つ目の鳥達はその剣山のような羽をしきりに羽ばたかせ我先にと空へ立ち、それに続いて中型、大型の鳥類が翼を拡げて羽ばたいていく。
その音の爆心地には、一本の大木が立っていた。すぐ側には切り立った崖があり、そしてその先端部、崖と木の間で一体のゴブリンが座り込んでいる。
「……また、失敗か」
肩で息をしながらなんとか呼吸を整え、ゆっくりと立ち上がるバルパ。彼の視界の先では自らが攻撃の練習相手に選んだ樹木が、半ばほどからその身体を抉られている。
ふらふらとでも歩けるほどに回復してから、彼は大木の木陰をグルグルと周回しながら、何がダメだったのかを考え始める。
「魔撃の同時行使と使い勝手は同じはずだ……それならばどうして上手くいかない?」
バルパは両腕を地面に向け、魔力循環を開始した。そして右手から炎槍を、左手からは風の刃を生み出して足元の草を焼いて刈り取る。
彼はここ最近の絶えずの訓練により、魔撃の同時行使が可能になっていた。未だ行使数は二つのままだが、それでも手数が単純に二倍になったことには意味がある。
目下バルパの目標は、この二種類の魔撃を同時に纏武として取り込むことであった。
ここ二日間の修行の成果により、彼は既に聖属性を除く全ての属性で纏武の起動を可能にしていた。その能力の詳細は使えるものもあれば単体ではまともに使えぬような物もあり実力向上にそこまで寄与はしなかったが、纏武の複数属性行使さえ出来れば事情はまた大きく変わってくる。
彼はせめて残された時間で纏武の同時行使だけでも完成させようと必死だった。もう一つ考えていた彼が求める極致の一端、相手の魔力を取り込み自らの魔力と混ぜ合わせるという技術は、今回は見送りになりそうだった。彼が魔物であり魔力との親和性が高いから可能ではないかと考えていたそれは、実際のところ予想とはほど遠く全くの進展を見ていなかった。纏武の本質は魔撃使用の際魔力の変換から行使の間に、吸収というワンクッションを挟む部分にある。その行程を独立化させそれ自体を魔力吸収という一つの技術に昇華させようという彼の目論みは、数多くの技術的困難により採用を見送らねばならないというのが実情だった。
「調子はどうですか?」
「いまいちだな、このままでは間に合わんかもしれない」
後ろから聞こえる声に答えるバルパは、未だ思索の中にいる。相手がレイであるということもあり、後ろに振り返る時間すら惜しみながら彼は自らの考えを纏めている。
(同時行使の際に自分が得た閃きを使うというのはどうだろうか?)
彼が魔撃の同時起動に成功したのは、とある発想の飛躍がその理由であった。彼は自らの身体を魔力で正中で強引に二つに区切り、そこへ魔撃用の魔力を流し込むことで区分けて二つの魔撃を使えるようになったのだ。その分ロスも大きくなっているのだが、そういった効率上の課題は今はさほど重要な点ではない。
だが纏武に関しては、その技術を使うのは困難に近い。そんな答えがすぐに導き出される。通常の魔撃と違い纏武は身体強化のように、全身に魔力を行き渡らせることにより発動させるものだ。全身を強化しなければ大きな性能の向上は見込めない。
バルパはしばらく勘案し、自分の考えが堂々巡りを続けていることに気付き顔を上げた。
少し休憩をして頭を休めよう、そう考えて振り帰るとそこには未だ立ち去っていないレイの姿があった。彼女は何やら果実を薄くスライスした物をガラスの容器に入れ、彼の方をジッと見つめている。
「これ、どうぞ」
「もらおう」
ずいと差し出されたそれを手掴みで摘まんで食べると、口の中に甘さと酸っぱさが同時に押し寄せてきた。果実の甘さに蜂蜜の甘さが足されており、相変わらず暴力的な甘さが彼の口腔を蹂躙する。喉の乾きを覚え水を取り出し飲んでから、ニコニコと笑っている彼女を見た。隠す必要もなくなりさらけ出されている翼が、パタパタと閉じたり開いたりしている。
「どうしました、惚れちゃいましたか?」
「……お前も随分、元気になったなと思ってな」
レイは既に、両親との再会を終えていた。彼は意識を失っておりその瞬間を完全に見逃していたのだが、どうやら奴隷になったことを咎められ危うく喧嘩が始まりかねない状態だったらしい。
家元へ帰ることが出来て安心したのか、彼が目覚めてからというもの彼女は年相応の女の子らしさを見せるようになった。それは間違いなく、いいことだろう。下手に自分を取り繕っていた今までよりも、こちらを小馬鹿にするような今の彼女の方がずっと生きているという感じがする。
他人を通じて生を実感出来る。生物が寄り添わずにはいられないのには、そういう理由もあるのかもしれない。
「……すいません、私達の事情に巻き込んでしまって」
「何度も言っているだろう。どうせ俺はアイツと戦う運命にあった、それが早いか遅いかという問題でしかない」
バルパは勇者達の歴史を見るなかで、歴代の魔王達が持っていた魔剣が、あの少年が持っていた剣と同一のものであることを理解していた。
自分は勇者ではないし、あの少年も魔王というわけではないだろう。
だが恐らく自分達は、戦う運命にある。バルパはそう確かに感じている。
彼の行動は、別に天使族を救うためのものではない。戦いのついでに救えるのならば、助けることも吝かではないという程度の話でしかないのだ。
自分の都合を多分に孕んでいる現状、レイを始めとする天使族達に感謝されるのはどうにも居心地が悪かった。
「父も母も、感謝しています。バルパさんに」
「そんなことをされる謂れはない、今すぐ止めておけと伝えてくれ」
バルパは誰かに感謝されるというのが得意ではなかった。自分が好き勝手考え、思うがまま行動しているだけで、そんな高尚な考えを抱いてはいない。
守るのも救うのもあくまで自分が出来る範囲で、自分が助けたいと思った者達を助ける。
自分を低く見積もるバルパの言葉は本心からのそれだったが、レイはその様子を見て小さく笑う。
「まぁ、いいんじゃないでしょうか。気付けば祀り上げられるっていうのは、貴種流離譚の鉄板ですからね」
「……ところで昨日と少し、味が違うような気がするのだが」
話題転換が下手くそなバルパを見て、レイはその笑みを深めた。
「じゃあこっちもどうぞ」
改めて差し出されたその果実の蜂蜜漬けを口に入れる。すると今度は昨日までと同じ味がした。
「こっちは昨日までと同じだな」
「どっちの方が、美味しかったですか?」
「どちらかと言えば昨日の方だな、これは甘すぎる。砂糖を直飲みしているみたいだ」
「なるほど……」
容器を良く見てみると、透明な板のようなもので内部が二つに区切られているのが見えた。
「こっちが甘い方で……こっちがそれほど甘くない方か」
一瞬で近づき両方を順繰りに食べるバルパ。味が混じり合わないように仕切りをいれているのは、魔撃の同時行使と発想が似ている。
彼が少し気になったのは、その分け方が妙に極端だったことだ。
「どうしてこの甘い方は三つしかなくて、甘くない方は二十個近くあるんだ?」
「あ、その……失敗作の方は私が作りましたので……」
こんなの果物を切って蜂蜜にぶちこむだけだろうに、どうしてこれほどの味の違いが出るのだろうか。不思議そうに容器を覗くバルパを見て、レイがたじろいだ。
「失敗したのはわかってたので、私の分だけ減らしたんです。ですが捨てるのも勿体ないと思ったので……」
バルパはその容器をじっと見つめながら、妙な気分になっていた。まるで今目の前にあるこのガラスケースに意味でもあるかのように。
聖属性の纏武が使えない原因は、聖魔法を全身に流し込めば身体が内側から勝手に回復を始めてしまうからだ。傷口のない部分に回復をかけ続けると、身体は内側から熱を発し壊れ始める。
「本当はもっと減らそうとも思ったんですけど……せめて少しくらいは食べてもらいたいという気持ちもありまして」
自分は今まで身体を強引に二つに区切るという、魔撃の同時行使の方法論に拘りすぎていた。
そうだ、魔法というのはイマジネーションの結晶。大切なのはイメージだ。
わざわざ行儀良く中心から二つに分けようなどと考える必要はない。もっと言えば分けるなどという考え方すら…………
「ありがとう、礼を言う」
「へっ?」
「お前のおかげでなんとなく、見えてきた」
「そ、それは……ありがとう、ございます?」
バルパは容器を掴み取り、残っていた果実を一息に口に入れた。
「もぐもぐ……俺はお前の作ったものも、嫌いではない」
それだけ言うとバルパは再び修行を再開した。
レイはその背中を見て身体を震わせ、小さく呟きながらその場を後にした。
見えた一筋の光明に執心しているバルパの耳には、その言葉は届きはしなかった。




