一騎討ち、さもなくば
少年は街を抜け出し、一路天使族の集落へと向かった。あのゴブリンはよもや星光教の尖兵ごときに殺されるほどヤワではないと思うが、もし自分が到着するよりも先に聖剣がないなどということになったら全くもって喜べるものではない。もし彼らが回収してしまったのならば、それを自分が手に入れることがどれほど後になるのか、考えることすら恐ろしい。
少年は休みもなく駆け続ける、彼には休息などというものは必要ない。
彼は外見上はどこからどう見ても人間ではあるが、どちらかといえばその存在は魔物の側に近い。
彼は隷属の首輪等の一部の特殊技術を独占している星光教により産み出された人造人間である。その素体となっているものは一応人間ではあるが、彼には実に多種多様な生物の要素が組み込まれている。
ドラゴンの強靭さ、土蜥蜴の再生力、スライムの損傷補填。あらゆる魔物の特性を引き継いだ、星光教が作り上げた怪物こそが彼の正体である。
r11061、それが彼にとって唯一の名称だった。だが彼はその名を自分から使ったことは一度たりとてない。
少年は自分が10000の屍を越えてここにいる実験体であることを知っている。裏切りや不服従を防ぐために彼の体内に、自壊する構成因子が組み込まれていることもしっかりと理解している。彼が自らの生命を保つためには、身体が崩壊を起こさぬよう過回復を抑えるための投薬を行う必要がある。一日一度、錠剤により症状を抑えなければ彼の身体は発熱し、内側から徐々に壊れていき、まともに体を動かすことが出来なくなる。末端から蛋白質が高温で固まり、白濁化していき、そして最後には死に至る。
戦闘による死よりも、自らの肉体によりもたらされる死の方が、少年にとってはもっとも身近なものであった。
文字通り栄養を補給するためだけの最低限度の食事を行いながら進んでいた彼の歩みが止まったのは飛行を始めて二日目になってからのことだった。
「よぉ、やってる? ……おいおいそんな殺気立つなって、お前じゃ俺にゃ勝てんし下手なことはしない方がいいと思うぞ」
彼は自分が考えていた中で最も有り得る可能性を引いたことをヴァンスの登場により理解した。
天使族を、そしてゴブリン一行を守るヴァンスの処置こそが彼が最も憂慮していた事態だった。現状勝てぬ相手が向こうに存在しているということを、彼は人質を取ってなんとかして乗り切ろうと考えていたのだ。
少年自身、勇者スウィフトの来歴を調べた中でヴァンスのことは既に知っていた。彼は敵対者に対し、一切の情け容赦をしないことで有名だ。彼が単機で国を落としたというのは有名な話だったし、その執念深さというかしつこさもまたヴァンスという人間を語る上で欠かせない部分だった。
少年は理解していた、ヴァンスと敵対した時点で自分はほぼ間違いなく殺されるということを。彼が自分と同様瞬間移動の巻物を持っており、自分はいつどこにいても決して安心など出来ぬ状態に追い込まれているということを。戦闘の際、目の前に聖剣を置かれたことでついカッとなって戦いを挑んだことは、正直なところ失敗だった。だがきっと過去へ戻っても自分はまた同じことを繰り返すだろうと思うほどには、彼は自分の愚かさを知っていた。
勝ち目がなくとも、諦める訳にはいかない。
そもそも自分は枷を嵌められた、ただの実験体。
それならばリスクを取ってでも、大きなリターンを狙うべきだ。リスクを取らねば確実に死ぬとわかっているのなら、尚更。自分がヴァンスを避けてゴブリンと接敵し彼を殺し、聖剣を取れる可能性など良いところ万に一つといったところだろう。
だがそれは一万回に一度は、自分が勇者になれるということだった。それは少年にとって、命をかけるに足る理由だ。
星光教の実験動物として一生を終える位なら、死の危険を負ってでも可能性を取りにいく。それを成功させる者こそが自分だと、自分こそが勇者に相応しいのだと、そう彼は自分に言い聞かせ続けていた。
だが残念なことに、自分がゴブリンのもとに辿り着く前にヴァンスがやって来てしまった。
「……過保護だね、そんなにあのゴブリンが大事かい? あの取るに足らない魔物が」
「はぁ? 俺がぁ? 過保護ぉ? バッカじゃねぇのお前、バッッッカじゃねぇのお前」
魔剣を握る彼を見ながら、ヴァンスが頭をボリボリと掻いた。
「別にアイツがどうなろうとしったこっちゃねぇよ」
「にしては僕への対応が迅速過ぎる気がするね」
「自分より強い相手の機嫌損ねても死ぬだけだぞ?」
「どうせ死ぬのがわかってるからこそ、悪態の一つもつきたくなるのが人間って奴なんじゃないのかな」
「ふぅん、人間、ねぇ……」
剃っていない無精髭をジョリジョリと撫で付けながらヴァンスが目を細める。
「まぁどうでもいいや。とりま俺は、お前らの戦いには手出さねぇから。お前も殺さねぇよ、今んところはな」
「……じゃあ一体何しに来たんだい?」
「あぁ? お前が余計なちょっかい出さないようにするために決まってんだろうが。とりま関係ない奴等巻き込んだら殺すからな。お前が殺していいのは、バルパだけ」
「……情に篤いのか、薄情なのか、わからないね」
「死んだらそこまでのやつだったってだけの話だしな。ま、俺が言いたかったのはそれだけだから、んじゃな~」
先ほどまでの闘気はどこへやら、ヴァンスはにへらと笑いながら手を振り、少年の視界から消えた。
「…………なんだったんだ、一体」
とりあえず自分の命が助かったというのはわかった。だが自分より強い人間のお情けで生かされているような気がして、あまりいい気分ではない。
「……だが、邪魔が入らないなら好都合。僕としてもあれが手に入るのなら、文句もない」
場合によってはこれは相手側から叩きつけられた決闘状のようなものかもしれない。要するに彼は一対一で戦え、増援や人質作戦のようなことはするな、そうしなければ自分もまた手を出さないと釘を差しにきたのだろう。
「……望むところさ。むしろ願ったり叶ったりと言った方がいいかもしれない」
少年は正直なところ、あのゴブリンと一騎討ちをして負ける気がしなかった。百回やれば百回勝てるといえるだけの基礎スペックの差と戦闘能力の差がある。それに魔剣の力をほぼ十全に使える自分に対し、あのゴブリンは聖剣の力を部分的にしか使えない。
勿論油断は禁物だ、あのヴァンスが静観するという約束を反故にする可能性だって十分にあるし、あの仲間達が勝手に手を出してくる可能性もある。
だが生きて、自分の願いを叶えられる芽が出てきた。それならばある程度のリスクは甘受すべきだろう。
「少し……準備はしておくか」
少年は魔法を使いながら、先へ進んだ。万全の状態でバルパを殺し、新たな聖剣の持ち主となるために。




