もう二度とない、もう一度
バルパは目を覚ました、だがそれと同時に、自分が未だ眠っているという事実に気付く。
目が覚めていて、同時に昏睡状態に陥っている。そんなある種矛盾した状態だと理解できているにもかかわらず、彼の心はどこか冷静さを保ったままだ。
「随分と、殺風景な空間だ」
彼は今、真っ黒な暗闇の中にいた。一寸先も見えぬほどの黒さがあるはずなのに、どうしてか視界はクリアで、先の先までしっかりと見えている。
あたりには誰もいない。人っ子一人居らず、物の一つも置かれていない。
一体ここはどこなのだろうか。そう考えているバルパの目の前に、白い靄のような物が現れた。
まるで粘土のようにぐねぐねと動くそれは、徐々に徐々に大きくなり人の形を取っていく。
「やぁ、初めまして……って訳でもないんだけどね、実は」
「お前は……スウィフト?」
彼の目の前に現れたのは、自分が自分になれる理由を作り、自分に全てを与えてくれ、そして自分が殺した男……スウィフトだった。
バルパの目の前に立っているが、武威や殺気のようなものは感じられない。生き物が近付いた時に自然使う癖がついている魔力感知を使おうとして、出来ないことに気付いた。
そして魔力を循環も出来ないことがわかり、自分が今鎧も何も着ていない状態であることに気付いた。
粗末な腰布一つを身に付けたその姿は、自分がまだバルパではなく一体のゴブリンであった時のそれと瓜二つだ。
「これはどういうことだ。俺は既に死んでいるということなのか?」
「死んでなんかないさ、まぁ死ぬことはあるかもしれないけれどね。今君は、仮死状態になっているんだ」
粗末な麻布の服を身に纏うスウィフトは、魔力を感じ取れない今ではただのどこにでもいる村人のようにしか見えない。
彼の内心を見透かしたのか、目の前にいる勇者がたははと間抜けに笑った。
「どこからどう見ても普通の農民って感じだろ? 小市民らしさは、結局抜けなかったんだ」
「……なんとなくわかる話だ、俺もやはりどこか貧乏性なところが残っている」
彼の目の前にいる人間は間違いなく勇者だ、彼にはどうしてかそれがわかった。もう二度と会える機会はないかもしれない。だから彼は、自己満足であることは承知の上で続ける。
「すまない、お前の……お前が一生懸命集めてきた成果を盗み取るような形になってしまって。それと、お前を……殺してしまって」
「はは、まぁ僕は子宝にも恵まれなかったし気にしてないよ。出来れば彼女に……ニナに僕の代わりに謝ってもらいたいとは思うけど……それ以外は、本当に気にしてないよ。結果論だけど僕は君に出会えて、君に僕の思いを託せて、良かったと思っているから」
「……必ず、その思いは伝える。俺の命に代えても」
「そんなに大仰にしなくても良いさ、死んでいる僕よりも、生きている君の方が重要だからさ」
なんの気なしに、掛け値なしの本音でそう言っているのがわかり、バルパは彼の人徳というものを感じ取った。自分は死んだなら、もっと汚く迫りミーナ達を守らせようとするだろう。
「ううん、それでいい。それこそが正しい。使える物はなんでも使うくらいの気概がある方がきっと、勇者としては相応しい」
勇者に、君が勇者として相応しいと言われるのは、奇妙な体験だった。
どれほど強くなろうともただのゴブリンでしかない自分が彼とある程度対等に話せているという事態が、どうにも居心地が悪い感じがした。
彼は色々な感情を取っ払うため、首を大きく左右に振る。
「一体、ここはどこなんだ?」
「心象風景さ。君の、そして僕の、僕たちの」
「……たち?」
「すぐにわかるよ……バルパ、今世の勇者」
スウィフトの神妙そうな顔と意味深な発言に疑問を投げ掛けようとして、自分の口が動かないことに気付く。
「人でも魔物でもない、ユニークモンスターの君こそが、この世界に平和をもたらし、皆を幸せにしてくれると、僕はそう信じているよ」
俺は魔物だ、そう叫ぼうとするが喉は全く震えてはくれない。声が出ない中、どこか達観した様子のスウィフトを見ることだけが、バルパに許された唯一の行動だった。
「勇者、ゴブリンの勇者バルパ。君が君のまま強くなってくれることを、僕は願って止まない」
心の中で疑問を浮かべることも出来ぬまま、バルパの意識が薄くなっていく。
「もう二度と会うこともないと思うから、最後に一つだけ言っておくよ」
彼の笑顔が、閉じていく視界の中で妙にはっきりと見える。
「強くなれ、そして……強く在れ。僕が君に願うのは、それだけだ」
バルパはその言葉を反芻する間もないうちに、再び意識を失った。




