笑み
複合魔法『焦獄に至る』の発動原理は、その凶悪な威力と比べると非常にシンプルなものである。風と火属性の素養さえあれば理論上は誰でも使いこなすことの出来るこの魔法は、だがしかしまともに使うこなすことの出来るものは驚くほどに少ない。その原因ははただ一つ、この魔法の使用には莫大な魔力が必要であるということにある。
普通の魔法使いでは到底賄えぬほどの大量の魔力を消費するという一点において、この魔法は二属性の複合魔法としては破格の難易度を誇っているのだ。
大魔法に匹敵する威力を持つと考えると、その仕組みはかなり簡単な部類に入る。その行程は三つ、通り道の固定と気圧差の調整、そして熱線のコーティングだ。
まず魔力により自分から対象に向けて魔力の通路を構築する、この段階で魔力を圧縮し固定させるだけの魔力量が必要となる。世間一般でいうところの魔法使いのほぼ全てがこの段階でふるい落とされる。
次に風魔法を用い、先程の経路に人工的に気圧差を作り出す。
そして最後に高威力の熱線を、圧縮した魔力でコーティングした状態で撃ち込む。
気圧差により部分的な真空の作り出された通り道を行きながら、熱線は速度を加速度的に上昇させ対象目掛けて飛んでいく。
魔力の圧縮が出来るものは、この世界には決して多くない。魔力量は生物の殺害や成長で徐々に増えていくものではあるが、魔力の伸び率に関しては先天的な才能が大きく物を言う。
ミーナにこの魔法を教えたスースですら魔力圧縮は出来ないし、バルパですら未だ体得していない。魔力の圧縮、物質化は飛行や立体機動において不可欠な技能であるにもかかわらず彼は未だその技術へは至れていない。
少なくとも現存している人類で魔力の圧縮を戦闘に支障がないレベルで使いこなせるものは、ヴァンスただ一人である。
彼も魔力量の伸び率はそれほど高くはないが、何しろ彼が殺した生物は桁が違う。戦争の
功労者クラスでなければ至れない領域、それこそが魔力圧縮。
そして恐るるべきことに、ミーナはその場所へと、足をかけていた。
彼女の魔力量の増加ペースは尋常のものではない、その明らかな異常を感知し、スースは自分ですら文献で見たことのないとある魔法を、ミーナへと教えた。
そして彼女は自らの師匠の期待に答えてみせた。
魔力の圧縮には数分の時を要するため、戦闘ではまともに使うことは出来ない。
自らの持つ魔力をほぼ全て使いきってしまうため、一度放てば戦線復帰をすることが難しくなる。
欠点も多く、使い心地も最悪に近い。
だがその魔法はミーナが何よりも求めていた、自分がバルパの役に立てる可能性だった。
彼女は幾つかある課題を強引に乗り越え、苦心の末に魔法を実用に足るレベルにまで昇華させていた。
全てはバルパの隣に立つという……ただその一事のために。
「はぁっ、はぁっ………………」
熱線が周囲の木々を焼き、煙のせいで視界は良好とは言い難い。ミーナはあの怨敵の姿が 確認できないことに歯噛みしながら、取り出した魔力回復ポーションを喉に流し込む。手が震え、足先が痺れ、口にいれた液体を戻しそうになる。
一度の発動で魔力欠乏症になる燃費の悪さはなんとかしなくちゃいけない。胸を叩き、ポーションを戻しそうになるのを必死で我慢しながら、煙の奥にいるであろう敵への警戒を続ける。
魔力の圧縮を固定してから発動までの間にラグがあるという欠点は、ある程度の長さで一度経路を止めておき、発動する少し前に相手への部分までを継ぎ足すという乱暴な方法で解決させた。そのため今ミーナは一度の発動に魔力のほとんど全て、ではなく魔力の全てを持っていかれてしまう。
魔力欠乏症による体調の悪化は、一日に何度もわざと魔力をゼロにしてその状態に慣れるという荒業で乗り越えた。
徐々に震えは収まり、煙も周囲に散らばって視界は広くなっていく。
自分に出来る最高の一撃を放てたという自負はあった、だが……
「……化け物め」
「がふっ……それをどの口が、言うのかなっ……」
やはりそれでも、敵を殺すことは叶わなかった。
少年の土手っ腹には、拳大の穴が空いている。服は真っ二つに切り裂かれているにもかかわらず、その持ち主たる彼は未だ健在だ。
「……気持ち、悪いな、お前……」
「酷い言い草だね」
少年の腹にある穴は、徐々に小さくなり始めていた。
まるで肉体自身が意思を持っているかのように、穴を他の肉が補おうとのたうちまわっている。筋繊維の一本一本がまるで蚯蚓のように這いながら、空いた穴を塞ごうと動いているのは、グロテスクを通り越してある種芸術的ですらある。
「僕の肉体は、究極の人間を目指して作られている。ねぇ僕を傷つけた女、君は人間の到達形って一体なんだと思う?」
ミーナはふらつきながらも少年を睨む。業腹ではあっても、ここは付き合った方が懸命な判断だと考え、とりあえず口を開く。
「それはあれだろ……ヴァンスみたいな人」
「……違うね、あんなのはただの脳筋だ。あれは人間の努力の到達点ではあっても、人間という種の到達点ではない」
少年の腹の穴が消え、まるで生まれたての赤子のようなつるつるとした腹が現れる。
「人間の到達点へは、あらゆる生物の中で最も強い要素を掛け合わしてこそ至ることが出来る。それが星光教の教えでね。人間の肉を捨て、あらゆる生物の霊的な要素を魔力により繋ぎ合わせ霊的に生きる。それこそが究極、ということになっているのさ。僕の肉体には強い魔物や人間の、あらゆる構成要素が取り込まれている。まぁ正直僕自身、自分が人間を止めかけているという自覚はあるよ」
少年が腹を撫でてから顔を上げる。ミーナの横にいるウィリス達が息を飲む音がいやに大きく聞こえた。ミーナは彼の手にある剣を見て、思わず声を出しそうになった。
そこにあったのは先ほどまでの黒の剣ではない。
見慣れているはずの、そしてそんなところにあっては欲しくない錆びた剣が、その手に握られている。
その意味を理解しようとすると、ミーナの頭に拒否反応が起きた。
まさか、いやでも、そんな……
「ドラゴンの強靭さ、アンデッドのタフネス、ヴァンパイアの再生力、あらゆる魔物の力を取り込んでいる僕は、死んでも死なない」
「……人間じゃなくて、魔物じゃないですか。それは教義に反しています」
声の出せないミーナの代わりにルルが口上を継ぐ。少年は上機嫌だからか、ミーナの態度を咎めようとする様子はない。
「魔物が悪なのは魔物に正しい頭が無いから、そして魔物は肉に従い肉に生きているからだ。純粋な魔力によって産み出された人間が魔物を構成する霊的な要素を用いることは、なんら問題じゃない。小賢しいしている天使、とりあえずその右手、貰っておいたから」
少年が剣を持っていない手を持ち上げ、プラプラと動かした。その左手には何か腕のような物が握られている。
いや、違う。腕のような、ではなくあれは……
「ぐうぅっ‼」
「老人は最悪要らないって言われてるし、ねっ‼」
先ほどまで見えていなかったエメーの姿が露になる。
少年の姿が消える。そして次の瞬間、ミーナ達の背後に現れた。
「聖魔法の防護障壁……なるほど、フィラメント化して効率化を図ってるんだね。まぁ無駄だけど」
展開された障壁は一瞬で裂かれた。ルルはその光景を見て、少年の持つ武器が聖剣であることを知った。そしてその意味を、悟った。
「その子らは……魔物、じゃあ殺しておくか」
震えることしか出来ぬウィリスとヴォーネ目掛けて少年が駆け出した。
ヴォーネが咄嗟に土壁を張り、ウィリスは少年を火で包み込む。
「……エルフとドワーフ、珍しいね。まぁ、殺すけど」
少年は全身火達磨になりながら、土を易々と切り裂いて進む。
煌めく刃が彼女達二人へ迫るが、その速度があまりにも速すぎるために彼女達には目で追うのがやっとであった。
小さく呻き声を上げることが、二人に許された唯一の対抗手段だった。
ヴォーネの腹を突き刺すように放たれた刺突が、すんでの所で止まる。
「……おかしいな、殺したはずなんだけど」
「悪いが、死んでも死にきれない理由があってな」
聖剣による刺突が、腹を横にした大剣で防がれた。
その剣の持ち主は、全身を血まみれにしながらもヴォーネ達を背にするように立っている。鎧は既にボロボロに破けており、その格好は思わず目を背けたくなるほどに酷い。
怪我をしていない箇所などないとすら思えるほどに刀傷だらけで、どこからどう見てもまともに動ける身体ではない。死体がゾンビになって動いていると言われた方が、まだ信じられる。
「バルパッ‼」
「バルパさんっ‼」
ルルとミーナが叫んだ。絶望にうちひしがれそうになっていた二人を奮い立たせたのは、瀕死で、しかしまだ確かに生きているゴブリンの後ろ姿だった。
持ち主の接近を感じ取ってか、聖剣が再び光を放ち始める。バルパの全身へ魔力が向かおうとするその様子を見て、少年が露骨に顔をしかめた。
「……くそ、おかしいぞ‼ 僕は確かに、お前を殺したはずだ‼ 死んでも……死んでも僕を虚仮にするのかっ‼」
彼が聖剣を振るう、バルパはそれに応戦して……足をもつれさせて地面へ倒れこむ。
(……流石に、限界か)
これが最後の最後、自分に出来る全てだった。もう攻撃をする余裕はおろか、剣を持つことも、立ったままでいることも難しい。
倒れこむ彼の目の前に聖剣が迫る。まるでバルパを斬りたくないとでも言いたげな様子で、輝いていた剣がその刀身に錆びを浮かせる。
「「「バルパ(さん)‼」」」
彼は自分に死を与える剣を目にしながらも、後ろの声をしっかりと聞き取っていた。
自分に出来ることは全てやった。それで及ばなかったのだから、何も言うことはない。
どうやらここで、自分の生は終わりらしい。
バルパは聖剣と、それを持ちながらどうしてか悔しそうな顔をしている少年の姿を見ていた。
彼の首を断ち切る軌道で放たれた横凪ぎが、その首の皮を裂き、出血を強いる。そしてそのまま動脈を突き破り骨へ到達……することはなかった。
ガキィンと硬質な音がなり、首にあった圧迫感が消える。
倒れながらバルパは、小さく笑った。
地面に倒れていく状況は変わらない。だが一つ、大きな違いがあった。
彼の目の前には、大きく広い背中が見えている。
バルパが頼り、目標とし、いずれ肩を並べようとした男の姿が、そこにはあった。
「よぉ、待った?」
振り返りその白い歯を見せて笑いながら、大男はバルパへ笑いかける。
人類最強の男、Sランク冒険者『無限刃』のヴァンス。
唯一勇者と肩を並べることの出来た男が今、新たに戦場へと現れた。




