転々
バルパは自分が死んだことを直感的に理解した。明確な理由はない、信じられる客観的な根拠は何もない。
だが間違いなく次の瞬間、自分の命の灯火は音を立てて燃え尽きるだろうという確信があった。
「これ、疲れるからやなんだよね。同種の剣を使ってるんだから、君もわかると思うけど」
白髪の少年の口調は、出会ったときのどこか厭世的で儚げなものへ戻っている。だがその透き通るような白い肌を這うように全身を包む黒の膜は、まるでこびりついて変色した血の塊のようにグロテスクだ。白と黒のその奇妙なコントラストは、綺麗な絵画に泥を塗りたくっているような背徳さを感じさせる。
一挙手一頭足を見逃さぬようしていたバルパが息を吐いた次の瞬間、彼は横倒しになり、右の腕に黒剣を突き刺されてしまっていた。
鋭い痛みが襲ってくるが、最早痛覚が麻痺しかけているバルパには然して問題ではない。
気を抜いたつもりは毛頭なかった、しかし自分は今彼に地面に倒されてしまっている。聖剣を持つ右手は黒の剣により縫い付けられてしまっており、動きを制限された形だ。
「えっと……これだね、多分」
バルパが纏武を止め通常の魔撃で自爆覚悟の一撃を放とうとすると、彼の右腕につけていた腕輪が少年の放った水の刃によって半ばから真っ二つにされた。天使族と話をするときには見た目が不利になるだろうと事前に着けてきていた人化の腕輪は、今まで何度も激戦を潜り抜けてきたのが嘘であったかのように、意図も容易く断ち切られてしまった。
柔らかな光を発していた円形は半円へと変わり、滑らかな側面を見せつけるかのようにことりと地面に落ちた。そして人間に擬態していた彼の姿が、本来のそれへと戻っていく。
壊れ、欠け、至るところが露になっている兜からこぼれだしていた金髪が、消えていく。
少し茶色がかった白色の肌が変色していく、汚ならしい緑色へと。歯が黄ばみ、目が濁り、頭部が盛り上がると、その正体は最早誰が見ても明らかだ。
「ゴブリン……なのか?」
「ごほっ……ああ」
少年が全身を震わせているのが、身体に突き刺さっている剣を通じてバルパへと伝わってきた。
「なんで…………なんで貴様のようなカスが、その剣を持っている‼ 剣はどうして、貴様を選んだっ‼」
「……さぁな」
「答えろ、さもなくば殺す。まぁ答えても、すぐに殺すけどね」
わざとらしいほど大振りに腕を動かして、グリグリと剣でバルパの右腕に穴を開けていく。思わず呻きながら、バルパはここが相手のウィークポイントであることを明確に悟った。
肉体は既に動きを止め始めている、少なくとも戦闘面に関して言えば彼に出来ることはないと言っていい。だからこそ彼は口を動かした。
「勇者は俺を、選んだ。それと同じで……聖剣もまた俺を選んだ。それだけの……ことだ」
「……ふざけるなよ、それは魔物なんかが持つには過ぎた武器だ。継承方法があるのか? それとも持てば持ち主として認められるのか?」
少年が夢見心地で顔を蕩けさせる。目の前に瀕死の魔物がいて、全身を返り血で真っ赤に染めている人間のしてよい顔ではないとゴブリンであるバルパをして感じるほどだ。
「ああ、ああでもでも……今僕の目の前に聖剣がある。しかもそれを持つのは魔物。聖剣を魔なる物から奪還してこそ、真の勇者ってものだ」
少年が屈み、バルパの右手に握る聖剣へその手を伸ばす。
バルパは今、聖剣の魔力増幅で強引に肉体を強化してその命を長らえさせている。もし剣を奪われてしまえば、死に体のゴブリンにはもう、まともに生命を維持させるだけの余裕すらなくなるだろう。
蕩けきった顔が、歪んでいく。恍惚とした表情は、凄惨な笑みへとその様相を変化させた。
「まぁ安心してよ、君が死んだ後も、その剣はしっかりと役目を果たしてくれるからさ」
自らの命綱が奪われようとしているバルパは、思いきり唇を噛んだ。
それは死にかけている状態へ追い込まれた自分の怒りだ。
自分だけでは、勝てなかった。自分一人では、目的を達成することは出来なかった。
結局俺はまた…………頼らざるを得ないのか。
聖剣を握ろうとしたその手があった場所を、青い熱線が通りすぎていく。少年は手を引っ込め、歪んだ顔を一層醜悪にさせながらくるりと後ろを振り返った。
「なんだい君達……僕の邪魔をするなら、容赦なく殺すけど?」
少年の視線の先にいるのは、一人の少女。そしてその少女を取り囲むように守りを固めている、女達。
「させるか…………それだけは絶対、させてやるもんかっ‼」
炎を現出させ右手を高く掲げている少女、ミーナがその指先を少年へと向ける。
「焦獄に至る」
瞬間、目を開けることも難しくなるほどの光が辺りに満ちる。
漆黒の魔力にすらも真白に染める熱線がミーナの指先から放たれ…………少年の腹部に突き刺さった。




