大切なのは、一つだけ
追撃がないことを確認してから大きく後退し、しっかりと距離を取る。戦うための態勢を整えた。
舌の上に乗る鉄錆の味を感じ、自分の迂闊さを歯噛みする。 まさかこんな場所に自分に手傷を負わせる強者がいるとは思わなかった、そんな思考が頭に浮かぶが、現状何を言おうと全て戯れ言でしかない。敵は、戦いは、決して待ってはくれない。そんな当たり前のことを、彼はここ最近忘れかけていた。
自分の実力に慢心していた、自分以上の強敵に触れてこなかったせいで、気の弛みがあった。
そしてその結果が、この様だ。
なんと不様で情けないんだ、俺は。自然聖剣を握る力は強くなり、悔しさから叫び声を上げそうになる。
「……ゴポッ…………よし、これで問題ない」
彼はありったけ血を吐き出し、気道を確保した。隙をわざと見せたにもかかわらず、少年が襲ってくる様子はない。舐めているのだろうか。だとすれば好ましい、既に矜持などというものを気に出来る段階ではないのだから。物は試しだと回復を発動させようとするが、怪我は全く塞がる様子がない。恐らくはあの黒剣には回復阻害の効果が付いているのだろう。この分ではポーションも無理だろう。回復はしばらく出来ないと考えた方が良い。
「思ってたよりも速いね。心臓を潰そうとしたはずなのに、狙いを外された」
目の前の男は格上、バルパはその事実を冷静に受け止めた。
自分に出来ることは、自分がやらなければならないことは、ミーナ達を守ることだ。
纏武疾風を起動、そして迅雷を同時起動、加速化と運動の最適化を行うために疾風迅雷を発動させる。
先ほど声が出なかったのは不幸中の幸いだった、彼は心の底からそう感じた。自分が彼女達を守ろうとしていると理解されれば、向こうに人質という選択肢を与えることになる。
ならば今自分が出来ることは……
「お前を……倒すことだっ‼」
ボロ剣を握り突貫するバルパ。相手の機動力の正体は未だ未知数。しかしこの場ではリスクを負ってでも体を張らねばいけない場面だ。
逆袈裟に切り上げる聖剣と少年の持つ黒剣がぶつかり合う。両者は火花を散らせて弾き合う、バルパはスレイブニルの靴に魔力を込め、強引に態勢を変え再度攻撃に移る。
明らかに自分よりも軽い少年は何故かのけぞっておらず、しっかり地に足を着けた状態で彼の一撃を受ける。
右に転がり次の攻撃を加えようとするところに突きが飛んでくる、魔力感知で上下左右を把握してから真上に向かって飛び上がり、その一撃を避ける。宙を駆け上がりながら頭が下に来るように態勢を調整し、最後に思いきり空を蹴って少年目掛けて急降下を敢行する。両腕の力に落下エネルギーを加えながらの彼の全力の振り下ろしを、少年は片手で受けた。
バルパ後ろにバックステップで下がり、敵から距離を取った。その際能面のようだった少年の顔に驚きの表情が浮かんでいるのが見える。
「……スゴいな、これと撃ち合えるのか。見た目はボロいけど、業物だ」
バルパは再び喀血した、激しく動いたせいで血管の活動が活発になったせいだろう。
胸からの出血も相変わらず止まらない。血を失いすぎているせいか、視界が少しだけ暗くなり始めているのがわかった。
「魔闘術使いの相手は慣れてるからね、君より強い魔物とも、何人かやったよ」
バルパは咄嗟に後ろに後ろに剣を向けた、すると目の前の少年の姿が消え、後ろに魔力反応が突然現れる。バルパの剣が少しだけ切っ先をズラし、その一撃は彼の肩を深く抉った。
全力で空へ待避するバルパに、少年はスレイブニルの靴もなしに追随してくる。
「空歩も出来ない雑魚に、その剣は勿体ないね」
その速度はバルパと大差はない。真正面から切り合いをする分には、少しの劣勢で済む。
少年の突きを避けきれず、脇腹に赤い線が走る。聖剣とまともに切り合えるだけあり、黒剣はバルパの鎧、潮騒静夜を容易く切り裂く。
引いて、突く。それだけの動作が、ただただ洗練されていて、速い。突きが着弾したかと思うと次の瞬間には次の突きがやって来る。剣速では向こうに若干分があり、剣技には明確な差がある。速度に劣るバルパが突きを抑えようとするには、聖剣を横に振り剣の表面で突きを受けるしかない。しかし相手は彼がアクションを一つ起こす度に二つ突きを放ってくる。恐らく引いて、突くという行為からあらゆる無駄が削ぎ落とされているからだろう。筋肉も骨格も、何一つ無駄がないように攻撃が最適化されているのだ。
神鳴を使っていない今のバルパに、攻撃の全てを捌ききることは不可能だった。
「だがそれならそれで、やりようは……あるっ‼」
それならば披弾面積を減らし有効打を減らそうと、突きの軌道をズラすように防御の主目的を変える。それと平衡して、攻撃に転じる場面を作る。
突きの引きに合わせ、わざと大きなモーションで凪ぎ払いをする。そこに剣先を合わせようとしてくる瞬間に無限収納から盾を取り出し、クッションとして使い、相手の視界外から剣による切り下げ、切り上げで相手に些細な傷を作る。
少年の顔に、服に、小さな線が走り始める。彼は完全無欠の化け物ではない、幾らでも付け入る隙はある。
だから足を止めるな、血を飲み込め、目を爛々と輝かせろ、その一挙手一頭足を見逃すなと自分に言い聞かせる。自分で叱咤しなければ動こうとしない体に、強引に言うことを聞かせる。ここが頑張りどころだと考えれば、無理矢理体を動かすことの一つや二つ、なんてことはない。
突きが飛んでくる、空を駆けそれを避ける。相手が引きながら体を右に捻る。それを邪魔するために魔法の品の布を出し、敢えて布のない方へ飛ぶ。
「……小賢しい真似をっ、するっ……」
相手が布の先にいるであろう自分の姿を幻視し、突きを放つモーションを整えているうちに、その当人が想定外の位置から出てくる。その一瞬の隙を使い全力で駆けて股割りを放つ。すると次の瞬間には少年が背後に現れる。バルパは短く舌打ちをしてから思いきり屈む、彼の登頂部を撫でるように、黒剣による凪ぎ払いがやって来た。
「はぁっ、はぁっ…………うぷっ」
頭部に刺激を受けたせいか、飲み込んだ血液が再び口へ逆流を始める。それを無理矢理飲み下しながら、バルパは相手の不可思議な移動手段の正体について考えた。
あれはなんだ、瞬間移動の類だろうか。もしくは光魔法で虚像を見せ、本体は闇魔法で隠しているのか? それほど頻度が高いわけではないが、あの攻撃を使われると必ずバルパは手傷を負う。その正体の看破をしたいというのはやまやまではあるが、彼目掛けて上下左右からやってくる黒剣のせいで考えを纏める暇もない。
バルパは首筋の動脈を切り、更に体を赤く染めながらなんとか少年の頬に一閃を入れた。失血量でもダメージ量でも雲泥の差があるが、それでも攻撃の手は決して弛めない。この張りつめた気が一度でも弛めば、疲れとダメージで自分は動けなくなるだろう。
だから強引にでも傷を受けて意識を保ち、舌を噛みながら、ただひたすらに相手に僅かばかりの刀傷をつけ続ける。
幸い今はまだ、ギリギリ戦いと呼ぶことの出来るだけの剣撃が出来ている。だが早晩行き詰まることは目に見えていた。
自分は彼に小さな切り傷を与えるのが精一杯、対して相手の一撃は確実に自分の肉を削ぎ、骨を傷つけ、神経にダメージを与えている。
しかも自分が付けている傷は……と息一つ乱れずにジッとバルパを見つめる少年の顔を見る。
自分が先ほど切り上げでつけた傷が、すぅっと音を立てて塞がっていく。そしてその異常は、他の切り傷についても同様だ。彼の服は所々が切られており明らかに血痕が残っているにもかかわらず、その下の肌は白磁のように白く、傷跡の一つもない。
バルパの魔力感知に反応はない。つまりあの再生能力は、魔法ではない何かということだ。
「……化け物だな」
「魔物に言われたくはないね」
「それもそうか」
軽口を叩く間、魔力感知を使うがミーナ達が動いた気配はない。一歩でも動き注意を引いてはマズいという考えかもしれない。恐らくはエメーはルルあたりの判断だろうが、バルパが同じ立場だったとしても同じことをするだろう。
「魔法の品をゴミのように……勿体ない」
「逃がしてくれれば、幾らでもやれるが?」
「殺せば全部貰えるじゃないか」
この少年はどこか普通ではない。戦いを楽しんでいるような素振りを見せるくせ、戦闘中も顔は常に真顔だ。舐めているからか自分と会話をするだけの余裕を見せており、明らかに自分を痛め付けることを楽しんでいるように感じる。
恐らく致命打を与える機会はあっただろうに、今のところそれをしようとはしていない。
まぁもし仮にそんな攻撃が来ても、神鳴で避けてみせるがな。バルパは心の中ですら強がらざるを得なかった。
自分の肉体は既に、限界を迎えつつあった。打てる手は既に打っている。だから打てていない、自分がしたくとも出来ていないことは、あとはたった一つだけだ。
聖剣が、その真の姿を見せようと、その力の欠片でも使おうとしていない。剣に頼るような真似は不格好であることは十分に承知している。
だが今の彼が少年と渡り合うためには、聖剣による魔力のブーストが不可欠だった。
あのときは試せなかったが、今ならば確実に成功させられる。
そんな確信があるというのに、肝心の聖剣はうんともすんとも言わないままだ。
少し長い沈黙が続いたあと、少年がポツリと呟く。
「……っといけない、本来の目的を忘れるところだった。僕は僕の目的を果たさなくちゃいけない。何を待ってるかは知らないけど、命がけの時間稼ぎに付き合ってられるほど僕も暇じゃないんだ」
猛烈に嫌な予感がしたバルパは、今までその力を見せずにいた神鳴を発動し、全速力でミーナ達のいる馬車へ駆けていった。
「聖戦はね、何をしても許されるから……聖戦なのさ」
少年がまたあの移動術により、馬車の目の前に現れる。自分の方が何秒も早く移動を開始していたにもかかわらず、明らかに彼の方がバルパよりも到着するのが早い。
間に合えと念じ更に全力を出そうとした瞬間、バルパ自分の視界が真っ赤に染まるのを感じた。目から、鼻から、耳から、生ぬるい液体が流れ出してくる。
(ここで…………ここでなのかっ⁉)
自らの肉体の限界を超え酷使し続けた体が全く動かない。魔力で強引に肉体を強化し動かそうとすると、傷口からどこから出てきているのかもわからない血液が勢い良く流れ出してくる。
魔力にはまだ余裕がある、だが身体が、どんな状態であっても動けるだけの強度が、今のバルパの肉体にはなかった。
「とりあえず天使以外は殺して、最後に君を殺してあげる」
少年はバルパを嘲笑うかのように一度だけ彼の方を向いてから、再び馬車へと視線を戻した。
ルルが、ミーナが、ウィリスにヴォーネにエルルが、そして誰よりも前にいるレイの姿が視界に入る。恐らく最初の立ち位置のせいだ、その推測を裏付けるように彼女の隣には顔をしかめているエメーの姿がある。
レイはどうしてか、笑っていた。それも、バルパのことをジッと見つめながら。
彼女が何を思っているかなど知らない、知ったことではない。
ただバルパは嫌だった。もう二度と、奪われたくなどない。
レイの笑みが、脳裏に浮かんだ。泥にまみれながら遊んだ昨日の記憶が、鮮明に蘇り脳裏に焼き付いていく。
(俺は、お前の持ち主として相応しくはないのかもしれない……)
レイだけではない、その後ろには今まで苦楽を共にしてきた仲間達がいる。
今のままでは間に合わない。自分の手が届く前に、黒の剣は彼女達の命を容易に奪っていくだろう。
(だが……今のままでは足りないのだ)
奪い、奪われる。そんな世界だからこそ、彼は願うのだ。
奪われることのない世界を。そんな世界を作ることが出来るだけの、強さを。
(貸せ、聖剣。今だけでいい。俺を見限って、二度と力を貸さなくなっても構わない)
だから、だから、今だけは……。
冀うバルパの視界が、白く染まる。高揚感や全能感を感じる余裕など、今の彼にはない。
ボロく錆び付いた剣が、小さく光を発し始める。まるで生きるかのように脈動する白い光が、バルパの身体を包み込む。
『そうだよバルパ、それでいいんだ』
どこからか、声が聞こえる。その声は彼が以前一度だけ聞いたことのある、とある男の声だった。
『聖剣を動かすのは……勇者になるために必要なのは、いつだって……』
ボロかった剣が光を帯び、新たに形作られていく。
浮いていた錆は消え、がたついていた剣先が整っていき、刀身が白銀に染まる。
ただひたすらに硬く鋭利だっただけの朽ちかけの剣が、新たな生を吹き込まれ、生まれ変わっていく。
『誰かを護りたいという……強い気持ちだ』
瞬間、バルパの全身に魔力が行き渡る。
纏武神鳴を起動、そして増幅され加速された魔力により、迅雷を強引に同時起動させる。
だが無理矢理発動したはずの魔撃は、まるでそうすることこそが唯一の正解であるかのように酷く身体に馴染む。
少年の黒剣が一番近くにいたレイへと振り下ろされる。その様子が先ほどまでとは違い、酷くゆったりしたものに感じられる。
バルパはただ思うがまま、なすがまま、前に進んだ。
先ほどまでとは明らかに違う、一音高い鍔迫り合いの音が辺りに響く。
「俺は護ると…………そう、決めたのだ」
「…………貴様ッ、その剣を…………その剣を一体、どこでっ‼」
纏武神鳴と迅雷の同時起動による新たな魔撃、纏武轟雷。
彼の出せる最高速度を大きく更新させるその魔撃に聖剣による補助を重ねがけした彼は、今やただ狩られるだけの存在ではなくなっていた。
血を失ってなお、命の危機に瀕してもなお、バルパの目には強い、強い輝きが宿っている。
先ほどまで劣勢だったゴブリンは、瞳に希望の白い炎を燃やす。
先ほどまで人形めいた無表情を貫いていた少年は、その瞳に嫉妬と憎悪の黒い炎を灯す。
誰よりも人間らしいゴブリンと、何よりも勇者になりたい孤独な少年の戦いは、今ここに新たな局面を迎えようとしていた。




