少年のカタチ
その後の夕食は別れていたミーナ達と合流してから取ることになった。朝を食べたときと同様、食事風景にしんみりとした雰囲気は微塵もなかった。終始和やかに食事は進み、バルパが見る限りではレイの顔色も明るかった。
レイの本名を聞くと、エメーは彼女の親戚にあたる人間を知っていた。そのため拍子抜けするほどあっさりと、彼女の故郷は判明した。
ウィンシンの街からも見える連峰、エストエストファガー。彼らの目指すべき場所は、小走りで駆けていけばすぐに麓へつけるほどの距離にあったのだ。
灯台もと暗しとはこのことだ、天使族は基本的に光と闇の属性に長けており、人間として身分を偽ったり、住み処を隠蔽することはお手の物であるらしい。
本来ならば見つけることは難しいが、レイと自分の姿を見せればどうとでもなるだろうというのが、エメーの言い分だった。彼らはとりあえずそれを飲み、一路レイ送還の途へついた。
「ここからは歩いていこう」
バルパは数時間ほど馬車を抱え上げて運び麓へ到達してから皆を下ろす。朝食を食べてからまださほど時間は経っていない、昼飯時には少しばかり早い時間だ。
「レイ、エメー」
「はい、どうぞ」
「わかっとるわい、うるっさいのぉ」
彼はレイから腕輪を返してもらい、エメーは偽装を解く。二人の背中に生えた翼が露になり、視界に見慣れぬ白がチラチラと映る。
以前は別個に見ていたからなんとも思わなかったが、こうして並べてみると二人の羽根の色はまったくと言っていいほどに違う。
レイの翼は真っ白で、エメーのそれは黄ばんだチーズのような色をしている。並ぶとより純白が際立って見え、彼女から神聖さすら感じるように思える。ふわふわとしていて、触ると気持ち良さそうだ。
「ひゃんっ‼」
触ってみると、やはり気持ち良かった。ふわっふわで肌触りも良い。羽根の一枚一枚がしっかりと揃っていて、ドラゴンのような硬いだけの翼とは随分違う。
「あっ、そ……そこは……ダメですっ……ってばぁ……」
「たわけがっ‼ 恥を知れっ‼」
老人に思いきり頭を叩かれ、どうやら天使族における羽根は弱点らしいと彼は知る。明らかに折れそうだし、さもありなんという感じであった。
荒い息を吐くレイの呼吸が整ってから、一行は舗装されていない草っぱらを歩いていく。
魔力感知で調べてみるも、あたりの魔物は不思議とこちらに寄ってこようとはしてこなかった。もしかすると老人が、何かをしているのかもしれない。
「そういえば天使族は、空を飛べるのか?」
「飛べるわけないじゃろ」
「そうなのか、じゃあその翼はなんのためにあるんだ?」
「元は飛べたけれど飛ぶ必要がなくなったせいで飛べなくなったって話は聞いたことありますけどね」
バルパは右にレイ、左にエーメを置き三人で先頭を歩いていた。
その後ろではルルが襲撃に備えられるように魔力を循環させているため、誤解によって戦闘が始まってもそこまで大きな被害を受けることはないだろうと思える。
「飛べようが飛べまいがな、所詮こんな翼なんぞ無用の長物よ」
「そうか? 空中で立体軌道が出来ればかなり強いと思うが」
「空を飛ぼうが飛ぶまいが、いつだってワシらは羽根を踏まれ、奪われる。今までも、そしてこれからもな」
全身を揺らしながら歩いているエーメの横顔に、悲観はなかった。ただあるがままの現実を受け入れてきた結果その言葉が出てきているのだろう。少しの間、皆が草を踏みしめる音だけが一行の鼓膜を震わせる。
「……そんなこともないと思いますよ、星光教は天使族を神の御遣いの子孫として手厚く扱っていると聞きますし」
「人間なんぞ碌なもんじゃないわい、まぁこっちの魔物の国もクソじゃけどな。どちらのクソがマシかと言われて仕方なくこっちにいるだけじゃ」
「……まぁ確かに、幸せかどうかは微妙なところではあると思いますけど」
「アンタらの国じゃあ羽付きは普通に暮らしてるのかね?」
「……いえ、敬虔な星光教徒として、修道院に半ば幽閉されているというのが実情だと思います。外に一切情報は出てきませんから詳しいところはわかりませんがね」
「幽閉なんてのも嘘じゃよ。ありゃ確実に玩具にされとるか、もしくはとうに殺されとる。お転婆なアンも、跳ねっ返りのヨセフも、人間達と共に歩もうとした奴等は……みーんな一切連絡が取れなくなってしもうたでな」
口を開いたルルも、エメーの言葉を危機黙りこんでしまった。
天使族は人間からは鑑賞品のように扱われ、魔物の領域側でもまともな扱いを受けることはない。ただ羽が生えているかどうか、その一事だけで生きることが難しくなるというのは、ひどく馬鹿げているように思えた。
「その翼、むしり取ってはどうなんだ?」
「無駄じゃよ、ワシらのこれは一月もあれば生え揃う。ドラゴンの尻尾と同じで、少し見映えは悪くなるがの」
「……レイは少なくとも、一度も正体を看破されることはなかった。それならば街で暮らすことも、出来るのではないか?」
「ある程度魔法が使える奴等は無論皆そうしとる、ワシがそうであるようにな。だが子供や老体にそんな技術を維持し続けるのは、まぁまず無理じゃて」
ある程度強い者は外へ出て稼ぎ、集落へ持ち帰るという形式を取っているということだ。だが子供達に行動の自由はない。バルパは昨日遊んだ少年少女達の笑顔を思い出し、少しだけ複雑な気分になった。
ままならんものだ。そう思いながら、彼は未だ感知出来ぬ天使族達を思いながら空をレイの羽を見つめる。
彼女は果たして、故郷へ帰り幸せになれるのだろうか。ピリリを帰した時にも感じた疑問が、再び彼の頭をもたげる。
この世界で普通に生きるのは、少しばかり難し過ぎる。誰もが手に入る物を、一部の強者が独占してしまっているからだ。
感傷的になりながら押し黙るバルパにつられてか、誰一人として言葉を発しようとはしなかった。そんな沈黙を破ったのは、真剣な声音で発されたバルパの叫び声だった。
「ルルッ‼」
「はいっ‼」
彼女は詳細を述べられずとも反射的に、聖魔法による障壁を展開させる。バルパは纏武神鳴を起動させ、戦闘態勢を整える。
彼の魔力感知は一つの反応を感知した、だが明らかにそれは普通の天使族のものではない。
こんなものはいままで一度も、ヴァンス相手でも感じたことがない。
その反応は、幾つもの魔物と人間を一ヶ所に凝集させたかのような、気味の悪いものであった。ピリリのような多重反応ではなく、魔力自体は一つであるはずなのに、その反応がごちゃごちゃに混じり合っているのだ。
まるで多種多様な生物を無理矢理一つの器に込めたかのような、そんな歪でちぐはぐな反応が、凄まじい速度で移動を続けている。自分の全力に匹敵、あるいはそれを凌駕するほどのスピードだ。
相手の移動のルート上に自分達がいる。そしてその生物の向かっている先は、明らかに天使族達の集落だ。
恐らく、相手の狙いは…………
「……あれ、先客がいるのかな?」
考えの纏まらぬうちに、その相手と声が聞こえるほどに距離にまで接近してしまった。
ルル達を背にして一人立つバルパは、相手が異形の魔物でないことに驚きを隠せずにいる。
そこにいたのは紛れもない、人間だった。
白い髪、病的なほどに白い肌、そして手には素々とした見た目にそぐわぬ真っ黒な禍々しい直剣を持つ少年は、表情筋を動かさずにバルパの後ろを見る。
「ふぅん、人間がひぃふぅ……八人か。それならまぁ…………いいか。僕は今機嫌が良いから、大人しく逃げるなら見逃してあげるよ」
魔力量はバルパよりも少し上。禍々しい魔力反応、その移動速度から考えれば間違いなく、自分の格上の相手だ。
その狙いは方向から考えて恐らく天使族、こんな化け物がわざわざ向かうその理由は、恐らくまともな物ではない。
「彼らをどうするつもりだ」
「言う必要性がないね。死ぬか逃げるか、さぁどっちだい?」
未だ年若い少年の全身は、ピッチリとした紺の服に覆われている。あれもまた、かなりの魔法の品だ。そしてその右手に抱える剣、一目見ただけで明らかにヤバい物だとわかるのに魔力感知では一切の反応がない。魔力感知を弾ける魔法の品に出会ったのは、初めての経験だった。
「…………ん? ちょっと待って、君……」
バルパは無限収納に触れながら、少年の胸元にある金色のバッジを見つめた。
直角に交差する二本の線、間違いなく星光教のシンボルマークだ。
その外見からの情報量の多さに圧倒されていたバルパは、それ故に少年の姿が消えた瞬間、その初動が遅れた。
「……魔物だね」
神鳴により大きく右に回避軌道を取った彼は、胸部に鋭い痛みを感じまさかと顔を下げる。
自分の胸で、黒剣がその刀身を半ばほどまで埋めていた。
力を込められ更に剣が埋まると、堪えきれずに血の塊がごぽりと口から吐き出される。
「バルパァアアアアアアアア‼」
ミーナの叫び声が響くのと同時、パリンと何かが割れるような音がした。
剣を引き抜かれたバルパの胸からは、噴水のように血が噴き出した。
(に……げ、ろ……)
バルパの言葉は、喉元から噴き出す血液に塞がれて声になることはなかった。




