一人を除いて
息を飲むような音が聞こえてくる。だがバルパの予想とは違い、その方向は奴隷達三人ではなくルルとミーナからの方だった。
ヴォーネ、レイ、それからエルルの三人はそれほど驚いた様子は見受けられない。だが彼女達とは違い、ウィリスはその驚きの大きさのあまり声を忘れているようだった。
「一応伝えておこうと思ってな。俺の正体は、ゴブリンだ。亜人でも人間でもない、正真正銘な魔物なわけだな」
今まで魔物の領域に入ってから、まだそこまで異形の人外と出会ったことはない。会ったのと言えば精々が手の甲に鱗のある亜人や、リザードマンと人間を足して二で割ったような奴等だ。まだ人間の領域に近い方だからか、それほど人とかけ離れた存在とは邂逅していない。そんな現状、明らかに人外でしかない自分の見た目は、それはインパクトがあるだろうと思う。
それに何より、自分はゴブリンである。自分と出会う前にもある程度の戦闘の心得があった彼女達のことだ、今まで何十何百と緑鬼を殺してきたことだろう。
自分は意思疏通も出来ぬゴブリンに感慨を抱くことは滅多にないが、彼女達はそんなことを知るはずもない。今日の道中ですら何十とゴブリンを殺している、もしかしたら罪悪感に駆られるということもあるかもしれない。
自分はゴブリンだが、ただの理性無き魔物ではない。謂わば自分は突然変異のような存在だ。だがその見た目は他のゴブリンと何一つ変わらない。
黄色く尖った歯、下卑た笑みを浮かべているような顔、そして丸く尖った後頭部。どこをとっても邪悪な魔物そのものだ。
バルパはとりあえず数秒ほど状況を窺ったが、幸いなことに彼女達が戦闘態勢に入るような様子はない。
じっと待ちながらいつもより少しばかり早く眼球を動かすバルパ。自分の肉体についてしっかりとした理解を持っている彼は、自分が柄にもなく少しばかり動揺しているのを身体の動きから察した。
肉体的な強さはあっても、精神的な強さはまだまだそれに伴っていないなと嘆息すると、少しだけ気分が軽くなる。
場の空気が弛緩したのを察してか、レイが彼の方を向き、背中がはっきり見えるほどに頭を下げた。
「ありがとうございます、種族も何もかもが違う私達を、自分の感情をおいて助けてくださって」
「……俺は別に隔意はない。人間にも魔物にもな」
それは彼の本心だった。彼が一番嫌いというか守ろうと思えないのは、知能の向上が見られない魔物である。彼らは助けられたことにも気付かずにこちらの背中をただ攻撃する獣でしかない。そしてバルパは、獣を守るための盾を持ってはいない。
だが逆を言えばそれは、自我があり意思疏通が可能であるのなら、どんなものであれ彼の護るべき対象になりうるということだ。
エルフもドワーフも天使も虫使いも、それが誰かに虐げられる者達であるのなら関係はない。彼の進路に彼女達がいた。それが全てで、バルパにとり大切な部分だった。
彼は傲らないし、無理な要求もしない。
ただ助けて、去っていくだけだ。
それがバルパというゴブリンの生き方だった。彼にはそれしか、出来ないのだ。
ヴォーネとエルルの方を見てみると、彼女達は我関せずといった様子である。
「お前は何か思うところはないのか?」
「え、別に…………特にはないです。なんとなく察しはついてましたから」
そういうとヴォーネが自分の右腕の腕輪を指でなぞった。確かに自分が亜人かそれに類するものだということは彼女達には隠していなかったし、聞かれれば正直に答えてすらいた。
彼女はカラカラと笑いながら、むしろ私はもっとグロテスクなのを想像してましたと言った。
自分の見た目はかなり醜悪だろうに、これより上があるものなのだろうかと少し不思議な気分になる。
エルルは特に変わらなかった。ただピトッと体をこちらに預け、じっとりとした視線を彼に向けるだけである。
綺麗にしてはいるのだが、いたいけな少女が緑色の身体とくっついているのはなんだか妙なものを見ている気分だった。
言葉少なな彼女は相変わらず黙して語らないが、なんとなく隠し事はするなと言っているように思えた。小さく頷いてみると、よろしいとばかりに頷きを返される。
最後にウィリスの方を向くが、彼女は今は憔悴したように下を向いているばかりだった。
バルパとしては彼女のような反応を想定していたために、特に驚きはない。
今声をかけても逆効果だろう。
食事も終えたことだし、ほとぼりが冷めて彼女の心の整理がつくまでは外に出ておいた方が良い気がする。外でまた増え始めた魔物を間引こうかと歩くバルパの背に、ミーナからの声がかかった。
「……良かったの?」
「ああ」
これでウィリスとの関係が壊れるとは、バルパは思っていない。それは彼女の信頼への裏返しだった。いつも反抗的な彼女のことだ、どうせ今さら嫌われる原因が一つ二つ増えたところで、あまり変わらないだろう。
今日は帰らない。それだけ伝えると、バルパは魔物を狩りに行った。
明日になればまたウィリスの罵倒が聞けるだろうと、彼は何一つ疑ってはいなかった。




