サラの酒場 2
「おっと名乗りがまだだったな。俺はヌル、んでこっちの年増が……」
「ミリタリア、ミリでもリアでも良いよ」
「俺らは一応冒険者見習いってことになってる、本業は傭兵だったわけだが、苦肉の策の転職よ」
「やだねぇ、不況って」
スートとオーロはなんとなく、戦えば自分達が負けるのではないだろうかという感覚を覚えた。もし戦っていたら果たして自分達は勝てていただろうか、戦いを避けられることになったからこそその疑問はより強まった。
常に命を懸けながら戦い続けねばならない冒険者において、こういう感覚というものは案外バカにならない。
自らよりも強い先達ならばその言葉を聞くのも悪いことではないだろう。
二人は相槌の代わりに、運ばれてきた料理に口をつける。
「あの装備はよ、相手の実力を測るための一種の篩なのさ」
「篩ってなんだ、スート」
「あれだろ、小さな麦の粒を仕分けるやつだ。ヌル……さんは、あの装備自体が小粒な奴を弾くためのもんだっつってんのさ」
二人は改めて壁によりかかる男を見た。
彼は何をするでもなく、じっと腕を組んで立っている。顔を隠す兜の上からでは、その視線の方向もいまいち定かではない。首の角度から考えると、ウェイトレスの女達を見ているように思える。トラブルが起きないように備えているのだろうか、にしてはいささか距離が離れすぎているような気がする。あれでは咄嗟の時に間に合わないだろう。
二人の思考を読んだのか、ミリが小さく指を突き出した。
「あれをご覧よ」
彼女の視線を追うと、丁度従業員の一人が注文を運んでいる場面が見えた。
彼らを案内したのとも違う少女だ、年齢はかなり若い方だろう。これまた金髪で、ハッとするようなすっきりと目鼻立ちの良い女だ。
だがどうやら機嫌はあまりよくないようで、右手に盆を、左手にジョッキを持つ彼女の顔色はあまり宜しくない。
乱雑とまでは言わなくとも適当に置かれていく注文の品を見て、客が何かしら文句をつけている。あたりの喧騒が大きすぎるせいでその内容は碌に入ってはこないが、テーブルに座る四人の男達は険のある顔をしている。
彼らの顔が好色に歪む、そのうちの一人の手が店員の臀部に届こうとする。
「ほれ見ろ、だから間に合わなく……って、え?」
気付けば不埒を働こうとした男の腕は、件の彼によって握られていた。指先が腕にめり込みあらぬ方向へ曲がり、男が尋常ではあり得ぬような悶え方をし始めた。
音は聞こえてこなかったが、ベキンと骨が折れる音が聞こえてくるようで、二人は思わず顔をしかめる。
一言二言注意をすると、鎧男が腰に提げた剣を振りながら手を離す。するとどういう訳か、向いてはいけない方向へ曲がっていた腕が元へ戻っていた。
狐につままれたような顔をする客の側にいた鎧男が消える。
キョロキョロとあたりを見渡すスートとオーロを見て向かいの二人が笑い、同じ方角へ首をしゃくった。
まさかと思いながらそちらを向くと、先ほどまでと寸分違わぬ場所で彼が腕を組んで佇んでいる。
「……なんだありゃ」
「光魔法の幻覚かなんかか?」
「幻覚だったら腕は折れんだろ」
「じゃああの腕組んでるのが幻で、本体がどっかに隠れてるんじゃないのか?」
「このギチギチの空間でバレずに隠れ通せるわきゃねぇだろ」
「でもよ……」
正体を看破しようという目論みは失敗に終わり、彼らは黙ってヌル達の方を向く。
「あれに挑もうとは思わんだろう?」
「好んで戦おうとは、思わないですね」
「懸命な判断、冒険者の鑑」
「茶化さないでくださいよ」
酒が入ったからか、陽気な酒場の雰囲気に当てられてか、スートとオーロはヌル達に敬語を使うことに抵抗がなくなっていた。年を取っていれば偉いわけではないが、適切な年の取り方をしているヌルには、どことなく風格のようなものが漂っている。
「それによ、見てりゃわかるぜ。あっち、よーく観察してみな」
ヌルが先の少女とはまた異なる店員を指差した。特に問題が起こっている様子はない。彼女は生き生きしながら、客と言葉を交わし合っている。
「あの子達はよ、着飾ってねぇのさ。接客業に慣れてねぇから擦れてねぇ。おべっかも使わねぇし、時折手は出すし、機嫌の良し悪しも丸わかり」
ヌルが遠いものを見るような目で厨房を覗く。彼が何を見ているのか、二人にはまったくわからなかった。
「何をしても大丈夫だって安心しきってるから、その分だけ輝いて見えるのよ。だから遠目に見てるのが、一番良いぜ。高嶺の花ってやつは、手が届かないからこそ良く見えんのさ」
「そうそう、近くにいるとバラも野バラに見えちゃうものね」
「お前は最初っから雑草だけどな」
「あっはは……出るとこ出る?」
二人は別れの挨拶もせず、酒場を抜けてどこかへ行ってしまった。
後にはスートとオーロだけが残される。
なんとなくおかわりを頼み、二人は顔を向かい合わせた。
「オーロ、今俺が何を言いたいかわかるか?」
「おうよ、多分俺と一緒だからな」
二人とも、ヌルの言ったことの全てを理解したわけではなかった。しかし一番肝要な部分は、はっきりと理解できていた。
木製のジョッキを掲げ、乱暴にかち合わせる。
「女誑しとクソッタレな現実に、乾杯‼」
「背中を刺されて死んじまえ、乾杯‼」
ぶつかった衝撃でエールが跳ね地面に溢れる。地面から跳ね返り彼らの足首を濡らす黄金の液体は、温くて、少しばかり冷たい。
二人は店員達の信頼を一心に向けられている男と、その魅力を隠そうともしない店員達、そして喧嘩するほどなんとやらな元相席客達へ呪詛を向けながら、一昼夜飲み飽かした。
その日からサラの店には、また一組常連客が増えることになった。




