ドラゴン 1
第二十階層に足を踏み入れると、そこは事前に聞いていた通りの場所だった。隠し部屋も、奥まった場所にあるモンスター部屋もない。
対角線上に次の階層への階段が見え、その階段への行く手を阻むかのようにドラゴンが鎮座しているだけだ。
バルパは一人でこの場所へとやって来ていた、聖魔法使いのルルがいないということはポーションを自分で取り出せないような状態に陥ればそのまま死んでしまうということであるし、彼女の魔力を使い作られる強力なサンクチュアリによる防御も期待できないということだ。
だが高い機動力と高い攻撃力を併せ持つドラゴン相手にはルルでは相性が悪すぎる、自分が戦っている最中に彼女に意識を向けられてしまえばおそらく助けに入る間もなく殺されてしまう。彼も、そしてルルもそれを理解していたために単独での挑戦に否定的な意見を述べることはなかった。
Gryuuuuuii!!
階段を登りきると同時、バツンと音を立てて階段と階層を繋ぐ空間に雷の檻が生み出されていた。なるほど、こうやって戦闘を強制させるのかと少しだけ感心しながら自分の装備を見直した。
全身を覆っているのは鮮血の鎧、紅蓮艷花。右手に持つは未だその正体の掴めぬ錆びた剣、左手には風魔法の魔力を溜め込んだ緑砲女王が握られており、両手には摩訶が装着してある。
足には空を早駆けるのを今か今かと待ち望んでいるスレイブニルの靴、そして腰にはルルにとって因縁深いあの金の短剣が刺さっていた。
自分が今から戦う相手は聞いていたよりも一回りほど小さかった、しかし彼の魔力感知の能力が目の前のドラゴンが自分よりも遥かに高みにいるという事実を教えてくれているために油断をすることはない。
体長は大体縦に三十歩分くらい、横に十歩分くらい、上に二十五歩くらいだ。全身の色は剣呑な紅色、てらてらと出血でもしているかのように光るその鱗は、一枚一枚が魔法の品だというのだから魔物にしては豪勢な奴である。もっとも、勇者の物を貰っている自分には敵うまい、魔法の品の数でなら自分の勝利だな、とゴブリンは心の余裕を持ちながらドラゴンの咆哮に耳を澄ませた。
妙に不安が煽られる音だ、なんらかの魔法的な要素を込めているせいで付加効果のようなものが生じているのかもしれない。息も落ち着き、精神集中は万全であるために咆哮一つでは体も心も揺らぎ一つ生じない。
彼は横向きの状態から体を起こしこちらの正面を向こうとするその紅い化け物目掛けて一気に駆ける。肝心である最初の一撃は確実に当てる必要がある、こちらも魔力を出し惜しみする必要はない。
右腕を大きく後ろに下げてからドラゴンの開いている右の瞳に目掛けて投擲した、だがもちろんこれは囮だ。そんな動きは想定しているとばかりにドラゴンが目を瞑る。
その動きに合わせて腰の短剣を抜いた、こちらを視認しにくくするように自らの体に闇の魔撃をかける。
Gyuryuuuuuoooo!?
想定していなかった出来事が起きた、相手に目を閉じさせるために使ったはずのボロ剣が勢いそのままドラゴンの右目を貫いてしまったのだ。
だがこれは嬉しい誤算だ、ドラゴンはまさか急に自分の瞳が潰されるなどと思っていなかったからか痛みに情けない音を出している。今までそこまで強くない人間たちを一方的になぶってさぞや自分の強さに自惚れていたのだろう、ざまぁみろ。誰かにやられる痛みを知らないお前にはお似合いの無様さだな。
「……フッ‼」
体をジタバタともがかせているドラゴンの胸元に到達した、今度は軽く勢いを付けただけで金色の短剣をドラゴンの体目掛けて差し込む。魔法の品の攻撃は弾かれないという話しは本当なようで、短剣は大した抵抗もなくするりと鱗と鱗の間に突き立った。そのまま右手を再度引きながら袋に触れ、ハンマーを取り出す。魔法の品でもなんでもない、ただ重さと頑強さだけが売りの一品のそのあまりの重量差に後ろにもっていかれそうになりながらも身体強化を行使する、足と腕に力をこめて踏ん張ってから歯を食い縛った。
「はあっ‼」
利き腕の全力で振るわれたそれは、狙い通りに短剣の柄を強打する。ドラゴンも動いているために一番衝撃の大きな中心部からインパクトの打点はそれたが、それでも十分な推力はあったようで短剣は肉眼では見えないほど奥にまで食い込んだ。
自らに痛みを催す敵の所在に気付いたドラゴンが高速で旋回をしようと軽く反動を付けた。スレイブニルの靴を起動し三歩ほど直角に駆けると元居た場所を致死の尻尾の一撃が襲った。
再び闇の魔撃を用いて体を隠しながら後退する。予想通りならこれで少しは楽になるはずだが……バルパは取り出した黒い大剣の柄を右の手で握る。
重量はあるが、身体強化を使えば片手で悠々持てるだけの重さでしかない。生きているかのようにどくどくと脈打っている赤い血管のような模様が彼の目の端に写った。
ドラゴンは魔力感知を使えるからか、暗く視認のしづらい視界のなかにあっても正確にゴブリンの居場所を捉えていた。さきほどまでのどこか侮るような態度はどこにもない、ただ目の前の男を一人の好敵手として認めた紅蓮の竜は人の頭でも入りそうな大きさの鼻をプクッと膨らませる。
間違いない、ブレス攻撃の前兆だ。ゴブリンは体を縮め盾の直径に収まるように体勢を変えた。顔を下に下げ、意味があるかどうかはわからないが身体強化で左腕の力を強める。
カッ、音よりも先に紅蓮の光線が放射状に放たれる。アーチのように緩やかな曲線を描くそれは、一度半月上に広がってからその全てがバルパ目掛けて高速で飛来してくる。
自分の聞いていた話と違う、ブレスというのはあくまで数の多い的に被害を与えるためのものであって、扇状に展開されると聞いていたが……いや違う。
彼は気付いた、そのあまりの量の多さに範囲攻撃だと錯覚しそうになったがこれらはすべてただの魔撃だ。
ゴブリンの盾目掛けて何百という光線が飛来する、そして盾に当たった瞬間に音も無く掻き消えた。反射的に盾を前に出し攻撃に対処する。
すると今度は盾を避けるようにその光線の一つが曲線を描きながら彼を死角から攻め立てようと後ろにまわる。上を見るがもちろんそこにあるのは光の奔流、逃げ場所を探そうにも上下左右全てが赤い光で満たされている。
これが竜言語魔法か、と思わずにはいられなかった。
何百という魔撃を同時に管理することも、それらを自らの意思に合わせて一つ一つ遠隔操作するという曲芸じみた真似も、今の彼にはどうやったら良いのか見当もつかない。
彼は自分の口の中に入れた丸薬を噛み砕き、四方八方から飛来する魔撃をその身に食らい続けた。
 




