なるほど
「よぉ、さっきぶり」
「半日ぶりくらいですね」
「もうそんな経ったのか、ずっと寝てたからわからんかったわ」
遠くから男ががなりたて音が聞こえている。どうしようもないくらいに、いつも通りの風景だ。姫様だとわかっていても、その格好はいつも着ていた薄汚いローブ姿。急いでいたからか、その下に着ているピンク色のドレスが袖から見えている。
「そ、そうですよ。大変だったんですから‼ あの後私の警護がしっかり出来るためのデモンストレーションっていって強引にごまかした私の手腕に感謝するべきだと思います」
「そか」
自分が聞いた凛としていた声と、今のぽややんとした声が、どうにも符合しない。
こんなちんちくりんが本当に姫様なのだろうかと、話せば話すほどに信じられなくなってくる。
「お前、本当に本人?」
「し、失礼にもほどがありますよ。どこからどう見ても本人以外ありえないでしょう」
「そうか、だよな」
あちらのピンと背筋を伸ばした王女然とした姿が本物なんだろうか。それとも今目の前にいるふにゃふにゃしながら安いワインをちびちび舐めるように飲む彼女が本物なのだろうか。
或いはそのどちらもが、本物なのかもしれない。彼女が気を許しているというその事実が、ヴァンスは嬉しかった。
だが浮わついた心がニュートラルに戻れば、それ以外の感情も湧いてくる。
「つぅかお前、どうして来たんだよ。そもそも今はこんなこと出来るような状態なのか?」
「あ、あはは……まぁ無理をしたと言えばしていなくもないって感じで……」
どうやら彼女は相当に無理を押して自分に会いに来てくれたらしい。それ自体は嬉しいが、監視の目を抜けるのはまず間違いなく容易なことではなかったはずだ。
良く見てみれば、ローブには今までなかったはずのほつれが増えており、その顔色も心なしか悪そうに見える。
「何しに来たかと言われれば、簡単に答えられます。最後にもう一度だけ会いたいって思って」
「……最後なんて言わなくても……」
「私、別れを告げに来たんです」
遮ろうとして失敗した言葉は、ヴァンスの心をどうしようもないほどに掻き立てる。
どうせなら自然消滅した方が二人とも楽だろうに、どうしてわざわざ危険を冒してまで自分に会いに来たのだろう。
ヴァンスは彼女のことが前よりもいっそうわからなくなっていた。
いや、そもそも彼は彼女の事など、何一つ知らないのだ。知っている気になっていただけで自分は彼女の本名も、家柄も、そして本当の気持ちも、何一つ知ってはいない。
聞かずに、聞けずにいたのは、自信の恐れからだ。一度聞いてしまい関係が壊れてしまうのを、彼は何よりも恐れた。
そしてその結果がこれだ。
自分が全てを聞いていても、結果は変わらなかっただろう。彼女がどこぞのプリンセスだということを理解していたとしても、自分に出来ることなどそれほど多くはなかったことだろう。
だが少なくとも、一度一度の逢瀬をもっと大事にすることは出来たはずだ。
そうすれば彼女に要らない世話を焼かせずに済んだ。そして彼女を自分のことで徒に傷つけずに済んだ。
どうして自分は、これほどまでにスースのことを気にしているのだろう。
「……あぁ、そうか」
ヴァンスは二つのことに同時に気付く。まず一つ目は、自分の本当の気持ちについて。そして二つ目は……
「まぁそうなるわな、隊長さんよ」
「え? それは一体……」
彼女が何かを話そうとする前に、二つの影が目の前に現れた。
暗がりから出てきた瞬間、その正体はすぐに明らかになる。
見慣れていて、見たくもないと考えている赤い甲冑が二つ。しかもご丁寧なことに、うち一つは隊長格のそれだ。
「そりゃあ着任早々目を離す真似なんぞするわきゃあないわな。だけど主君を泳がせるっていうのは正直どうよ?」
「こうでもしなければ、殿下にはわかってもらえませぬからな。騎士とゴロツキの違いというやつを」
「ほう、言うねぇ」
ヴァンスは腰の剣を鞘から抜いた。そのまま半身になり、いつでも戦闘に入れるように腰を落とす。
一人の姫を巡る真夜中の死闘が、始まった。




