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止める、止まる

「あ、つつ……」


 目の前のチカチカと光る星が視界に入ったことで、彼は自分の意識が回復したことがわかった。明滅する視界が元に戻り、正常な感覚が戻ってくると、鼻の曲がるような臭気があたりに満ちていることに気付く。

 どうやらそこは、ゴミ置き場であるようだった。人気もなく、ただ悪臭を放つ生ゴミだけが隣にある現状をなんとか打開しようともがき、そしてなんとかゴミから距離を置く。

 全身には鈍い痛みがあったが、外されていた肩はしっかりと嵌め直されていた。どういった訳かは知らないが、自分は見逃されたらしい。


(いや……訳だけなら、わかんだけどさ)


 忸怩たる気持ちを抱えながらスンスンと鼻を動かすと、自分の身体に腐臭がしみついているのがわかる。端的に言って、とても臭い。ヴァンスはとりあえず持っていた臭い消しの香水を自分の身体に振り掛けた。これで少しはまともな匂いになるだろう。

 自分の確認が出来たら、次は自分が居る場所の確認だ。

 彼が記憶している場所だけでも、このような場所は三つあった。一体どこだろうかとあたりをふらつくと、すぐに自分の居場所の見当がつく。

 幸か不幸か、この場所はあそこに近い。

 なんとか生き延びることが出来た幸運を噛み締めながら、ヴァンスはゆっくりと歩き始める。

 歩き目に映る景色を変えていきながら考える。一体自分は、どうしてしまったのだろうと。

 自分は好きなように生きる人生を送りたいとは思っている。だがそれは何も、不用意に敵を増やしても問題ないというわけではない。今回の行動は、どう考えても悪手だ。下手すれば死んでいたし、今生きていられる現状自体が奇跡のようなもの。どうして見逃されたのか、スースのとりなしがあったとはいえ不思議な位だ。


(……いや、不思議でもないのか)


 ヴァンスは痛みのせいで完全に覚えているとは言えない記憶を掘り返しながら、彼女のことを思い返す。

 スースはあのゴテゴテした騎士然とした男に殿下だのと呼ばれていた。つまり彼女は文字通りのお姫様だったということなのだろう。貴族様だと思っていた女は、それより更に上のプリンセスだったというわけである。流石にそこまで身分違いだとはヴァンスでさえも想像していなかった。

 ヴァンスは一応この国の王女達についての情報は一通り知っている、そして少なくとも、スースの特徴は彼女達のものとは異なっている。

 異国の騎士を従えていたことから考えると、やはり彼女はどこか他国から訳あってやってきたといったあたりが妥当だろう。

 辺りには昨日までと何ら変わらぬ雑踏が続いている。

 どこかからか盗んできた食べ物を後生大事に抱えている子供、酔っぱらったからかうわ言を呟きながら地面に倒れている老人、意味もなく周囲に敵意を振り撒いている怪しい男。

 世界は何も変わっていないのに、自分を取り巻く状況だけが変わってしまったように思えた。

 もう二つの線は交わらない、そう改めて突きつけられた。命をベットして得られた結果は、この一月半で散々身体に染み込ませた結論と何一つ変わらない。

 少しばかり認識が変わったことといえば、彼女が決して自分を捨てて行ったわけではないとわかったことくらいだ。そうでなければわざわざリスクを負ってまで自分を助けようなどという真似はしないだろう。

 だが何にせよ、彼女の真意と彼女を取り巻く事情がどうで有ったにせよ、最早自分には関係のないことだ。

 命と引き換えにならば、もう一言くらい彼女に何かを伝えられるかもしれない。だがそんな結末を自分も、そして彼女も望みはしない。

 少しばかり火遊びをした。その種火が普段よりずっと長く保った、それだけのこと。

 特に意味もなく、空を見上げる。

 夜空には満月が浮かんでいる。少しも欠けていない真ん丸なお月さまは、目を凝らさずとも見えるだけの距離にいつもいてくれる。

 付かず離れずというその距離感。久しく忘れていたその感覚が、やはり今の自分には必要なのかもしれない。

 ヴァンスは諦めと悟りを半々にして、ポケットに左手を突っ込んだ。右手で腰に提げた剣を弄りながら、第二区画にある酒場目掛けて歩き始める。

 下を向いて歩く彼の視界に、小さな影が映る。

 思わず顔を上げたヴァンスの足取りが、不意に止まった。パクパクと口を開き間抜けな顔をするヴァンスを見て、その影の持ち主が笑った。


「お久しぶりです……ヴァンスさん」

「……おいおい、流石にマジいだろそりゃあ」


 彼の目の前に現れたのは、紛れもなくスースであった。

 ドブまみれの色褪せた世界の中に、明らかに周囲の光景と不釣り合いな少女の花のような笑みがこぼれる。

 絶対にいけないことだとも、今すぐに帰さないと碌でもないことが起こるだろうということもわかっていた。だがわかったうえで彼は、笑みをこぼす自分の表情筋を、止めることが出来なかった。

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