台無し
そこは都心部から少し離れた、公共墓地の一角であった。
十把一絡げにされている墓石の右隅、ほんの少し茶色い石で出来た十字架の目の前にヴァンスは立っていた。
「……ざまぁねぇな」
戦いで生計を立てられるようになり、女遊びも経験し、今ではカッコのつけかたの一つも知っている。彼は右ポケットに手を入れたまま、左に持った甕を思いきり引っくり返した。
長い時間日差しを浴び、ぬるくなり酸っぱくなったエールがばしゃばしゃと石にかかる。
文字が読めるようになっていたヴァンスは、シュイの名がやたらと長ったらしいことを理解できた。
信じられないことに、いつも晩酌代を彼からむしり取っていた守銭奴には、高貴なる青い血というやつが流れているらしかった。
その家に行って事情を聞くだとか、どんな役目を負わされて死ぬことになったかなどヴァンスにはどうでもいいことでしかない。
冒険者崩れをやっていた関係上、彼は死がどれほどドラスティックなものかを感覚的に理解している。誰にでも訪れる死神の鎌が、たまたまシュイの首を刈り取っていっただけだ。
知っている人間の死も何度も経験している。そして冒険者としては正しく、人間としては間違っていることにヴァンスは死についての感覚が擦りきれてしまっている。
「ざまぁねぇな……本当に」
ヴァンスは死者に語る言葉は持たない主義だった。死んだ奴とて、自分に時間が使われるよりもっとまともな時間の有効活用をしてくれた方が嬉しいだろう。それがいつも彼が酒場で披露する自分理論だった。
不思議なことに、涙は出なかった。ただただ、虚しさだけが残った。
感傷に浸ることを時間の無駄と言い張る彼は、一度墓石を叩いてから踵を返した。
「……クソマズいエール、奢ってやろうと思ってたのによ」
左手に持つ空の甕を適当に後ろに放り投げる。パリンと陶器が割れる音がした。
ヴァンスは一つ鼻息を鳴らしてから、墓地を去った。
そして二度と、墓参りをすることはなかった。
行く宛もなく、特にすることもなかった彼は、なんとなく冒険者稼業を続けた。
勿論手を抜いているつもりはなかったが、やはりどこかで精細を欠いている部分があるのを感じていた。停滞している感があるのを認めずにはいられなかった、彼は今を維持しながら、なんとなしに酒場に通い続ける。
酒に溺れたい訳じゃない、女を抱きたい訳でもない。ただなんとなく、人の喧騒を聞いていたかった。
もしかしたらどこかのテーブルから、人を小馬鹿にしたような男の声が聞こえはしないだろうか。そんな風に感傷的になっている自分にも、彼は気付かない。
気が付けばC級冒険者になっていた。登録して数ヵ月でベテランの仲間入りをしたのだから、これは驚異的な早さだった。
ギルドから目をかけられるようになったが、その視線が彼には煩わしくて仕方なかった。
たらふく食べるという一番の目標が叶ってしまった今、自分は何をしたいのだろうか。
ヴァンスは大して良くない頭で一瞬だけ考えて、すぐやめてしまった。
もしかしたら自分は、シュイに一人前だと認めてもらうために毎日シコシコと戦っていたのかもしれない。そんな考えは、酒気と一緒にどこかへ行ってしまった。
その日も彼は、いつものように酒場に入り浸っていた。
首都の酒棚は、貴族間の贈答用のものを除けばほとんど制覇した。だが結局落ち着くのは、以前から飲んでいたカスまみれのエールだった。飲んでるんだか飲んでないんだかわからないこの薄い酒が、彼のお気に入りだ。
魔物肉を生でかじってきた彼は、貧乏舌と呼ぶのも生ぬるいほどの超絶な味覚音痴である。
だから結局彼がその銅貨一枚で飲めるエールを選んだのは、それが下積み時代の記憶を想起させるからに他ならない。
リスタンの酒場は先払いが基本なため、既に支払いは終えている。
ヴァンスは虫歯一つない真っ白な歯で無理矢理肉を噛み千切りながら、ちびちびと酒を飲んでいた。
ぼうっと開閉式の入り口を見つめていると、ローブを目深に被った一人の女が入ってきた。全身を隠しているのだから性別がわかるはずもないのだが、ヴァンスは自らの女をかぎ分ける第六感で、彼女が女性であることを察知していた。
動きはあまりガサツじゃない、視線がフラついてるが酔っぱらってはいない。酒場になれていない階級の人間であることは明らかだ。
大方貴族の娘のいけない夜遊びという奴だろう。
「……最近は娼館通いも飽きたし、ここはいっちょ探りを入れてみるか」
ヴァンスは鼻の穴を大きく膨らませながら、彼女が腰かけた椅子の向かいに置かれた椅子に腰を下ろした。彼女がチラと顔を上げ、フードの隙間から赤い瞳が覗く。二重の大きな一対の瞳は、
何事も太く短く。火遊びは危険であればあるほど面白い。
ヴァンスはキラリと歯を光らせながら、素晴らしい笑顔でこう言った。
「ちょっと今から、いい感じの連れ込み宿行かね?」




