少年の日常
ザガ王国という国は、一枚岩ではない。国という組織が一つに纏まることなど滅多にあることではないが、この国に関してはその趣が些か特殊である。
ザガ王国は、元々は一つの小国であった。周囲から見下され、農業と林業に精を出すしかない弱小国家としてしか見られておらず、他国からは蛮族と見下されていたほどだ。
しかしザガ王国が国王はその土地の小ささと、農民を民兵として徴収し農閑期に運用する術を長年の蓄積により獲得した。周囲が魔物の被害に喘ぐなか、貴族と豪族に大差の無い野蛮人達は、自国を富ませつつ戦闘能力を練度ではなくリーチの差と攻撃密度で補う技術を突き詰めていった。
そして各国を冬が遅い戦間期に入ると同時に侵攻を開始し、近場の諸国連合を、その向こう側にあったリヴァティル教国を、そして近隣諸国の中で最も強国であったガングニルを征服した。
彼らは戦争の旅に他国の技術、特に魔法技術を進んで採用し、積極的に戦術に取り入れていった。そして連続する戦いのなか後背を脅かされぬよう、各国の統治に関しては比較的穏便な策を取るようになった。そのメインは技術供与と労役賦与による奉益と呼ばれる一種の税であり、それを彼らに提供する限り、ザガ王国の一員であるとして必要以上の強権を発揮されることなかった。王の権威が完全に武力を背景としたものであり、彼を支える貴族達に地方豪族の色合いが濃かった関係上、ザガ王国の統治は基本的には各人を重んじる緩やかなものであることが多かった。一度裏切れば容赦なく奴隷に落とされるが、身内にいる間は下手なことはされない。
そう認識されたことで、各国が下ることに抵抗を感じなくなったこともまた、ザガ王国が大きく版図を拡げた原因の一つである。
ここで話は最初に戻る。ザガ王国は決して一枚岩ではない。言ってしまえば複数の岩が縦に重なり合い、一つの国を形成している。
そして物語が始まるのは、そんな広大な王国のとある小国の跡地。
文化的にも文明的にも、戦争の前後で何も変わらぬような小国の一画から始まる。
冒険者ギルドには国の気風が出るという話がある。各国からやってくる流離いの暴力装置達は、なんのためらいもなく自国の慣習や物品を持ち込んでくる。そのためにギルド自体が、ある種の文化侵略の抑制装置として、自国の特徴を建物の中に取り入れるのだという。
西を流砂、北を山脈、東に大国、南には魔物の跋扈する海に囲まれたリスタンには、何一つ特徴がない。強いて言うならば貧しさが唯一目立つ部分ではあるが、そんなものを見せびらかしたいと思う人間はいない。
故に冒険者ギルドリスタン支部には、床に散らばる黄砂とカラカラに渇いても尚光沢を放つニラスの木のテーブルを除けば、何一つ特筆すべき点はなかった。
大した特徴もなく、魔物のせいで開発の余地もないこのどん詰まりの国のギルドは、これまた平凡なことに酒場を併設している。
その日暮らしの生活をする冒険者という職業は、ゴロツキで、荒くれ者で、そして実は誰よりも寂しがり屋だ。
職業柄まともな信頼関係を築き上げることの出来るものは極少数しかいない。
商隊の護衛、貴人の警護、それから貴族の子息の家庭教師。これらの職にありつけるものは明日の命も飯のグレードもわからぬ冒険者達にとって勝ち組に他ならない。
そしてそんな幸運が降り注いでこなかった残り物達は、今日も少ないパイを奪い合う。
だが誰もが潜在的な敵であるからこそ、彼らは酒場では無礼講とばかりにエールを酌み交わす。
もし自分が死んだとしても、この中の一人くらいは悲しんでくれるかもしれない。そんな女々しい気持ちを隠しながら、髭面の男達は荒々しく酒を飲み、豪快に笑い、テーブルを壊して借金を背負う。
そんな喧騒の中、隅のテーブルに二人の男がいた。
一人は少年、そしてもう一人は見るからに人の悪そうな人相の大男。
「おい坊主、これが今日の取り分だ」
「はいよ…………おい、ちょっち少なくねぇか?」
「モグリならこんなもんだろ、嫌なら二度と組まなきゃ良い」
「チッ、足元見やがって……二度と組むかよドケチ野郎」
「それじゃあな、達者でやれよ」
目の前に置かれた袋を見つめる少年、ヴァンスは男が酒場を去ると同時に袋を持ち上げる。
「はぁ……軽ぃ」
紐で結ばれた巾着袋の中身を覗けば中に入っているのはジャラジャラ音を立てる銅貨が五枚ほど。
素材の買い取り相場と依頼量の十分の一以下、どこからどう考えても足元を見られている。
ヴァンスは髭の一本も生えていない卵肌であるにもかかわらず、酒とナッツを頼んだ。
ウェイトレスは明らかに未成年の彼を見ても何も言わず、そっと頼まれた品を差し出す。
引き換えに銅貨が持っていかれ、彼の依頼量の残りは銅貨二枚になった。
少しばかり薄めるための水を減らしたエールに、僅かばかりに多目に盛られたナッツ。
彼はなんやかんや自分を叩き出さずにいてくれる店のことをありがたく思いながらナッツをかじる。塩気のない味が、口の中の水分をただただ奪っていく。
「あー……くそ、今日も雑魚寝か」
ヴァンスはポケットにねじ込まれた少量の銀貨と目の前の袋に入った銅貨から、今日もまた宿とは名ばかりの廃屋に泊まることを余儀なくされることを理解する。
明らかに幼い彼は、ギルドに登録することも出来ない。年齢を誤魔化せないのだから、冒険者になりようもない。
そのため冒険者崩れとして適当に日銭を稼ぐことしか出来ない。少なくとも自分がいっぱしの男に見えるようになるまでは。
エールを飲み干してから、彼は立ち上がり酒場を後にした。
まともに依頼を受けれるようになりゃあ、すぐにSランク冒険者にだってなれんのに。
世界へ愚痴をこぼしながら、ふらつく足取りで彼は今日もいつもの宿屋へと歩いていく。
少年ヴァンスにとって、世界はただただ理不尽なものであった。




