旅立ち
とりあえずの和解を終えると、彼女の様子は面白いように元に戻った。しばらくして自分の定位置であるバルパの胸のあたりをキープしながらご満悦な彼女を連れ、皆の元へ戻る。
その後シュタタッと駆け寄ってきたエルルと一悶着あったりもしたが、何やら通じ合うものがあったのか二人はエルルとミーナの時のように喧嘩を始めることはなかった。
仲良くなったらしい二人はルル達に任せ、バルパは今や部族間会議の集合場所となっている老婆の住居へと向かっていった。
彼らは合わせて五つほどの部族に別れていた。
バルパの想像とは異なり、議論が紛糾している様子は見られない。どうやら老若男女関係なく、自分達を襲った集団の潜在的な脅威を感じ取っているらしかった。
これならばさほど問題はなかろうと、バルパは黙って彼らの話の一部始終を聞いた。
黒ずくめ達と実際に関わることになった彼等の士気が高いのは良いとして、後の未だ魔物の領域を越えてきた人間達から直接の被害を受けていない部族のことは気がかりだ。
それに今ここにいる他部族の人間とて、意気揚々と帰って話しても一族の者達が話を聞き入れてくれない可能性も高い。
バルパとしても気にならないではなかったが、そんなところまで見守っていては時間がどれほどかかるかわからない。奴隷娘達の帰郷と魔物の領域の観察というやるべきことがある以上、そこまで足踏みはしていられない。
とりあえずは自分達が鍛え、かつ人間達に一族全滅の憂き目に遭わされかけたズルズ族が取りまとめることになるだろう。ピリリは部族こそ違うが、シルル族もまた若い者達を拐われているという苦い経験があるのだから二部族の思惑は合致するはずだ。そうすれば両者の懐刀として活躍するであろうことは、疑いようがない。
まだまだ考えるべきことも、やらねばならぬことも多そうではあるが、とりあえず一先ずの危機は脱することが出来たと考えるべきだろう。
窮地を抜け出した彼らがどのような選択を行い、そしてどのような結果を導き出すのかはわからない。
彼らが強くなり、生き延びてくれることを、バルパは願わずにはいられなかった。
次の日、バルパ達は集落跡地でズルズ族総出で出迎えを受けていた。
どうやら結界を生み出す装置自体が壊れた訳ではないようで、夜半を過ぎても魔物が近寄ってくるような気配はなく日が上った。
出迎えの別れの場だというのに、雰囲気はさほど良くはない。
「フシャーッ‼」
「……」
来るもの拒み去るもの追わずなミーナとエルルが、必死になってバルパに近づこうとする者達を威嚇し続けているためだ。本人達は必死になっているようではあるが、バルパからすると小動物が吠えているようにしか見えない。
しかし女衆も負けてはいない。時にエルルを甘い物で釣り、ミーナをあの手この手で翻弄しながらもなんとかバルパと話そうとしてくる。
果たして彼女達があれほど必死になるだけの価値が自分にはあるのだろうか。わちゃわちゃとキャットファイトを繰り広げるミーナと女達の泥試合を見つめながら、バルパは側にいるピリリの頭を撫でていた。
彼女は昨日は疲れからかすぐに寝てしまったため、それほど話が出来たわけではなかった。一応バルパがゴブリンであることは伝え、彼女に自分の本当の姿を見せたりもしたのだが、彼女は特に驚かなかった。
ピリリはただ緑色の手を取り小さく
「バルパはバルパだよ。大事なのは、そこだけ」
と呟くだけだった。正直嫌われることも覚悟していたし、むしろ嫌ってくれた方が彼女の教育上望ましいだろうと考えていたバルパとしては少々意表を突かれる形になった。
自分を受け入れてくれたことは嬉しかったが、これからのことを考えると複雑な気持ちでもあった。
バルパは別れの時が近付いているのを感じてか、いつもより多目に甘えてくる彼女の行動の一切を、黙って受け入れていた。
「ねぇ、ついてっちゃダメ?」
「ダメとは言わんが、もしものことがあればピリリの知り合いも全員死ぬことになるぞ? それに縁があればまた会えるさ、きっといつか」
現状、人間側の実力的に彼らとまともにやりあえるのはピリリか、徒党を組んだズルズ族だけだろう。もしピリリが残られなければ、下手をすれば虫使い達が全滅する可能性だってある。
そしてそんなことより何より、彼女にとっては自分と暮らすよりもよく見知った人間達と暮らす方が良いだろう。そうバルパは考えていた。
彼女は自分のことを神格化し過ぎているきらいがある。人間という生き物は良くも悪くも偶像化が好きだ。皆が皆、自分のことを英雄か何かのように祀り上げる。
だが自分はそれほど大した存在ではない。同じように勇者を殺すことが出来るものがいれば、恐らくそいつはこれまでの出来事をバルパなどよりもよほど上手くやってのけたことだろう。
バルパはそんな風に自分を過大評価しているピリリと、一度距離を置くことが必要だと感じていた。
「……」
そして自分だけでない誰かの命がかかっているとなれば、優しいピリリは同行という選択肢を選べない。
黙ったまま口を閉じるピリリを見ているのは忍びなかった。だがここで変に優しさを見せ、彼女を同行させるのはきっと皆のために良くない。
「だが……」
「え?」
「もし虫使い達が一丸となりどこかに居場所を作り、それだけの経験を積んでもなお、俺の側にいたいと言うのなら……好きにすれば良い」
「ホントッ⁉」
凄い食いつきのピリリに黙って頷きを返す。
「こういうところですよね」
「そうそう、こういうところだよ」
少し離れたところで聞こえるような声で話すルルとレイ。
バルパは結局、悪役に徹しきれもしない。無理矢理ピリリを突き放した方が今後のためになるというのに、今の彼女の悲しげな顔を見れば最善でないはずの選択をしてしまう。
別れの準備などというものは特にない。無限収納を持つバルパがいるのだから、身支度などというものはそもそも必要のないことだ。
ピリリは最後の一言が効いたからか、ぐずったり別れの時間を引き伸ばしたりすることはなかった。
「約束だからね?」
悪戯っ娘の笑みを浮かべるピリリを見て、彼女もまた成長しているのだと気付くバルパ。
彼が彼女へ託したことは決して軽くはないはずだが、その顔を見ればどうしてかやり遂げてしまいそうな気しかしない。
もしや早まったかと思ったときには時既に遅し。バルパは遠回しな言い回しで言質を引き出されてしまった。
自分が成長していると同様に、ピリリもまた大人になっている。もしや先ほどの悲しみの顔も、演技だったのかもしれない。
だがそれでも良いと思えた。なんにせよ彼女の成長が見られるのは、喜ばしいことであったから。
別れの言葉は告げず、ただ手だけを振って彼らのもとを後にするバルパ達。
「またな」
再会を約束しながら、一行は魔物の領域を更に奥へ奥へと進んでいく……前に一度リンプフェルトへと戻る。
旅の供を一人減らし、そして旅の道連れを一人し人数的に変わりはない。
しかし皆の顔や気配は、大きく変わっている。人も魔物も、変わっていく。変わらぬものなどこの世界には存在しない。
新たな同行者を連れ彼らの旅路は続く。その先にあるものがなんなのか、バルパ達もまだそれを知らない。
バルパは纏武神鳴を発動させ馬車を担ぐ。
一つの別れを経験したにもかかわらず、彼の足取りは軽かった。




