停滞は許されない
時刻は変わり二日目の夜、バルパは今回は老婆と話をすることにした。
女性達からのアタックをなんとか退け、腰布のようにエルルを巻きながら年老いた老婆めがけて歩いていくその姿は、鎧から文明を感じ取れなければ蛮族の王のように見えていたことだろう。
「疲れたかい?」
「ああ、大抵の場合、人付き合いは戦闘よりも面倒くさい」
全てが単純な戦いで決まるような世の中が来れば良いのに、バルパはありもしない不可能な未来を夢想しながらどっかりと樽に腰かける。その際に少し腰を浮かしてから、一回り小さい樽を取り出してやることも忘れない。バルパの右に置かれた一回り小さい高級なワイン樽に、エルルは黙って座り込む。
「活気があるのは良いことだ。たとえそれが空元気であろうとも」
「あれがそう見えるなら、そうなんだろうねぇ」
バルパはエルルが必死に背筋を伸ばしながら差し出してくる煮込み料理を頬張りながら、周囲に点在している焚き火を見やった。その炎を取り囲むような形で食事をしている者達の顔に、不思議と不安や焦燥は見られない。
彼らは心根の強い者達だ、と元気に女性に話しかけている男を見て思う。
襲われてからまだ日も浅く、当時の恐怖や怒りなどまだ色濃く残っているだろうに、彼らはどちらかといえば現状を楽しんでいるようにすら思える。
鮮烈な記憶がなりを潜めているとは思えない、恐らく彼らは未だ強く記憶に残っている諸々の出来事を、どうにか乗り越えようと頑張っているのだろう。
それゆえの妙なテンションであり、どうにも御しがたいほどの勢いのある休憩時間なのだろう。
彼らの精神面での回復の一助となるのなら、バルパとしても玩具のようにあっちこっちへ引きずり回されても腹は立たない。
疲れるか疲れないかで言えば間違いなく疲れるのだが、その程度ならば許容範囲である。戦闘に支障がない程度ならば何も問題はない。
「このペースなら、あと数日もすれば着くんじゃないか?」
「そうだな、拐われてから時間が経っていないことは幸いだった」
バルパの見立てでは、一度戻るためには恐らくあと一週間もかからないだろうと考えていた。
バルパはそこを臨時の基地として、ルルやミーナ達と合流をしてからこれからの行動を決定する腹積もりだった。
他部族との折衝のことや、彼らが集落を見てパニックに陥る可能性等についてはとりあえずは考えないようにしている。まずは近付いてみてからすれば良い、今重要なのはそういった些事ではなく、もっと大きな事だ。
魔撃で黒ずみ始めている木を勢い良く燃やし、生木が燃える程度まで火勢を増やす。
パチパチと木が爆ぜる音と、離れた場所での談笑の声だけがあたりに響く。
「元の暮らしを続けることは難しいだろう、どうするつもりだ?」
「そうだねぇ……」
集落を再建し、また同じような暮らしを……ということはもう難しいだろう。仮にすぐに住み処を移したとて、ズルズ族が海よりも深い溝と魔物の領域の境界線で暮らすという事実は変わらない。ただでさえ多かった魔物という外敵に加えて、これからはいつどれほどの量が来るかもわからない人間達に対応する必要も出てくるのだ。
以前と同じような生活を続ければ、また同じような目に遭うことは確実だろう。
そしてそれはズルズ族だけに言えることではなく、彼らと似たような暮らしをしている虫使いの他部族達、そして彼らと同様にどちらからの世界からも弾き出されたはみ出しもの達についても言えることでもある。
最早魔物の驚異を退ければなんとかなるという段階は過ぎてしまっている。
恐らく彼らは早々に、変わらねばならぬ事態に見舞われることだろう。
その選択肢は決して、多くはない。
「この生活を続け徐々に滅ぶか、人間側になんとか潜り込むか、魔物の領域の奴等に受け入れてもらうか。選べる方法は、この三つくらいしかないだろう」
人間の、或いは魔物達の奴隷になるというチョイスは流石に除外してある。最悪バルパが相応な主人を見繕いリンプフェルト経由で各地へ流すという手段もあるが、そうすれば彼らは離ればなれになってしまうだろう。
今まで苦楽を共にし、手を取り合って生きてきたであろう彼らに、そういう暮らしをさせることはしたくない。
ヴァンスに全員分面倒を見てもらうという方法もあるがそれは流石に迷惑をかけすぎている。
バルパが魔物の領域なり海よりも深い溝なりを開拓して彼らのための国を作るという手もあるが、それは結果的にはミーナ達を巻き込んでの含めての緩やかな自滅にしかならないだろう。強くなったとはいえ人間達と事を構えるには、力が足りていない。ヴァンスクラスの実力者が出てこないとも限らないし、ともすれば彼と戦うことにもなりかねない。
前回手傷を追わせたのは彼が油断しきっていて、酒の入っている状態で、同時に自分の剣の存在がバレていなかったからだ。ヴァンス相手には纏武だけでは渡り合えるはずもない、数秒で瞬殺される未来しか見えなかった。
それに、バルパは誰かに過度に干渉しすぎるということがあまり好きではない。必要以上の手助けをしてやることも、全てをお膳立てしてやるということも彼は出来る限りしたくはなかった。
やはり大切なのは自主独立の精神であり、独立独歩の気概であり、そして自ら未来を掴み取ろうとする生き汚さだ。
人生を預かることになる奴隷達とは異なり、彼らは本質的には自分となんの関わりも持たぬ人間である。
バルパは彼らには、必死に生きていく術を教えたつもりだ。手は差し伸べた、だから後は彼ら次第だ。全くのどん詰まりでない以上、彼らにこれ以上手を貸すのは、最低限にするつもりだった。
その最低限に自分でも気づかぬうちに色をつけ、今でも過干渉気味であるのは、ご愛嬌というやつである。
一体老婆は彼女達の未来についてどう考えているのだろう。その返答如何によっては手を貸すかもしれないし、体ごと突き放すこともあるかもしれない。
彼女の口の端に乗る言葉を想像しながら、バルパはもごもごと動くしわくちゃな口を注視した。




