百八十度
パルマは深刻そうな顔をしながら、話し始めた。彼が何を考えているかはバルパには知る由もないが、話の一言一句を聞き漏らさぬようにしようと、バルパは聞く態勢をしっかりと整えた。バルパ達がいなくなってからの数日間については割愛してもらい、襲撃のところから話してくれるようにというバルパの頼みを、パルマは快諾してくれた。
「そうですね……まず最初は、異変を感じました」
「それはどのように?」
「具体的に言うと、まず最初に集落を覆うように展開されている結界が消えたんです。急に魔物が入ってくるようなことはありませんでしたが、やはり長年信頼していたものが消えたわけですから皆かなり焦っていました」
魔法の品を掻き消すような魔法の品が存在するということだろうか。そんなものがあることをバルパは過分にして聞いたことがない。まだまだ知らないことも多いと思いながら、バルパは記憶の一ページに新たな魔法の品の種類を記憶しておくことにした。
「正直、そこからのことはあまり多くは覚えていません。とりあえず纏まるように指示は出したんですが、しっかり集結する前に個々で狙われてしまいまして。組織的な抵抗が出来ぬまま、なすすべもなくやられてしまいました。ただただ必死だったことと、自分の無力を感じたことくらいしか、記憶に残っていないんです」
「なるほどな……」
これは別にパルマが悪い問題ではないだろうに、彼はまるで全ての責任が自分にあるかのように気落ちしている。
もし仮にバルパがその場に居合わせたとして、襲撃を完全に防げたかは正直疑問が残る。
たとえ彼らと比較しても圧倒的に優れているスピードで翻弄したところで、人質を取られればバルパであっても容易に動くことは出来なくなっていただろう。
今回の救出は人質輸送をする人員達の不意を突くようなことが可能であったからこそ成功したのであり、よくよく思い返してみれば最初の救出の段階で人質作戦がとられなかったことは本当に幸運なことだった。あそこでズルズ族の人間を盾にして迫られていれば、バルパとしてもかなり際どい所だっただろう。今ばかりは恐らく馬鹿な判断を下したのであろうリリアーノの頭の悪さに感謝したい気分だった。
「俺でも助けられはしなかっただろう、そう気落ちするな」
「……いや、バルパさんなら助けられました。絶対に」
「……無理だと思うがな」
そもそもバルパが未だに逗留を続けていたのなら、剣が覚醒していたかも怪しい。よしんば覚醒して能力が上がっていったとしても、剣の魔力増幅は量こそ多かれど上昇速度はゆったりとしたものだった。
いきなり戦闘が始まっていれば、彼ら相手に苦戦を強いられていたような気もする。
人質作戦のことも考えると、やはり数人は犠牲を出してしまっていたように思う。
つまり結果から考えれば、彼らは何も出来ずに捕まるのが最善だったというわけだ。
だが捕まってくれたおかげで皆が助かったと言うのは、パルマ達のプライドを傷つけることになるだろう。自分の無力を誉められて嬉しい生き物など、この世にはいないだろうから。
どう伝えてやるのが良いだろうか考えてもわからないときは、自分の直感に従った方が上手くいく。バルパがエルルの頭を小さく撫でると、彼女が小さく喉を鳴らした。
「お前は生きている、そしてズルズ族の全員が生きている。それで十分じゃないか」
「……でも傷つきました、俺が負けたせいで。何人も、何人も」
「死んでなければどうとでもなるさ。死ななければ勝ちだ」
「勝ち……ですか?」
「そうだ。結局最後は生きてる奴の勝ちだ。あいつらは俺が全員殺した。お前達は全員が生きている。だからお前達の勝ちだ。良くも悪くも、それが全てだ」
試合に勝って勝負に負けるなどという考え方は、バルパにはない。彼にとって戦いとは生き残るか、殺されるかだけだ。前者が勝ちで、後者が負け。バルパにとり勝ち負けは、基本的には生と死の言い換えでしかない。
強い弱いというのは、生存競争の故の結果論でしかない。色々な強さ弱さがあるが、要は最後まで生き残っているものこそが、真の強者なのだ。
彼らも、そしてバルパもまだまだその場所へ至るには遠い道のりが続いている。
個としての強さはある程度まで高まったが、ヴァンス達人外の領域は未だ遠い。人間の郡体的な強さは未だないし、その他の強みは理解が及んですらいない。
目指すべき場所はまだまだ遠い。そんな当たり前のことを、バルパはパルマに教えてもらったような気がした。
「勝てば良いのだ、次は完膚なきまでに勝てば良い。まだまだ先は長いぞ。ドラゴンを殺せる程度で調子に乗っていては、足元を掬われかねん」
「……いや、竜は僕たちにはまだまだ早いですよ」
「む、そうだったか?」
この疑問は、バルパの本心を隠すための欺瞞だった。逐一報告を受けるようにしていた彼は、ズルズ族の男達が未だ全員でかかってギリギリワイバーンを倒せないという力しかないことを理解している。
だから今の一言は、彼らへではなく自分へ向けた言葉であった。
おいバルパ、自惚れるなよ。たかだか騎士と訳の分からぬ人間を殺した程度で、自分が強くなった気になるなど片腹痛い。エレメントドラゴンを一撃で殺せるようになったから、自分は最強にでもなったつもりか? 馬鹿馬鹿しい。そんなことだから周りの人間を不安がらせてしまうのだ。
「俺もお前達も、まだまだ道の途中だ。先は長いぞ、うん」
「……はい、そうかもしれません」
そうだ、自分などヴァンスの一撃で消し飛び、真竜の視界に入るだけで消し炭になる程度の半端者だ。何が強者故の孤独だ、自分で孤独なら世界中の独り者は全員孤独死してしまう。
自分は孤独じゃない。ルルもミーナも、自分を追い掛けてくれている。彼女達がいなくなったとしても、ヴァンスという絶対の目標がいてくれている。
気落ちする時間も、悩んでいる時間もないぞ。
考えているうち、悩んでいるのがバカらしくなってくるバルパ。先ほどまでの蹂躙によるしこりのようなものが、消えたのを感じる。
というか自分は魔物なのだし、生き死ににそこまで頓着しないはずではないか。エルルを命がけで助けたのは自分の気まぐれだが、まぁ勝ったのだからもはや引きずる必要もあるまい。少しばかり人間側に染まりすぎている。バルパは自分の中のゴブリン頑張れ、と心の中へエールを贈った。
パルマの顔が少しだけ明るくなる、吹っ切ったとまでは言えずとも少しは心の整理がついたという感じだろうか。お互い元気になって何よりである。バルパがバシバシと彼の肩を叩くと、パルマは怪訝そうな顔をした。
「お前のおかげで視界が開けた気分だよ、感謝する」
「え? あ、その……どういたしまして?」
「…………」
バルパの真似をして、エルルもパルマのお腹のあたりをぺしぺし叩いた。先ほどまでうざったいと思っていた彼女の行動も、ある程度心の余裕を持って見てみると中々どうして愛くるしい。
心の切り替えが早すぎる気がしないでもないが、良いことなのだからよしとしておこう。
その後もバルパとエルルは、バシバシぺしぺしとパルマのことを叩き続けた。
バルパは少しだけ、エルルのことを気に入った。




