弱き者のために
バルパが少し離れたところにいる彼らの方へ近付くと、全員が全員緊張した面持ちでバルパの方を見た。いつ戦闘に入っても良いように再度纏武を起動させるバルパに、どうやら集団を完全に掌握したらしいドルディアが近付いてくる。
「終わったか?」
「ああ」
「そうか」
バルパに向けられる視線には、色々な種類があった。ある者は彼を化け物を見るような目で見つめ、またある者は彼を親の仇のようにじっと見つめていた。
どうして彼らは逃げないのだろうかとバルパは不思議に思った。逃げ切れないかどうかなど、やってみなければわからないと思うのが普通だろうに。
無駄口を叩こうと思ったが、止めた。
バルパはドルディアという男のことを、気に入りかけていた。彼とこのまま話を続けてしまえば、自分達のこれからのことを無視して彼を助けてしまいそうだった。
彼がこの騎士団の面々を生かしておくという選択はない。そんなことをすればルルやミーナに迷惑がかかることになる、彼女達が自分と別れた時には人間達の中に居場所がなくなっているという事態になることは避けたかった。
下手に話せば情が生まれる、そして情というものはどんなときも行動の妨げにしかならない。
バルパは既に自らの立ち位置を明確に決めていた。故に彼が敵と認識した者達に手心を加えるべきではない。
「これ以上、言葉は要らない。後はただ、戦いの中で語るのみ」
「そうか、それなら最初の相手は私が務めよう」
「良いだろう」
向こうもバルパに訊ねたいことがあるのだろう。だが彼もまた、バルパと同様何も言わずにいてくれた。黙って剣を携えるその顔には、諦観以外の何かがあるように見える。
纏武を使わず、身体強化の魔撃も使わなければ、良い勝負になるかもしれない。そう思ったバルパは一瞬考えてから、すぐにその考えをドブに捨てた。
相手の真剣にはこちらも相応の態度で応じるのが礼儀というものだ。
普段は礼儀など気にしないバルパは、戦いの作法だけはしっかりと気にかけるようにしている。戦いの本質がエゴのぶつけ合いである以上、勝敗に関する部分を除いては手心を加えるべきではない。きっと相手もまた、それを望むだろう。
バルパが一歩前に出ると、ドルディアもまた足を前に出した。誰も二人を止める者はいない。完全に一対一の戦いだ。
まるで決闘のようだ。ピリリに聞いたところによると、決闘は互いに譲れないものをかけるのだという。自分にとって譲れないこと、曲げられないこととはなんだろう。決闘に相応しい事柄を思い浮かべ、バルパはボロ剣の切っ先を上へ向けた。
「強き者から奪われる弱き者を守るため、俺は剣を振るおう」
「……殿下の仇討ち、国に仇なす国賊を討伐するために剣を振るおう」
どちらからともなく二人が一歩を前に出す。バルパは少しだけ寂しい気持ちを抱えながら、一息で一気に距離を詰めた。纏武疾風迅雷を発動している今、バルパは一息で数十歩もの距離を進むことが出来る。ドルディアが一歩を踏み出した段階で、バルパは彼に肉薄し刃を振るうことが出来た。
バルパはそのまま彼の目の前で停止し、振りかぶって振るったボロ剣でその首を刈り取った。
ドルディアが首に着けてある補強用の金属プレートも、バルパの攻撃に咄嗟に合わせたその剣もまとめて、ボロ剣が切り裂いた。
後にはただ血を噴出させるだけの身体だけが残る。
彼にもまた、家族がいる。自分にとってのミーナやルル、ピリリのような人間がいる。
そんな彼の命を奪ったのは、他の誰でもない自分だ。それも自分が原因である理由などではなく、自分の仕える人間の尻拭いのような形で彼は死んだ。
違う出会い方をしていれば、彼に剣技を教わるような未来があったのかもしれない。そう思いながら、バルパは彼の首と胴体を無限収納に入れる。
強き者は、弱者の生殺与奪を自由にする権利がある。
しかし他社の命を弄ぶということは、自分の命もまた弄ばれるという覚悟をするということだ。
バルパはこの場所で、圧倒的な強者だ。彼は刃を振るい、自らの身内といたいけな少女を害した私怨で彼らを殺そうとしている。他の仲間に迷惑がかからないよう、一人残らず殺そうとしているのだ。
自分には、殺すだけの力がある。だからやる、それはとても自然なことで、人として生きるバルパにとっては酷く不自然なことだった。
後悔はしないだろうと思った。彼らの後ろにいる家族が、親戚が、友達が自分を狙うというのなら、受けて立つのも良いかとも考えた。
彼らの中には嫌々ズルズ族襲撃に参加した人間もいるのかもしれない。ドルディアは本当のところ、どう思っていたのだろうか。そんな風に感傷的に考えてしまう自分の優柔不断さを、バルパは失ってしまいたくないと思った。
自分の勝手に生きるからこそ、しっかりと自分を持とうと、彼はそう改めて心に誓った。
騎士達はドルディアの死体を見るだけで、バルパの方を見ることはなかった。
そんな彼らに、そして実際のところは自分に向けて、バルパは大きな声を出した。
「俺の剣は…………弱き者を助けるために捧げよう。奪う者を殺し、奪われた物を取り返してやるための手助けをしよう」
自分は全てを助けることは出来ない。こうしてドルディアやリリアーノを殺して改めてそう思った。バルパにはズルズ族を襲った奴等を守ってやることは出来ない。彼らが国に報告して、国軍を派遣されても誰一人犠牲を出すことなく戦い抜くだけの実力がまだないから。そしてズルズ族を襲い物として扱おうとしていた人間を、許すことなど出来ないから。
恨みというものは、こうして溜まっていくのかもしれない。もしかしたらこういった出来事の積み重ねが、両者を隔てる壁の正体なのかもしれない。バルパはそんな風に思った。
バルパは人間側の原理などわからないが、それでもドルディアのどっち付かずでいなくてはならないのだという立場については理解できた。
だから人間憎し、人間は悪だと一方的に決めつけることも、バルパはヤメにした。
どちらが悪いだとか、どちらが正しいだとか。そんなことはバルパにとって今はまだどうでも良いことだ。世界をどうこうするだけの力は、今のバルパにはないのだから。
だがだからこそ、どちらにも過度な肩入れはしないようにしようと思った。
魔物として生まれ、人間社会で暮らしたバルパというゴブリンは、両方の暮らしを知る数少ない生き物の一つだ。
力が足りていない今は、自分が好きなように、そして自分の大切な者を傷つけないように生きていくしかない。
今彼らと戦わねばならぬ自分の非力を思いながら、バルパはボロ剣を掲げた。
「お前達に恨みはある、だからお前達も俺を恨んで良い。俺は今から剣を振るう、自分達が生きていくために」
バルパは剣を掲げ自らを鼓舞している最中、ボロ剣が眩い光を発していることにようやく気付いた。目を開けていられないほど眩しいはずにもかかわらず、まったく眩しくない。
そんなどこか矛盾した輝度を持つボロ剣が、その形を変えていくのを、バルパは呆けたように見つめていた。
ざらざらとした切っ先が、つるりと卵のような丸みを帯びる。
鈍く光っていた刀身が、光輝く白金色へと変わっていく。
茶色い錆は消え、代わりに緑色の薄く柔らかな光が、剣を覆っていた。
バルパがグッと剣を握ると、剣がそれに応えるかのように一際強く輝いた。
そしてその瞬間、バルパは脳内に流れる情報を吟味し、急ぎ駆け出した。




