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ゴブリンの勇者  作者: しんこせい(『引きこもり』第一巻2/25発売!!)
第一章 狩る者と狩られる者
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ルルという女

 ルル、本名ルリーネル=リリア=フォン=ヴェルヘレンベルクは不幸な少女だった。貴族の令嬢であるにも関わらず質素な食事を強要され、外に出ることも出来ぬまま半ば幽閉され育ってきた幼少期は彼女にとって良い思い出ではない。庶子であるというだけでこんなことになるのなら、私は生まれてこなければ良かったのに。自らの不運ではなく、自らを産み落としてしまった母とそれを許容した世界の不幸を彼女は嘆いた。

 両親と会うこともなく、まともな教育を受けることもないままに彼女は少女へと変わっていった。誰とも接触をしてこなかったことで一般的な人間よりもよほど真っ直ぐで純真な人柄に育ったことは、彼女にとって不幸でもあり、そして不幸中の幸いなことでもあった。

 彼女は金で雇われる監視の目に付け届けを行い外へ出掛けることを覚えた。危うく魔物に殺されかけた時に出会った暁のメンバーと友宜を結んだ、そして彼女は一人への女性へと変わった。小屋を脱け出し、国を出奔し、世界と交わりながら暁の一員として各地を旅した。ダンジョンから産出した聖遺物に触れたおかげで聖魔法に適正があることがわかり、彼女の開くはずのなかった才能は見事に開花した。

 大人になり、色々な物を見て聞いて成長したルルはもう嘆くだけの少女ではなくなっていた。彼女は世界と断絶したルリーネルではなく、世界と積極的に関わるルルになっていた。

 彼女は暁に返しきれないほどの恩があった。だからこそ彼女は自分達が背後から奇襲を受けたとき、そしてその襲撃者が全身を魔法の品で固めた者である時に自らの不幸を嘆いた。彼らを巻き込んでしまった自分に腹が立った。

 幾つもの爆弾を抱える自分をそれでも側に置き続けてくれた彼らへの感謝の念を抱きながらルルは紅の鎧の男が投げ、自らの胸に刺さった短剣による痛みで意識を失ったのだ。 


「……何が目的なんですか? 体ですか、お金ですか?」

 彼女は自分が殺されないということはわかっていた、だがまさか自らが負った傷が意識が回復するまでの僅かな間に回復しているとは思っていなかった。

 使われたのは間違いなく上級のポーション、いやこの倦怠感のなさも考えると特上かもしれない。ということはやはり目的は自分の身柄だ、彼女は目の前の男から何かを言われる前に自分の全てを差し出す覚悟を決めていた。

 自ら退路を絶つため、そして自らの覚悟をはっきりと自意識に刻み込むために敢えて尋ねた質問に紅の男は淡々と返した。

「それも悪くないが今回は違う、その回復の魔法だ。それを俺に教えろ」

 聞いていて胸の奥がザワザワするような声だった、未だかつてこんな変な声を聞いたことはない。火事で喉をやられた人でさえもう少ししっかりとした声を出すだろう。目の前の人物は亜人、もしくはそれに類する人物なのだろういうことはわかった。

 だがわかったからなんだというのだ、自らの意思など関係なく目の前の男に碌でもない使われ方をするのは間違いないというのに。

「……教えを乞うにはそれに適した態度というものがあるのではありませんか? 自らを縛

り、仲間ともども命を奪おうとしたあなたに従うとでも?」

 ルルはそう毅然と言い放った。たとえどれだけ自らに酷い仕打ちをするとしても、心までは屈しないと。そんな強情な気持ちに、彼らが生き残ってくれれば……という一縷の希望をこめながら。

 すると鎧の男は何を言っているんだこいつはとでも言いたそうな様子で自分を見つめていた。それを見て彼女は自分の知っている亜人の知識を思い出す。亜人というものは人間とはまったく異なる常識を持つものだ。言語を持ち、文化を持ち、魔法を使いこそするが生活様式や文明の様相は大きく違う。彼らはバカだとか彼らは未開の蛮族だという向きもあるが、実際のところは彼らと人間の立っている場所が違うというだけでその本質な何も変わらないということを。

 例えば亜人の中でも星光教に邪教徒認定をされている黒尾族と呼ばれる種族は子供を産んだ瞬間に妻を殺す。しかしそれは彼らからすれば自らの祖先の英霊達の元へと彼女を向かわせる敬意の表し方であり、決して妻を蔑ろにする男尊女卑の考え方に基づくものではないといったように。

 そんな風に文化衝突と呼ぶのも生温いほどの大小様々な齟齬の生じる異文化の人間なのだ、だがそれと同時彼らは人を思いやり、考えてやれるほどの生き物でもある。

 彼女は誠心誠意訴えた、自分は言うことを聞くから彼らの命を助けて欲しいと。すると目の前の戦士は彼女の言葉を聞き入れた。

 恐らくはここで彼らを逃がせば自分がかなりの危険を被ることになることと、彼らを見逃しても彼にはなんのメリットもないということをはっきりと理解した上で。

 その彼の野蛮な真摯さをルルは好ましく思えた。自分を連れていく人間のことを好意的に思えるはずもないので印象がマシになったという程度のことではあったが、その相手が話の通じない冷血漢ではないということは自分にとり悪いことではないとそう思えた。


 逃げるつもりは元よりなかったが、その思いは男の戦闘を見ているとより強まった。彼は強い、自分達パーティーではまともな手傷一つつけることが出来なかったのも当然かもしれないと感じるほどには。もし私が逃げて下手に敵対させてしまえば彼はルーニーさん達のことを地の果てまで追いかけるかもしれない。そう考え自分が直感的に早まらないようにと書いたメッセージが正しかったことに安堵の息をこぼした。


 一緒にいてわかったことがある、彼は基本的には良い人なのだ。実際拉致同然に人を連れ去っている時点で良いも悪いもないのだが、それでもルルに危害を加えたり、その体を徒に求めたりはしなかった。彼はどうして自分を連れてきたのだろう、その疑問は先へ進み、彼と行動する時間が長くなればなるほどに膨らんでいく。

 彼が自分の家からの追ってではないことは明らかだ、どこの家の者が大事な親族を命の危険のあるダンジョンに同行させるというのか。

 だがだとすれば彼はどうして自分を、ルルはまたゴーレムを一閃で蹴散らす男の背中を見つめる。

 彼には回復薬がある、それも大して彼にとって重要ではない暁の皆にもケチらずに与えられるほどの量が。それならば回復魔法などなくとも探索に支障はないだろう。

 それならどうして? まさか……本当に聖魔法が使いたいからなどという馬鹿げた理由で?

 彼女がありもしないと真っ先に切り捨てていた理由こそが正解だったということを知るのは、ほんの少しあとのことである。


 本来なら複数のパーティーを組んで討伐するようなレッドオーガを一人で大した苦もなく倒し、そして魔法のマジックアイテムを手に入れた、その鑑定をしてみれば世にも珍しい空を駆けることの出来る靴であるという。天馬騎士がペガサスと十年来の相棒になり人馬一体となって初めて出来るようになる空中戦を魔力の消費だけでできてしまうなんてかなりの強力な能力だ。魔物を駆逐し領土の拡大の進む現在ならば王に献上すれば下手をしなくとも貴族に任ぜられるほどには稀少価値のある逸品である。

 レッドオーガを倒してしまったその魔法の強力さと魔法の品の価値に彼女は思わず声をあげて興奮してしまった、別に自分のものになるというわけでもないのに。

 鎧の彼も効果を教えてもらいさぞ驚いたような様子をしていてさもありなんと思うルル。

 しかし彼が驚いたのはその能力ではなく自分が鑑定で能力を見ることが出来たことについてだとわかり、ルルは彼はどこかがおかしいのではないかと思った。

 

 その後食事の時間になった、彼女も昼食時から大分時間が経過していたために空腹であったため彼のご相伴に預かることとなった。

 彼がご飯だといって取り出したのはアイスワイバーンの生肉であった、それはご飯ではないと言いそうになる口を慌てて押さえる。もしかしたら亜人は生肉を食べるのかもしれない、だが昼食の時は塩を振るというシンプルな調理法ではあったが、一応肉を焼いてはいた。あのときはまさかと思いきや尋ねることはしなかったが、まさかアイスワイバーンの生肉にありつけるとはあばら屋で住んでいた幼少期の自分に言っても信じてはもらえないことだろう。下手をすれば田舎の屋敷程度なら変えてしまうものをパクパクと平気な顔で食べるこの男は一体何者なのだろう。

 彼女が考えてみても謎を深まるばかりであった。しかしアイスワイバーンのなんちゃって香草焼きは非常に美味だったのでルルは深く考えるのを止めた。

 鎧の男は不思議な人間だ。遅延機能を持つ目玉が飛び出るほどの収納箱と、見たことも聞いたこともなく、そして鑑定することが出来ないほどの魔法の品で全身を固めることが出来るほどのお金持ちであり、そして他人にアイスワイバーンのブロック肉を食べさせるほどの気前の良さがある。レッドオーガを魔法だけで倒せてしまうほどの腕がありながら鑑定で能力を知ることが出来るということすら知らないという知識のちぐはぐさ。

 普通に優しさや思いやりと言ったものを持ち合わせているように見えるのに、私達のようなパーティーを襲い自分を強引に拐うような強引さもある。

 あべこべで、ちぐはぐで、理解不能だった。悪い人ではないが、良い人でもない。

 だが話を聞いてみると、彼のその訳のわからなさの一端を掴むことが出来た。

 彼は強い者に弱い者が従うのは当然のことと思っている節がある。一体どこの戦闘民族の出身だと思ったが、事実彼はそんなことは当たり前だという態度をとり続けていた。だがそれは必ずしも高圧的で無理矢理言うことをきかせるという意味ではない。彼は強さこそが絶対の摂理だと考えるのと同時、弱いものを守るのは強いものの当然の務めだとも考えているようなのである。なんというか、歪な育ち方をしたのだなと自分も碌な育ち方をしていないルルは少しだけ共感を覚えた。

 逃げても追い付かれるのは明らかだったし、それでルーニー達が酷い目にあっても面白くない。彼に自分を害する気はないようだし、どうやら本当に聖魔法が教わりたいだけのようだ、そして今はついでに鑑定も。

 帰りたいと思うし、なんで私がこんな不運を……とも思うが起きてしまったことは仕方ない。それならば精々教師として優秀であることを見せつけ、彼に恩を売り、下手なことをしないように言い含めれば良いだろう。常識はないし、戦闘狂だし、価値観はおかしいが悪人ではない。自らのパーティーを襲った張本人ではあるのだが、どうやらそれも常識の欠如とおかしな価値観のせいであるようだ。それならば共に生活をし、最大限の利益を教授しながら矯正を手伝おうと根が純粋であるルルは思い付いた。

 女性というものは概して環境への適応能力が高い。周囲の環境を受け入れ、どんな理不尽の中でもしたたかに生きるだけの強さがある。

 ルルもまたそんな女性の例に漏れず、強靭なメンタルを持ち合わせている。

 彼女は彼に魔法を教え、彼の戦いを観戦し、彼から豪華なご飯をタカった。

 最初は奴隷落ちすらも考えていた彼女は、名も無きゴブリンとの迷宮攻略兼魔法講座を楽しみながら行うほどの余裕すらあった。住めば都とは良く言ったもので、大抵のことには慣れるし、慣れれば楽しみだろうと見つけられる。アイスワイバーンだけではなくドラゴンの肉も食事のメニューに加わり彼女はバシバシとゴブリンの腕を叩くようになった。

 迷宮での生活が強要されはするが、最早王公貴族でも味わえないような食材の数々を授業の対価に食べられるのだから文句などなかった。ルルは一週間ほどの生活を終えた時には既にゴブリンと対等に話し、彼に自らを先生と呼ばせるほどにまでなっていた。最初は魔法だけ教えれば良いかと考えていたのだが、彼のあまりの常識のなさにマナーや文字の勉強も並行して開始させることにした。そしてついでにちゃっかりと授業料もせしめた、ルルは根が良いがしっかりと取るべき所は取るだけの図々しさを持ち合わせているのである。幾らでもやると金貨を束にして渡された時は自らの理性と戦いながらもなんとか断った、この時に彼女が悩んでいた時間はマッドドラゴンの肉が焦げてしまうほどに長かった。

 彼女は考えに考えた末、適切だと思える額を毎回授業の度にもらうことにした。

 案外こんな生活も悪くない、というか良いもの食べられるしお金も稼げるのだから良いと言えるかもしれない。食事や水、衣服や装備の提供も確約させたために今や冒険者の頃には出来ていなかった貯蓄すら出来ている。

 未だ名前を教えてくれない優秀なようで抜けている生徒である彼がこのまま魔法を覚えられずにいるなら一緒に地上に出て講師を続けるという選択肢もありかもしれない、ルルはそんな風に考えながら目の前の男の姿を見た。

 決して素顔を晒そうとしない生真面目で融通の利かないバカが、一生懸命に鑑定を発動させようと頑張っているその姿を。

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[気になる点] 「例えば亜人の中でも星光教に邪教徒認定をされている黒尾族と呼ばれる種族は子供を産んだ瞬間に妻を殺す。」とありますが、黒尾族は一度に複数の子どもを産み落とすのでしょうか? 基本的に一度に…
[気になる点] 下手をすれば田舎の屋敷程度なら変えてしまうものをパクパクと平気な顔で食べるこの男は一体何者なのだろう。 変えてでなく買えてではないでしょうか。
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