鑑定の価値
宝箱というものがなんなのか、ゴブリンは誰に言われずともわかっていた。それはダンジョンの魔物が極稀にドロップするレアアイテムの入った箱のことである。
魔物の肉体が変質して生み出されるのか、それとも魔物の持つ肉体と引き換えにダンジョンによって産出されるのかはわからなかったが、その出現の確率はかなり低い。
確定で宝箱がドロップするのは十階層ごとに存在する守護者と呼ばれる魔物を討伐した時とダンジョンの最奥に君臨する迷宮の主(こちらも一応階層守護者の一体ではある)を倒した時だけである。そのため守護者と迷宮の主だけは明らかに別格の強さを誇るため、命の危険を冒してまで先に進もうとする実力者達の奮戦が無い限りは滅多に挑まれることすらない。
人間達が下級、中級、上級と区別をしているのは撃破された迷宮の主が確認出来る場所までの難易度のことを言う。例えば第三十階層の迷宮の主が倒されたことのない状態であれば第二十九階層までの難易度でダンジョンの等級は決定される、その場合ダンジョンの最奥部の難易度というものは考慮に値しないというのが現状の人類の迷宮に対する考え方だった。
ちなみにこの翡翠の迷宮は現在第二十階層のボスの撃破が確認されており、第二十九階層までが踏破されている。しかし第三十階層へ向かい戻ってきた者は未だいないため、第二十九階層までの魔物の強さから中級迷宮であると判断を下されている。
そんな人間側の事情は知らないゴブリンではあるが、今自らの目の前で起こった出来事が非常に珍しいことであるのはわかった。
彼は後ろを振り返り、ようやく我に返ったらしいルルに尋ねる。
「オーガというものはどいつもこいつもアイツのようにタフなのか?」
「そんなことはありません‼ あれは辺境でも滅多に見ないレッドオーガです‼ でなければ宝箱なんかに変わるはずがありません‼」
ヒステリック気味に叫ぶルルが面倒だったゴブリンは、彼女にそれ以上聞くことはやめ宝箱へと歩いていった。罠がある可能性を考えながら剣を使っておっかなびっくり上蓋を開く。
中に入っていたのは木製の靴だった。爪先の部分がとんがり、踵の部分は底が厚くなっているだけで特に染色はされていない。魔力感知を発動させるとそれが魔法の品であることはわかったが、鑑定が使えない彼にはそれ以上のことはわからない。
「お前は鑑定が使えるか?」
「……人並み程度には」
「そうか、ほれ」
宝箱から靴を取り出すとそのうちの一足をうしろにいるルルへと放り投げる、彼女は慌てながらもなんとかそれを受け止めた。
「鑑定…………どうやらこれは天駆のスレイプニルという魔法の品らしいです」
「そうか」
名前がわかっただけでも上等だ、以前ミーナに使ってもらった鑑定ではその物が魔法の品かどうかを判定することが出来る程度のものでしかなかったのだから。
天駆とはつまり天を駆けるということ。天と考えて思い付くのは風魔法だ。もしかしたらこの靴も緑砲女王と同じように風の魔力を吸い込むのかもしれない、ゴブリンは魔力を流し込もうと再び魔力を体内に循環させ始めた。
「効果は……魔力を込めるとそれに応じて空を蹴ることが出来るみたいです‼ かなり強い能力ですよ、これは‼」
「何っ⁉」
思わず循環させていた魔力を止める、鑑定でどんな能力が秘められているのがわかるのか⁉ 靴の能力がわかったことよりもそちらの方が彼には衝撃が大きかった。
「鑑定で一体どんな能力があるのかわかるのか⁉」
「え……ええ、でもある程度の物までに限られますよ? 上級鑑定が使えるわけではありませんから」
彼の剣幕に押されたからかルルの様子は少し引きぎみである。だがそんなことはゴブリンの知ったことではなかった。
鑑定はどうやらかなり多くの情報を得ることが出来る魔法らしい。それなら無理を押してでも習得する必要があるだろう。ミーナはどうやら駆け出し魔法使いだったらしいとここでようやく察したゴブリンではあったが、自分の魔撃の師匠はあくまでミーナであるために中途半端な鑑定をさも自慢げに披露した彼女を恨んだり、彼女への気持ちが変わることはなかった。
「その鑑定は誰でも情報を見ることが出来るようになるのか?」
「光魔法の素養があれば可能ですが……」
「そうか、なら回復の後にそれも教わろう」
「はぁ……」
呆れ顔のルルから靴をひったくり、ゴブリンは今履いている黒い靴を脱いだ。
その能力が使えるかどうかは置いておいて履くつもりではあったが、使える能力だとわかった今彼の感激もひとしおである。
強者から譲り受けたものではなく、自らの力で勝ち取った魔法の品。それはどんな協力な武具よりも魅力的であるように思える。
どうせなら全ての装備を自らの手で揃えたいものだ、と思いながらもその願いがそう簡単に叶うものではないことをすぐに理解する。自らの命を預けることになる装備はしっかりとしたものでなくてはならない。もし自分で手に入れた装備で身を固めるのなら、それら全ては今自分が着けているものよりも高性能であることが望ましい。
果たして自分はそれだけの品々を揃えることが出来るだろうか、そう考えながら彼はもう一度程度なら問題はなかろうと迷宮の探索を再開した。
問題は特になかった、強いて言えば問題がなさすぎるのが問題である。二度目三度目に遭遇したオーガはレッドオーガとは比べるべくもないほどの実力しか持っていない。彼の魔撃に一回は耐えられても、多くとも三回ほどぶちこめば戦闘は終息してしまう。動きはそこそこ素早いが、図体がでかいために魔撃の良い的でしかない。
最初の一撃を魔撃による奇襲で進められるため、探索に支障を来すようなことはなかった。さほど魔力を込めずとも十分であったため、彼はそろそろ回復を教わることにした。
「今から俺がオーガを削る、痛め付けてから体を拘束するからオーガを回復させてくれ」
「それはっ……それは出来ません。回復を魔物にかけるなんてこと」
彼女は滔々と語った。ゴブリンはそのほとんどを聞き流したが、どうやら彼女が回復を魔物にかける気がないらしいということはわかった。人相手にしか回復を使わないと言う彼女の言葉を聞いて、彼は自分のことをある程度は打ち明けるべきかと悩んだ。
自分が人間ではないことを知れば彼女はどうするだろうか、もしかしたら鑑定と回復を教えてくれないかもしれない。
それならどちらも教われなくなる可能性を取るより、まず鑑定を教わってから次のステップとして打ち明け話をすれば良い。
ゴブリンは鑑定を教わろうと心に決めてから、ルルの指示に従い第八階層への階段を目指した。
第八階層への階段へやって来た時には、再び自分が空白になるだけの時間が経過していた。もしかしたら魔法を続けて使ったことも関わっているかもしれないが、それでもそこそこの時間は経過したように思える。
彼は再びアイスワイバーンの肉を取り出した。
「食うか? そろそろ腹が減る頃だろう」
「……いただきます。材料を用意してもらえるのならせめて調理くらいはさせてもらいます」
彼女はそう言うとゴブリンの手から肉をひったくってしまった。そのままフワフワと肉を浮かせ、空に浮かぶ肉を火魔法で加熱していく。おそらく風と火の魔法を同時に使っているのだ、まだ複数の属性の魔撃を同時に使えない彼はそんなことも出来るのかと魔力感知を発動させた。
彼女の右手と左手に異なる性質の魔力が宿っている。体内で魔力を回すところまでは自分がやっているのと大きく変わらないが、どうやら彼女はその循環を複数の経路で行っているらしい。今のゴブリンには彼女が内側で回す小さな循環を右手に、その外側でぐるりと円運動をしている大きな循環が左手に繋がっているのがわかった。理屈はわかった、ならばあとは実践だと彼もその様子を見ながら自分の体内に意識を向けてみるがまったくうまくはいかなかった。
一つ目の循環を安定させ、二つ目のそれに手をつけようとすると一つ目の制御が甘くなりすぐ循環が止まってしまう。魔力のロスを気にせずに無理矢理魔力を循環させ続け、その外に更に魔力を押し込もうとすると二つの魔力が混じり合い、危うく全身の魔力が暴走しかけた。各所が引っ張られるような感覚だった。そのまま放っておけば全身が引きちぎられてしまいそうなほどどんどんと痛みは強くなっていったために彼はしばらくは同時行使の練習は止めようと思った。死なないための魔撃の練習で死んでしまうことほどバカらしいことはない。
「できましたよ、どうぞ」
彼女は綺麗に切り取られた肉をどこから取り出したのか知らない白い皿にのせてこちらに差し出した。ゴブリンは自分の顔を見せるか悩んで、以前ミーナと食事をした際に使用した覆面を使うことにした。
装備の着脱も可能である袋を使い赤い兜を外し、顔を覆う黒い覆面を代わりにつける。その覆面は伸縮性が高いために左手で覆面にスペースを取り、右手でそこへ食事を運ぶことが出来た。彼の食事の様子をルルは奇妙なものでも見るかのような表情で見つめ、そして自分の皿に乗った肉をフォークで突き刺して口に運んだ。
気丈に仲間の助命を嘆願するかと思えば自らを突き刺した短剣に怯える。無口で黙りこくったままでいるかと思えば急にヒステリックに騒ぎ出す。かと思えば今は食事に夢中で自分をここに連れてきた張本人であるゴブリンのことなど大して気にしてすらいない。
わけがわからない、ゴブリンは人間の理解度を深めることの難しさを今一度再確認した。
ミーナも平たい金子に喜んだり魔法を教える時には急にふんぞりかえったりと彼の想像を越えるような動きを幾度もしていたが、ルルと呼ばれる女もそれに負けず劣らずに不可思議である。
こんな不可思議な者同士が何人もの群れとなる人間の社会は一体どれだけ度しがたいものなのだろうか。
「あの、これってもしかしてアイスワイバーンのお肉ですか⁉」
「鑑定して見ればわかるんじゃないか? 俺は気に入ってる」
「あ、そうですね。つい興奮しちゃって……わぁっ、本物だ‼ 前に晩餐会で干し肉を食べた時以来ですよ。生を加熱するとこんな風になるんですね‼ ほとんど筋もないスゴい良い部位なんだろうなぁ、これならそのままステーキにしてもいけたかも……」
ゴブリンは人間のことはわからなかったが、数少ない経験のなかでも確かに一つだけわかることがあった。
人間の女性というものは中々にたくましく、そして美味しい食事には目がない。戦闘では勝てたとしてもそれ以外では自分は彼女達に勝つことは出来ないだろう、ゴブリンはなんとなく本能でそれを嗅ぎとった。