魑魅魍魎
再び海よりも深い溝へやってきた二人、バルパは甘えを捨てるべくピリリから少し距離を取ってから腕を組んだ。情にほだされてはマズい、彼女の中にどこか甘えのようなものが見えている分、自分が一歩引いて調整を図るべきだろう。
威厳ある態度のまま仁王立ちするバルパ、ピリリは少し顔を上向かせながら彼の姿を見つめている。
「今日の目標はピリリ一人でワイバーンを狩ることだ。最初の方はしっかり翼に穴を空けて弱らせてからにするが、徐々に俺が手を加える量を減らしていく」
「うん、わかった。頑張る」
下手に助け船を出さないようにと思っていたバルパだったが、ピリリの面持ちは彼が思っていたよりもずっと真剣だった。やるときはやるあたり、彼女はなんというか生を全うする術を心得ているという感じがする。語尾が伸びていないあたりから、彼女の本気度が窺えた。
バルパはよく考えればピリリは自分より年上なのだから当然だと思い直し、やって来た蜘蛛の下半身と狐の上半身を持つ魔物を手慰みに魔撃で葬った。
魔力感知で単独行動のワイバーンを探し、黙って小走りで駆け始める。するとピリリも心得たもので、何も言わずに黙って彼の後を追い始めた。昨日の時点で半殺し状態のワイバーン二匹までならばなんとかなるようにはなっている。
とりあえず翼を穿ち、少し弱らせた程度のワイバーンあたりにしておこう。目視出来るほどの距離まで近づいてから纏武神鳴を発動、反応できぬままのワイバーンの頭上へ位置取り、踵落としを放った。頭から蹴りを受け急速落下するワイバーンの翼に拳を数発当てて穴を空ける。
翼が傷つけば飛べなくなるのはドラゴン達の共通の特徴だ。一体どういう原理で空を飛ぶ飛ばないの判定が行われているのだろうと考えながらもう一度足を振り上げ、今度は手加減した爪先蹴りで右の翼を九十度折り曲げた。
胴体のダメージはどうするかと考え軽いジャブを気持ち程度に数発入れる。ワイバーンは未だ敵意に満ちていて、元気旺盛だ。手加減攻撃は成功だ、バルパは自分の手際の良さを自画自賛しながら空を駆けて亜竜から距離を取った。さあ、お手並み拝見と行こうか。
バルパは距離を稼ぎつつ、もしもの時は手助け出来る間合いを維持し、ピリリの戦いを見届けることにした。
水色の体色をしたワイバーンが伸縮性に優れ、先端に毒を持つ尻尾で背中のあたりを強かに打ちすえるが、機動力の高いバルパは既に大きく距離を取っている。素早く反転し自らを地に落とした存在が手の届かない場所にいることを理解するワイバーン。その水色の獣は不満げにグルルと喉を鳴らした。
自らの敵は上にしか存在しないと考えていたワイバーンの翼に、新たな痛みがやってくる。すわ新手かと首を動かす亜竜は、自らの翼にかじりつく魔物の存在を確認する。それは小さな昆虫型の魔物だった。自分の攻撃で自らを傷つけることほど愚かなことはないと翼を大きくはためかせて振り払おうとするが、噛み付きの力が強いせいか中々剥がれない。
竜言語魔法を使い虫を風の刃で弾ききると、そのタイミングを狙っていたかのように顔面に攻撃が飛んでくる。
開いていた口の中に大量の土が流し込まれ、それに蓋をするような形で炎が目の前に現れる。
どこからか魔法が放たれたことをすぐに理解し、ブレス攻撃で土を押し出しながら攻撃を相殺させるワイバーン。
普段ならば一度上空へ上がり敵の位置を確認しながら確実に獲物を仕留めるのだが、自分が木々を薙ぎ倒したおかげで少しばかり広い空間こそ出来ているものの、あたりは木に包まれており視界は狭いままだ。
四方八方にブレス攻撃を撒き散らし反応を窺いながら、相変わらず滞空しては地面に降り立ち、そして再び滞空している人間を見据える亜竜。敵の存在は複数で、自分を攻撃しようとしている者はあの人間だけではない。耳を澄まし、対物、対魔の防御壁を張りながらあたりの様子を探り続ける竜。
鳥が鳴き、別の亜竜の鳴き声が鼓膜を震わせ、穴の空いた翼からはポタポタと赤い血が流れ続けていく。緊張というものを感じ取れるわけではない竜は、大して気構えることもなく悠々とあたりを探り続ける。
目を凝らすも、あたりには鬱蒼と繁る木しか見えない。
長い沈黙が続く。もしや敵は去ったのだろうか、そう考え視界を上にあげるとそこには相変わらず飛んだり跳ねたりしながら自分の様子を観察している人間の姿があった。
竜言語魔法を刻み、細かい攻撃を人間めがけて打ち出す。その処理に追われている間にブレス攻撃を叩き込もうという目論みは、人間が拳で魔法を打ち消したのを見て取り止めにした。
自分よりも明らかに強い存在だ、ならばあの生物には関わらないのが吉だろう。
未だいるかもわからない敵のことを熱心に探すのが馬鹿らしくなったワイバーンは、体を翻しながらどこか安全に休息を取れる場所を探すことにした。
幸い目の前にいた強者は竜を追うことはしなかった。自らの水色の肉体の所々に赤色を滲ませながら、ワイバーンは木々を薙ぎ倒しつつ森を開拓していく。
痛みはあるが、自らの傷の治りが早いことはわかっている。時間を置けば今再び飛べるようになるだろう。そう考えながら鬱陶しい木々のない場所を探すうち、亜竜は自らの肉体が徐々に重くなっているのを感じ取っていた。
一体何が……そう考えた時には既に全身には痺れが回り、翼をもがれた蜥蜴はだらしなく舌を垂らしながら地面に倒れこむ。
自分が無様な姿を晒していることも、全身が麻痺していることも、ドラゴンにとっては最早どうでも良いことだった。
今彼の目の前には、先ほど見た小さな魔物と、その昆虫を頭に乗せている一人の人間の姿があった。間違いない、こいつが先ほど自分を攻撃していた敵だ。それを理解し、目の前の存在をしっかりと認識できたからとて、体が意志に基づいて動くわけではない。
人間が口を開く、するとその内側から何匹もの虫が湧き出てくる。明らかに人間よりもサイズの大きな半月形の魔物、人間と虫を足して二で割ったような奇妙な形を取っている魔物。ザリザリと腹部を引き摺りながら紫色の液体をあたり一面に撒き散らすスライムのような魔物。
それは異形の集団だった。そして連帯を持つにはあまりにも異なる彼らを器用に統制しているのは、一人の小柄な人間である。
「よし、これだけ弱ってれば大丈夫。やー‼」
少女の掛け声に従い虫達が一斉にドラゴンへ向かっていく。あるものは空を飛び、あるものは地面を這いずり、またあるものは幾本もある多節の足をわさわさと動かしながら忍び寄っていく。その集団は生態系において頂点に君臨しているはずの竜ですらおののかせるほどに不気味で、おぞましかった。
ワイバーンの肉体はあっというまに魑魅魍魎達に集られてしまい、全身の至る所から噛みちぎられる痛みがやってきた。炎が体内を焼き、焼かれた側から補食される。
土が自らの気道を塞ぎ、喘ぎ震える喉元を小削ぎ取られる。目玉が抉り取られ、食べられる音が自らの耳朶を打つ。最早痛みを感じる段階は越え、ワイバーンは死を待つだけの存在へと変わった。
彼の魔物は虫達に号令を発した少女の声を可愛らしいなどと感じることの出来ぬまま、生きながらにして全身を喰われ続け、そして息を引き取った。




