二つの影が重なって
何かを吐き出すような粘着質な音がバルパの耳朶を打つ、そして常時魔力感知を発動させている彼の探知範囲から三つほど反応が移動した。
ピリリの体に重なるような形で存在している幾つもの反応のうちの三つが移動した、それはつまり彼女が今から自分にその原因を、彼女が隠していた何かを伝えようとしくれているということだ。
彼はレイの言葉を思い出す。
あの時は誰がこんないたいけな少女を泣かせるものかと憤ったものだが、冷静に俯瞰してみると自分は最もやってはいけないことをしてしまっている。というか普通に泣かせてしまっているではないか、そう考えると胸の内に苦い物が込み上げてきた。
「こっち向いても、良いよー」
彼はその言葉にハッとしてから、ゆっくりと軸足に体重をかけていく。そのまま体を回し、とりあえずの葛藤は棚上げしてピリリの方を向く。
「え、えへへ……」
彼女をじっと見つめるが、特に何も変わった様子は見受けられない。彼女自身には変化は見られない、変わっているのは彼女の周りである。
ピリリの周囲を、三匹の昆虫が飛んでいた。魔力感知で反応は確認していたし、羽音は聞こえていたからそうだろうとは思っていたが、やはり実際に見てみるとインパクトがある光景だ。
黄色と黒の斑模様をした鋭利なフォルムの虫ピリリの顔よりも大きいサイズの羽の生えたムカデ、そして最後にまるで小型の人間と昆虫を足して二で割ったかのような奇妙な人型の虫。斑模様の最初の一匹は一般的な人間よりも魔力が少ないが、後ろの二匹は中々の魔力を持っている。そしてその反応は、バルパがピリリに重なるように捉えていたそれと酷似している。
これで彼女の体の中で幾つもの反応が重なっていた理由がわかった。その詳しい方法などはわからないが、仕組みだけ言えばさして難しいことではない。
「体の中に虫を……飼っているんだな」
「う、うんー……」
ピリリの様子はどこか元気なさげで萎れているように見えるが、バルパはそれをフォローしようと考えるほどの余裕がなかった。彼の脳内は今、全く別種の思考によって支配されていたからである。
顎に手を当てながらジッと昆虫を見つめるバルパ。三匹の虫達は仲違いをするでもなく、お互いにある程度の距離を取ったまま宙に浮かんでいる。
「口から出したのか?」
音から虫の出入り口を予想するバルパ。そんな彼の質問に答えるピリリの応答は、どことなく硬質的だ。
「……うん」
「その大きいのは、明らかにピリリの口より大きいが」
「あー……収納箱みたいなものってスースさんが言ってた」
「なるほど……」
つまり彼女は体内に生き物を溜め込むことが出来るということだ。それが虫に限定されているのか、あらゆる生物が対象なのかはわからないが中々に信じがたいことではある。
バルパの無限収納であっても、魔物を生きたまま収納することは出来ない。木を入れることは出来るが、木の魔物であるトレントを入れることは出来ない。
つまりピリリの身体の中にあるらしい収納空間の性質は、部分的には無限収納のそれを超えているということだ。
もしかするとあの体表にある魔力の通った入れ墨がその秘密なのだろうか、バルパのその問いにピリリは頷いた。
ことこの段になり、ようやくバルパは彼女がどことなく元気のない様子であることに気付く。
彼にはピリリがどうしてそんな悲しげな顔をしているのかわからない。
バルパは今、彼にしては珍しく心を動かされていた。自分が求める理想郷の答えの一端が、目の前に現れたために。
「身体の中の虫達は、喧嘩をしたりはしないのか?」
「うん、そういうことはしちゃダメって伝えれば仲良しだよ」
ピリリの身体の中には、まだまだ数多くの反応がある。外に出ている三匹の姿から想像するに、そのどれもが著しく特徴の異なる個体達であるに違いない。
持っている魔力も、見た目も、何もかもが違う彼らが、ピリリの体内という一つの場所で仲違いをすることもなく平和に暮らしている。
お互いに異なる者達が共に暮らしていく。その在り方は正に、バルパの理想そのものだった。
内心の驚きを隠せず、彼女の心まで斟酌するだけのゆとりのないバルパからは、自分が持つべきと考えている余裕が消え失せてしまっていた。
「ご、ごめんね。き、気持ち悪かったよね……ごめんね」
乾いたはずの涙が再びあふれようとしている彼女の瞳の変化に気付かぬまま、バルパはピリリの肩を掴んだ。彼女とジッと目を合わせ、どこか呆けたような表情でバルパはその心のありのままを口にする。
「世界が……」
「……え?」
「世界が、ピリリの身体のようになれば良いのにな」
それはともすれば全く意味の通じないような言葉であり、だからこそピリリはその言葉が、バルパの本心なのだと感じることが出来た。
彼女はバルパのリアクションを何通りかシュミレーションしていた。
だがこんなに意味がわからなくて、それでいて嬉しい言葉がくるなんて想像していなかった。
自分が拒絶されてしまうのではないか、そんな不安を抱えながらもなんとかバルパに全てを打ち明けた。たとえそれで嫌われてしまうのだとしても、自分の全てを彼には知って欲しいと思ったから。
否定される準備は出来ていた、全肯定される準備も出来ていた。だけど、心の奥底に響くような一言が言われるとは、思っていなかった。
ピリリの瞳から、堪えきれずに涙がこぼれる。彼女は泣き顔をバルパに見せたくなくて、彼の鎧に思いきり顔を擦りつけた。
思いやりから心の籠っていない言葉をもらうより、そんなことはどうでも良いことだと一蹴されるのでもなく、ただ彼の心のありのままで、自分のことを誉めてくれたことが嬉しかった。
その言葉はぶっきらぼうで、要点を得なくて、未だ幼いピリリは全てを理解することは出来なかった。
だが彼女にも、バルパがこんな自分のことを本心から誉めてくれていることはわかった。
ごめんなさいじゃなくて、ありがとう。
さっき口にした言葉を訂正しようとするけれど、口から漏れるのは嗚咽ばかりで言葉は出てこない。
「結局また、泣かせてしまったな」
バルパがピリリの背中をそっと撫で、ポンポンと叩く。その優しい感触に、またピリリは涙を流す。
二人がそっと抱き合うと、彼らの頭上に大きな月が光った。
月光が二人の影を木々へと伸ばし、二つの影が一つに重なっていく。
ピリリが泣き止むまでは、こうしているのも悪くない。
バルパはただただ、彼女の背中を優しく撫でた。




