ドラゴンの受難
人間からは魔物の領域と呼ばれ、亜人側からは海よりも深い溝と呼ばれる場所は人が住むには厳しく、魔物が住むことすら難しい環境である。
そこでは強さだけが唯一の価値観であり、魔物達は日々の餌を求めそこかしこをうろついている。様々な魔物がある一定の地域だけを徘徊し、自らの領分を越えようとしないその性質は、どこかダンジョンに出てくる魔物と似ていた。だが地下に広がり、細々と人間が来る程度しか干渉を受けないダンジョンとは異なり、この地域にはいかなるものにも好き勝手に手出しを行う存在がいた。
旋回機動でグルグルと空を回転したかと思えば縦に立体機動を行い意味があるかもわかない動作を取る。そして何をしていようとも誰からも叱られることのないこの領域においての絶対強者、それこそがドラゴンである。
彼らは傲り昂りながら今日もまた狩りに精を出す。愉悦六割、食料調達二割、虐殺への快楽二割というおよそまともとは思えない目的のために。
自らの縄張りはここら一帯全てであるという自負を持つとあるドラゴンが、周囲を飛ぼうとしていたワイバーン達を牽制しつつ優雅に空を飛んでいる。
その全身は白銀の鱗に染まっており、威嚇の声はたおやかな女性のそれように流麗そのものだ。白銀竜、プラチナドラゴンと呼ばれるその魔物はどちらかと言えばネームドに近いエレメントドラゴンであった。
そもそも亜竜、エレメント、ネームド、真竜という区別に実際のところ明確な境界線などない。ただ弱くて見た目が空飛ぶ蜥蜴であれば亜竜、冒険者ではちょっと手が付けられない程度の強さがあればエレメントドラゴン、騎士団総出でも厳しいかもしれないほど強ければネームドドラゴン、人間界でも指折りの猛者ですらようやく相手になるかどうかというのが真竜。大体の区別などこの程度で、これもまた迷宮の級等別分類と同じく近頃は形骸化しつつある系統分類の一つである。
自らが人間達には下から二番目とカテゴライズされているという屈辱的な事実など知らないプラチナドラゴンはその身に陽光を浴び、鱗とその白い瞳孔で光をキラキラと反射させながら今日の獲物となる存在の姿を探していた。
ある程度は戦い甲斐があり、かつ旨いような存在が好ましい。白銀竜は喉を震わせ、作音楽器のチューニングのような音を発しながらあたりを見渡した。
遥か先に見下ろせる山に生えている木々の葉の葉脈までをはっきり見て取れる視力による索敵が、集団同士で行われている戦闘の一部始終を捉えた。
まず一方、空に陣取り優位を保っているはずのワイバーン達。彼らは無惨に翼を折られ、消し飛ばされ地面へ墜落しながら情けない声をあげている。未だ無事である片翼でなんとか着陸しようとしているワイバーン達の頭部が吹っ飛び、爪が剥がれ、あるものは原型を無くすほどに炭化してさえいる。
ワイバーンをここまで鎧袖一触に出来るとは、もしかしたら今彼らと戦っている相手は自分の餌足りうる存在なのではないだろうか。そう思い、ワイバーン達を殺し尽くした魔法が出てきた方向を覗く。そこにいるのは数人の人間だった。
プラチナドラゴンはたとえ戦うのが人間であったとしても決して油断することはない。彼の竜は時として、人間が竜ですら及ばない力を持つことを知っているのである。
もしかしたら自分も負けてしまうかもしれない。最悪の事態を想定しつつ観察を続けるドラゴン。相手は見える限りで五人。そしてその中でワイバーン達を焼き尽くしていた存在は一人。残りの四人はその魔法使いが魔法を発動させるまでの時間を稼ぐための要員なのだろう。それならば先にあの女を殺してから、残る四人を潰してしまえばいい。
竜は沈黙し、出来るだけ気取られないように上空を行きながら、人間達の真上に位置取った。太陽と自分の位置が重なることもあり、これで視認もしづらいはずだ。ドラゴンはピタッと一瞬だけ静止すると、次の瞬間に体を九十度回し頭を地面へ向けた。そのまま垂直に落下を始め、一瞬のうちに自らの出来る最高速度を叩き出す。
竜言語魔法による身体強化と、強引に風で速度をあげても壊れないだけの耐久性の高い体を持つ竜だからこそ出来る加速である。
竜は視線の先に魔法使いを捉えながら、大きく息を吸った。そして魔力を籠めた息を吐き出す。人間がブレス攻撃と呼ばれているその吐息は、人間達にとっては奇襲となり、それを食らえばある程度は陣形が乱れるだろう。そんな竜の思惑は、魔法使いの後ろにいた青い女の魔法によって阻まれた。
人間達を覆うように展開された膜のような魔力がドラゴンのブレスを防ぐように出現した。薄ぼんやりとしたオレンジ色の光は緻密に処理の編み込まれた銀細工のように細かい魔力の帯で組まれた魔法だ。人間が出したその魔法はドラゴンのブレスを自らの展開された範囲の外へと流していき、周囲の木々に散らばった光が飛んでいった。
人間の女が発動させた魔法は未だ一つの傷もなく鎮座している。自分の自慢の一撃が破られたことに若干の驚きを覚えるドラゴンではあったが、その速度を緩めることはない。
下手に臆して自分の本来の実力が発揮できないことをこそ、ドラゴンは恐れた。
竜は狩りに全力を尽くさない、なぜなら大抵の場合その必要性がまるでないからだ。だが今この瞬間、プラチナドラゴンは目の前の人間達相手に自分の全力を尽くしてあたる必要があることを認めた。
更に速度を上げ、周囲に竜言語魔法で作った各属性の攻撃を展開していく。
もはや今の竜に油断はない。グングンと距離を詰めていくい竜の行動を見ても人間達は慌てる様子の一つも見せない。
ドラゴンはそのことを不思議に思い……そして自分の視界が急に反転したことに気付く。
一体何が起こったのだろうと自分の下半身を見つめ……そして声にならない声をあげる。
首から下の体が、なくなっている。いや、というよりはむしろ自分の首だけが、飛んで……。
未だ名すら持たぬプラチナドラゴンはその日、自分の真の実力を発揮することのないままその竜生に終わりを告げた。




