原点回帰
世界には数多くの未踏のダンジョンが存在する。あまりにも大きすぎるために人海戦術でも踏破が不可能であるダンジョンであったり、それがあまりにも辺鄙な土地に有りすぎるせいでまともに攻略されたことのないダンジョンだったりとその理由にも様々あるが、その未だ踏み荒らされていないものに自らの足跡をつけるというのはいつの時代であっても冒険者の憧れだ。綺麗なものを好きなように壊せる感覚が気持ちいいというのは、残虐な子供時代の行動の数々からも明らかだ。
未知を既知へと変え、手前の勝手に穢れ無き場所を踏み荒らす。そんなダンジョンからすれば傍迷惑で、本人からすれば至上の喜びであることを自分の好きなように出来るのが、実力のある冒険者なのである。
海よりも深い溝にも勿論幾つもの未踏ダンジョンが存在する。その中の一つ、未だ名付けられてこそいないがその存在が知れ渡れば人間達が押し寄せるであろう場所の地下深くを、一人の男が悠々と歩いていた。
「ふんふん、ふふーん」
茶色い髪は、まるで無理矢理引きちぎりでもしたかのように一本一本の長さがバラバラで髪型という言葉に喧嘩を売っているかのように適当に短く切られている。
右頬に縦に残っている大きな傷痕は白く変色しており、その本来の褐色の肌のせいかとても良く目立っている。
だが彼の見た目でもっとも特徴的なところはそれらではなかった、その男にはそんな少々の違和感を消し去るような特大級のポイントがあったのである。
その男は、その体に薄衣一枚すら羽織っていないのだ。つまり全裸、素っ裸なのである。十六個に割れた腹筋と全身の至るところに最早一つの隙間もないほどについている傷跡、そして例外的に傷の一つもついていない背中。何も隠すものがないために、色々と丸見えだが彼にはそんなことを気にしている様子はない。
彼の視界の先には一体のドラゴンが飛んでいた。分類としてはネームドとして識別されるイエロースケールドラゴンは、目の前の茶色い存在と自分との明確な力量差を理解してか脇目も振らずに空を飛び逃げようとする。
しかし世間の柵の全てから解放されでもしたかのように悠々自適に空を飛んでいる彼には敵わなかった、全裸の変態に追われながら自らの死期を悟るドラゴンには哀愁を感じずにはいられない。
彼……ヴァンスは空を飛び竜の進路を先回りし、その頬に軽くジャブを放った。その一撃でドラゴンは息絶え、吹っ飛んでいきそうになる体に収納箱を触れさせて無理矢理中に詰め込む。
「うーん、自由って素晴らしい」
ヴァンスは全身に衣一枚つけてはいなかったが、彼は足と首筋にアクセサリーを巻き付けていた。筋骨隆々の全裸の大男がアクセサリーだけをつけているその様子は、一歩間違わなくとも犯罪的である。
ヴァンスは自らの身体能力と魔力の上限を下げる呪いの品を身につけながらも相変わらずの強さを誇っていた。ギチギチに能力を制限せずともある程度の実力を振るえる場所というものは探そうとして探せるものではない。
一番強くともエレメントドラゴン程度の相手しかいない魔物の領域で殺しすぎないように気を付けて舐めプをするくらいなら、もういっそこのままここで生活したら良いんじゃねぇかな。ヴァンスは一度地面に降り立ってから収納箱から先ほど殺したドラゴンを取り出し、手刀で腹の鱗を突き破った。そのままブロックになるように肉を切り出し、死体を収納箱の中に入れ直して肉だけを手元に残す。
取れたてほやほやでまともに血抜きすらしていないドラゴン肉に、彼は思いきりかぶり付いた。顔よりもデカい肉をむしゃむしゃと食らううちに顔中が血で真っ赤に染まっていく。生きていた物を食べているということを実感として感じられるために、ヴァンスは生肉を食うのが嫌いではなかった。調理するのも面倒だし、っつうか俺なら腹も壊さないしと物臭を遺憾なく発揮しているため、彼がダンジョンに入ってからの食事はほとんど生肉である。
モグモグと血生臭い肉を食い、水を流し込んで鉄の味を喉の奥に追いやってから一息つくヴァンス。あたりの草原からは生き物の気配がまるで感じられない。本来ならば自分の制空圏をこれでもかと主張するドラゴン達の姿も空には見えない。ヴァンスが乱獲をしすぎたせいで彼らは縮こまって集団行動を取るようになっていた。
「うーん……ここもそろそろ潮時だな、次行くか次」
ヴァンスが一々面倒なので自分が進んでいる階層を数えてもいなかったが、かなり奥深くまでやってきていることは彼にもわかっていた。
この愉悦が早々終わってしまわないように一階層一階層を味わいながら進んでいるために進みはそれほど早くはないが、それでも数十階は踏破している気がした。
ドラゴンはネームドまで、悪魔は公爵級まで、それ以外の魔物はまぁAランク上位でも苦戦しそうなくらいの実力。ヴァンスがうさを晴らしながらプチプチと潰していくのにはとても適度な強さを持つ彼らは、その生物としての高い格を踏みにじられながら無惨に死んでいった。
最早今の世界に、ヴァンスとまともに戦える存在はほとんどいない。いないことはないし、喧嘩を売れば戦うことの出来る相手にも心当たりはある。だが戦うとしてもまず自分は周囲の諸々を無惨に殺されてからのことになるだろうし、そもそもその男とヴァンスとでは相性が悪すぎて戦闘が終わるより周囲の国が何国か更地になる方が先になるだろう。
だからこそヴァンスは戦闘意欲を発散させる機会に飢えながら日々を過ごしている。良い大人ではあるが彼もまた強さを欲する男であり、女遊びに精を出すだけのチャランポランではないのだ。
ヴァンスはもう何度目かになるかもわからない階段下りを行おうとした際、視線の先にある転移水晶を見てその足を止めた。
「……うーん、やっぱ一回帰った方がいい気がすんなぁ」
正確に日数を数えるなどという男らしからぬ行為はしていなかったために正確な時間経過は把握できてはいないが、それでも確実に食事を百回以上は摂っている。数日飲まず食わずでも動ける自分が百回食事休憩を取っているということは……
「あれ、もしかして結構時間とか経ってる感じ?」
彼の独り言に答えるかのように風が音を発しながらヴァンスを通りすぎていく。
なんか最近独り言増えてきたし、これって普通に不味くね? ヴァンスはダンジョンに籠ってから大分経った今になって焦りを感じ始めてきた。
帰ったら間違いなくスースにどやされる。だけど今帰らなかったらもっとどやされることになる。帰るだけならすぐ出来るんだし、下手に強情張るより一回戻った方が良いか。
ヴァンスは階下へ向かおうとする足を止め、階段の中部の壁面に埋め込まれている転移水晶に触れた。
右手に生暖かい感触を感じながら、ヴァンスは首を捻る。
事態解決のために動き始めたっつうのに、なーんか大事なことを忘れているような気が……。そんな風に何か言葉に出来ないもどかしさのようなものを感じながら、地上階層へ転移する。
そして目の前に広がっている生活痕を見て、ヴァンスは頷いてから手をポンと叩いた。
「なるほど、そういえばバルパのことすっかり忘れてたわ」
ヴァンスは自分と同じ日数ダンジョンに籠っているであろう弟子を探しに、第一階層への階段を下ってみることにした。……その肉体美を惜しげもなく晒した、産まれたままの状態で。




