襲来
名も無きゴブリンは節操無しに戦いたがる戦闘狂ではない、しかし彼には未だ自分の存在に気付かずにいる人間達を見逃すつもりは毛頭なかった。
ミーナは自らの魔撃の先生であるために害するつもりはない、しかしそれはあくまでミーナに限った話である。自分が他とは違うゴブリンであるのと同様、ミーナは自分にとって他とは違う人間だというだけだ。それは人間を殺さないということではないし、いずれは自分が狙われるであろうことがわかっているために少しでもはやいうちに人間とは戦った方が良い。ミーナ以外の人間と出会ったのはこれが初であり、この次に人と遭えるのがいつになるかはわからない。
魔力感知を常時発動させるのは骨であったが、相手の情報を得ることの大切さを理解するゴブリンは惜しがらずに魔力を目と耳に留めさせた。
人間の数は四人。両手剣を持つ重鎧の男が一人、片手剣と盾を持つ革鎧の男が一人、胸当てとグリーブを着けただけで防具はほとんど無く、腰にいくつかの短剣を差している女が一人。そして紫色のローブを目深に被る性別不明の人間が一人と妙な格好の服を着た女が一人。
最後の女以外は服装から大体の役割が理解できた。
男二人は前衛、一人は大振りで相手に強烈な一撃を入れもう一人が牽制をして後衛からの注意を逸らす。身軽そうな女は短剣を投擲したり時には前衛をしたりする中衛だろう。
そしてローブを着た女は間違いなく後衛、魔法を使い必殺の一撃を入れる火力要員だ。
最後の一人の役割がはっきりとはわからないが、あまり防御力の高そうな服を着ていないことから考えると後衛なようだし恐らくは魔法使いだろう。
魔法使い二人と戦士二人、それからその間で両方を援護する中衛が一人。中々バランスの良いパーティーだ。
戦うとすればどうするか、すぐに思い付いたのは二つ。まず一つ目は後衛を魔撃で殺す。そして後方からの支援がなくなった三人を一人ずつ潰していくこと。こちらのメリットは後衛に奇襲ぎみの一撃を与えればまず間違いなく致命傷に近い一撃を与えられるということ。だが最初の一撃を勘や魔力感知で見切られた場合相手に手傷を負わすことが出来なくなる可能性が生じてしまう。
そして二つ目は雷、もしくは火の魔撃で全体を攻撃し彼らに等しくダメージを与えること。これのメリットは前衛に攻撃を潰される可能性がなく、確実に攻撃を当てられるという点である。
どちらかにしようかと考えたが迷った結果ゴブリンはこう考えることにした。
わざわざ一つを選ばずとも良いではないか、と。
「いやぁ、リーダーが連れ合い馬車の待ち合わせ時間に遅刻した時はマジで殺そうかと思ったけどこれがこれでアリだよ」
「だろ? 狙って寝坊したからな」
「はい嘘、リーダーは嘘つくの下手くそ過ぎ」
「バレたか」
D級冒険者パーティー暁は数少ないミルドの街に残るパーティーのうちの一つである、男二人に女三人という比較的珍しい構成のパーティーは、リーダーの適当さに相反する極々堅実な戦い方をする五人組だった。斥候が一人に魔法使いが一人、僧侶が一人に前衛が二人。回復や状態異常解除を行える聖魔法使いがいるというのはDランクにしては非常に珍しい。 回復が使えればわざわざ切った張ったの世界に身を投じずに済むにもかかわらず戦場に身を置きたがる酔狂な人間などそうはいない。パーティーが回復役を捕まえられる確率など、それだけで宝くじの一等に当選したに等しい。僧侶であるルルを抱えることが出来たこの暁は、周りから羨まれるほどに運が良かったのである。
「はぁいみなさん、ご飯が出来ましたよ」
ピッチリと全身を包む青の修道衣の上に銀糸で十字架の編み込まれた白の貫頭衣をつけているルルはその垂れ目がちな瞳を少しだけ細めながらゆったりとした口調で声を出した。
カエルの肉と葉野菜をぶちこみ塩を入れただけの簡素な鍋であっても、腹が減っていればそれは金貨一枚出しても惜しくないほどのご馳走だ。
四人の腹ペコ達は砂糖にむらがる蟻のように鍋へと近付いていった。
「そんなに急がなくてもご飯は逃げませんよ」
ルルが木製の器に鍋の中身をよそっていくのをパーティーリーダーであるルーナーは寂しげな顔で見つめていた。そしてそんな彼の顔を横から二人の男女が覗き見ている。
(あれさあれさ、どういう憂いの顔かな?)
(んなもん決まってるでしょ、あれは俺なんかの雑魚パーティーにいてもらうのは申し訳ないって顔だ)
紫ローブの魔法使いスージーと背中に盾を背負う片手剣の戦士トゥンガはヒソヒソと囁き合っている。鍋を囲む場所でのヒソヒソ話など筒抜けになりそうなものだが、スージーは器用に防音の魔法を使いながら話しているためにその声が残る三人に聞こえることはない。
(リーダーも鈍感だよねぇ、ルルがわざわざあたしらみたいな二流パーティーにいる理由なんて決まってるのに)
(もしかして、とは考えてるけどそんなわけが……って心の中で否定してるって感じじゃないかな。ルルとリーダーじゃどっからどう考えても釣り合わないし)
(聖魔法がバリバリ使える二十歳の色白美人と身体中傷だらけで万年Dランクの四十手前のおっさんじゃさもあらんって感じだよねぇ)
(二人とも悪趣味だよ、リーダーとルルが完全に自分の世界に入ってなけりゃバレてるよ絶対)
その二人の恋バナに混じってきた女性は、一撃もらってしまえば吹っ飛んでしまいそうな紙装甲のピリルである。盗賊の耳の良さを遺憾無く発揮した彼女は話に華を咲かせる二人の真ん中に分けいって二人の会話に割り込んだ。
(平気だって、一応念のために風魔法で音飛ばしてるし)
(アンタは、無駄に魔力使うのは止めとけとあれほど……)
(へーきへーき、魔力回復薬もしっかり持ってるし)
(ま、そうカリカリしないでよピリル。スージーは今までずっと一緒だったリーダーが取られそうになって妬いてるだけなんだから)
(なっ⁉ そんなわけないでしょ⁉ 私はただこのままあの二人が上手くいかなかったらパーティー崩壊の危機になっちゃうから仕方なく……)
(はいはいわかったって、スージー偉い偉い)
(バカにするなこのキザ男ぉ‼)
リーダーのルーニーがルルをじっと見つめている、そしてルルはそんな彼の素振りには気づかぬままチラチラと彼のことを覗き見ている。どこからどう見ても両思いである二人をスージーはイライラとした顔で見ている。彼女の嫉妬はだれから見ても明らかだったが、そんな彼女をどこか優しい目で見ているトゥンガはポーカーフェイスを貫いていた。
(そんな風に裏表のない君のことが……なんて、上手く言えたら良いのにな。ひねた僕から見れば、真っ直ぐな君はいつも眩しくて……二人がくっついて失恋してくれたら僕にもチャンスが……っていけないな、他人の不幸、それも好きな人の不幸を望もうとするなんて)
トゥンガの恋心はスージーの方を向いている。誰よりも嘘の上手さには自信のある彼は自分がスージーのことを好きであることを隠しおおせていると思っているが、人を鈍感だと野次る彼であっても自らが受けている好意には疎い。
(うぅ、またトゥンガがスージーに優しい目をしてるぅ……ルルとリーダーがこのまま友達以上恋人未満のままでいてくれたなら私にもまだチャンスが……)
斥候であるピリルが誰よりもトゥンガを見ていることを彼はわかっていなかった。
スージーがルーニーを、トゥンガがスージーを、そしてピリルがトゥンガをと複雑な矢印を描くパーティーは、今日も絶妙なバランスの上で成り立っていた。
食事を終え一息吐き、体を動かして調整を始める五人からは先ほどまでの色ボケた様子は微塵も感じ取れない。戦闘となれば気持ちを切り替える、それは冒険者にとっては当たり前の資質の一つだった。
彼らは他のパーティーとは違い、休憩の度に地上階層まで戻ることを良しとはしていなかった。一々休憩ごとに迷宮を出ていれば緊張の糸は切れてしまうし、気が緩んでしまうのも避けられない。そのため彼らは食事と夜営を迷宮のなかで行い、適度な緊張感を保つよう心がけていた。
斥候のピリルが短剣を壁目掛けて投げる、狙いを過たず四本の白刃は四角形の四隅を思わせる形で刺さった。うんと頷き短剣を回収、そのまま段差を二段飛ばしでかけ上がり息を吐く。腹もこなれ眠気も飛んできた。辺りを見回すと仲間達も各々に集中力を高めているようで、自分の動きに気付いているものもいなかった。
(……なんやかんや良いパーティーだよね、私達)
リーダーは寝坊するような駄目男だし、ルルは彼を甘やかしてしまうし、二人を見るスージーは自分の気持ちに気付いているのかはわからないがうんうんと唸るし、そんな彼女を見るトゥンガの目は優しいし、自分の恋は実りそうにはないけれど、ピリルはそれでも自分のパーティーが好きだった。実力は一流とは言えない。良くて二流、実際のところは三流の上澄み程度。冒険者稼業でお金は稼げるけれど、それは適齢期を越えてから余生を静かに暮らせるってほどの額じゃない。
だけど今この時を自分達は誰よりも楽しんでいたし、自分達が世界で一番人生を謳歌しているという自信があった。
どうかこのまま、何事もなくパーティーを解散せずに何年も過ごしたい。そんな不可能に近い願いを胸に秘めてピリルは首を回した。
「そろそろ行こう‼ せっかくあと半月は私達がここを独占できるんだから‼」
ピリルの言葉に従い、皆が顔を上げ立ち上がった。
(うん、大丈夫。私、ううん……私達なら……っ⁉)
全員で第六階層へと向かおうとした瞬間、彼女の背中に寒気が走った。それは斥候を長年続け危機察知能力を高めた彼女だからこそ気づけた違和感のようなもの。
ピリルは急いで振り返り後ろにいるルルに叫んだ。
「ルル‼」
「サンクチュアリ‼」
ルルは彼女の発言の意図を即座に汲み取り聖魔法サンクチュアリを発動させる、暁全体を白銀の壁が包み込んだ。魔を断絶しあらゆる魔法攻撃を減衰させる結界であるサンクチュアリ、詠唱を省略して放たれたそれは十全の効力を発揮することはなかったがそれでも着弾に至るまでの僅かな時間を稼ぐことは出来た。彼女が術式を展開させると同時、紫の雷が後衛の二人目掛けてやって来た。バチバチと音を鳴らす紫電は結界と衝突し、そして一瞬の後に食い破る。二度目のサンクチュアリを発動させようとしたルルに雷が走る。彼女は詠唱を続けることが出来ずに倒れこむ。そのすぐ隣にいたスージーも雷を受けるが、魔法抵抗のあるローブがある程度攻撃を和らげてくれたために詠唱を中断することはなかった。
「猛き焔、健やかな炎。世界に吹き荒ぶ華厳を祓え。ファイアウォール‼」
彼女の前に炎の壁が広がる。背丈よりも遥かに高いその炎の壁が防御の機能を発揮するのを見届ける間もなく前衛の二人が後衛を庇うように前に出た。
「ルル、大丈夫⁉ ルル‼」
ピリルは倒れたルルを抱え後退、全身を痙攣させる彼女の口のなかに無理矢理万能薬を入れようとし、出来なかったために自分の口に入れた。そのまま丸薬を噛み砕き、ペースト状にしてから彼女に口を付けて直接流し込む。喉の奥まで震えている彼女の口の中になんとか薬をねじ込むとルルはパチリと目を開いた。
「ファストヒール」
自分の体に回復をかけ立ち上がるルル、ルルを助けることでいっぱいだったピリルは眼前で展開される戦闘にようやく目を向けることが出来た。
自分達を襲ってきたのは間違いなく人間だ、そもそもこの場所に魔物は入ってこれないのだから。その推測通り現在ルーニーとトゥンガ相手に切り結んでいるのは鎧を着た男だった。赤い鎧を身に纏うその男は右手には今にも芯が折れそうな茶色い剣を持ち、左腕にそれとは対照的にまるで一度も使われたことがないかのように光沢を放つ盾を構えていた。
以前は盗賊紛いのかなりきわどい非公式依頼を受けていた彼女は、その依頼の中で幾度か業物というものを見たことがある。鍛え抜かれた武器というものは人を殺すためのものであるにも関わらず美しささえ放ってみせる。宝物というものに造形の深い彼女はそのことをこの場所にいる誰よりも知っていた。
「……嘘だろ、なんで……」
口からこぼれ出たのは自らの不運を、そして世界の不条理さを嘆くヒステリックな金切り声だった。
現状を嘆くくらいならば戦いに混じるべきであることは百も承知だったが、残念ながら剣が縦横無尽に張り巡らされているあの剣の結界とでも言うべき場所に入るだけの技量が自分にないことは彼女自身がよく理解していた。だから出来ることは隙を伺うことだけだ、どこかに自分が手助けをする余地はないかと目を光らせることしか今の彼女には出来ない。
「……なんで魔法の品を持つ奴が私達を襲うんだ‼」
自分達は何か金になるものを秘匿している訳でもない、法律に触れるようなこともここしばらくはしていない。それなのに、それなのにどうしてあんなに強そうな人間が自分を襲うのだ。油断なく投げナイフを構えながらも彼女の脳内には疑問符が渦巻く。
今まで自分に見せたことのない本気で赤い鎧相手に互角の戦いを見せている自らのリーダーと、それに従い補助をするかのように以心伝心で動くトゥンガ。形勢は互角に見えた。
そして現在回復したルルと彼女に癒されているスージーが戦線に復帰すれば選曲は有利に運ぶはずだ。
現在戦況が自分達の有利に進んでいることを理解しても、ピリルの心の憂いが晴れることはなかった。何か言葉にならない不安のようなものが彼女の心を襲う。もし勝てば相手の魔法の品を奪えるはずだというのに喜びは湧いてこない。
まるで鮮血に染められたかのように赤い鎧を纏うその不気味な男を睨みながら、彼女はナイフにこめる力をギリリと強めた。




