どうにでもなれ
目をぱちくりさせるティビーとピリリをよそに、スースは唇に手をやりながら伏し目がちに俯いた。
「人体構造自体を刻印の対象に入れているみたいだから生皮だけでも使えるのかは、剥いで試してみないとわからないけど……それでも生きてる人間に処理するなら問題は無いはずさ。幾何的な素養や紋章の造詣が大して深くなくても……染色用のセーヌの花に魔物の血でも混ぜこんで体に彫っちまえば劣化版くらいなら作れるはず」
ティビーは咄嗟に商人的思考で彼女の言葉の意味を考えることにした。
只でさえそこそこの値が張り、壊れれば買い換える必要のある収納箱の機能を人間が使えるようになるとすれば一体どうなるだろうか。
まず第一に奴隷が荷物持ちになるだろう、そして主は奴隷を魔法の品として扱うようになるわけだから奴隷の地位は向上するに違いない。
次に平民や兵士階級が貯蓄を切り崩して刺青を入れるだろう。持てるものが増えるということは、どんな立場の人間であれ嬉しいものだ。貴族や王族は面子を保って入れない人間の方が多いだろうが、中には実利を重視し全身に赤と青の刺繍を入れる物も出てくるだろう。
皆が持てる物が増えるならどうなるだろう。いまいち想像はつきにくかったが、とりあえず現状で人口の二割に収納箱が配られたと仮定して考えてみることにした。
市民が持つ物と言えば食料だろう、飢餓が起きたときの備蓄をなんとしてでも行おうとするはずだ。皆が食料を買い求めれば当然食料品の値段は高騰する。インフレが起こり下手をすれば飢餓のために全員が備えることで飢餓が発生してしまうという間抜けなことになってしまうだろう。
治安面での不安も増えるだろう。収納箱が誰にでも手に入るものになれば、窃盗や殺人の件数は確実に上昇する。物品や死体をを隠してしまえばどうとでも言い逃れが出来てしまうからだ。
勿論悪いことばかりではない。亜人達側からすれば堪ったものではないだろうが、収納箱が容易に手に入るのなら冒険者や騎士団の動きは間違いなく活発化する。
一番マズいのはこの収納箱の刺青が魔物の領域から出てきた恐らく初の実用的な技術であるということだ。大して深くまで潜っていた訳でもない冒険者程度がこれほどのものを持ってきた。ならば一体その奥まで行けばどれだけのものが手に入るのだろうか。実際にあるかどうかに関係なく欲深い人間たちは更に深部を目指していくはずだ。
亜人、人間問わず奴隷はどんどんと増えていくだろう。そして奴隷商界隈は賑わいを増し、自分の安穏とした生活は更に脅かさせることとなるだろう。
自分にダメージが入るというその一点において、ティビーは顧客のプライベートを投げ売ることに決めた。何よりも自分が大事、そのためならば客の情報くらい安いものである。
先ほどまでと180度方向転換をしながらティビーは自室で待機させていたミランを呼び出し、帳簿と顧客リストを明け渡した。それから自分の記憶を頼りにここ数日で見た顔を挙げていき、可能性を潰していく。
スースは目を瞑り黙って彼の話を聞いており、何が理由かはわからなかったが小さく頷いた。どうやら大事にならなそうでほっと胸を撫で下ろすティビーはピリリが珍しく口をヘの字に曲げているのを発見する。
「取りあえず問題はない……ことを祈ろう。えっとあんた、名前は……」
「ピリリ、って言います」
「そうかいピリリ、あんたはもう絶対外に出ちゃいけない。少なくともバルパが帰ってくるまではダメだ、わかったね?」
「…………」
いつもなら直ぐにわかったと言うはずなのに、今日のピリリは珍しく強情を張っている。自分が渦中に半ばほど足を突っ込んでいることは聡い彼女なら気付いているはずなのに、どうしてか頷こうとはしなかった。
「あ、あの……」
「なんだい、言いたいことがあるならはっきり言いな」
「わ、たし……強くなりたいです」
「そりゃあ弱くなりたい人間なんていないんだから、当たり前のことだね」
「わた、しは……」
何やらモジモジと指と指を絡ませながら逡巡している様子のピリリ。ティビーには彼女が、何らかの覚悟を決めているように見えた。
「わたしは……」
「私たちを、鍛えて欲しいのです」
ピリリの言葉に被せるように会話を繋いだのは、沈黙を保ったまま様子を伺っていたレイだった。
「天使族の嬢ちゃん、あんたは自分がどんだけヤバいか理解してるかい?」
「はい、私は人間に正体がバレれば死ぬまで檻の中にいることは間違いありません。ですがリスクを負ってでも、今はあなたに縋りたいと考えています」
ティビーは必死になって自分の口を押さえ込んだ、両手で強引に押さえ込んだ唇の隙間から声にならない声が上がる。
(て、天使族⁉ 天使族って言いましたか今っ⁉)
天使族、それは亜人絶対皆殺しを教義にしている星光教の人間が唯一人間との共存を認めている種族だ。
神が遣わした御遣いだの神の力を授かった人間だのという宗教的な解釈はティビーにはあまり興味のないことだったが、唯一の例外という点は非常に彼の興味を引いた。
なんでもエルフに負けず劣らずの美男美女で、心に邪さを一切持たぬ穢れ無き存在という噂は広がってはいたが、その稀少価値が高すぎるために未だ見た人間などほとんどいない。大抵の人間はそんなものはお伽噺に出てくる架空の生物だと信じている、そんなどこか現実味のない存在だ。
(バルパさん、あなたレイは人間って言ってたじゃないですか……正直腕輪を着けてる時点で嫌な予感はしてましたけど……)
ティビーはバルパの種族ガバガバチェックに憤りを覚えながら地団駄を踏んだ。だが一周回って逆にどうでも良いじゃないかと開き直ることにした。
なぁに大したことはない。自分一人が極刑だったのが一族朗党皆殺しになっただけじゃないか。ティビーはわけのわからないポジティブさを発揮させ無理矢理嫌な気持ちを吹き飛ばす。
彼に緊張した面持ちでタオルを差し出してくるミランの髪をそっと透くと、気持ちがどうにかこうにか落ち着いてきた。
ティビーは最早自分が泥沼に全身をズブズブに浸して窒息しかけているという現状から目を逸らすために、目の前で展開されている女性同士の話に耳を傾けた。




