急がば回れ
手頃な大きさの岩に座り、バルパは周囲に魔物の姿がないか見回した。魔力感知を掻い潜ってくるような物がいるかもしれない、自分が負傷する可能性が高いこの状況では念には念を入れたかったからだ。
あたりの草むらと木々の隙間に猪が、そして空に自分を睥倪するドラゴンがいないことを確認してから浮かせぎみだった腰をしっかりと下ろす。
先ほどのヴァンスの魔法の吸収というべきか、逆流というべきかわからないあの技の仕組みはそれほど難しいものではない。要は魔力を出してから力業で引っ込めるだけの非常にシンプルなものでしかない。だが余計な行程を挟まない分、その皺寄せが直に体にやってくるらしい。
バルパはいつでもポーションを飲めるように、岩の上に丸薬タイプのそれを置いてからまずは一度試してみることにした。なんにせよ、実践してみないことには掴めないだろう。怪我や奇襲の心配をするのなら一度地上階層に戻った方が賢明なのは明らかだったが、たらしい技を試したいという好奇心がその思慮を取っ払った。エレメントならば最悪逃げることは出来るだろう。遮蔽物の多いこの階層ならば階段のある場所まで戻ることはそう難しくはないはずだ。それにヴァンスが好き勝手暴れていったせいで周囲からは嘘のように生き物の気配が消えている。試すなら今だ、バルパは目をつぶりもう一度先ほどの光景を思い出した。
あまり魔力を使う必要はないだろう、最初から冒険心を出しても良いことはない。ほんの少し、ギリギリ魔撃を使えるかどうかというほどの魔力を取り出し、体内で循環させていく。
右手の先から解放するイメージで魔力を放出し、変質させる。変わりかけている魔力を……と考えたところで、魔力は火の玉になって向かいにある木へと飛んでいってしまった。
放出、変質はほとんど同じタイミングで行われるものだ。放出する瞬間にどのように魔法を発動したいかと考えるのだから当然のことである。そして変質の行程が終わるとすぐに魔力は魔撃となって形作られてしまう。恐らく魔撃となって飛んでいってしまうタイミングで吸収をしようとしてももう遅いのだろう。放出とほとんど同時に行われる変質、が始まったら直ぐに体の中に通そうとしなければなるまい。
バルパはもう一度だと今度はゆっくりと魔撃を形作ってみることにした。だがそもそも攻撃か撹乱に使う魔撃をわざわざゆっくり撃とうとした経験など彼にはない。即興でやろうとしても中々上手くいかず、普通に出すときよりほんの少し遅いと感じられなくもないという程度の速度で飛んでいった雷が木のうろを少しだけ焦がした。
「……これは長丁場になりそうだな」
やろうとしていることも、やらなければならないことも単純なはずなのだが、かなり時間がかかることははっきりとわかった。
魔法の吸収、取り込みという新しい技術をスムーズに発動させるためには、これまた新しい技術である魔撃の遅滞発動を行えるようにならなければならない。新しい技術を得るために新しい技術を獲得しなければいけないというのは、中々に紆遠なように思える。
だが幾らなんでも速度に特化した練習を重ね続け、無理に魔力循環を高速化させ迅雷という技まで編み出したバルパである。魔撃を今の速度のまま取り込むことが現実的なようには彼には思えなかったし、実際並大抵の努力で出来ることではないだろうと確信を持てた。
それならばまず遅滞発動、次にそれを取り込む練習と段階を踏んだ方が、結果として時間短縮になるだろう。急ぐために敢えて遠まわりに見える道を行く、バルパは急がば回れの精神でこの新たな技術に取り組むことにした。
それにはこのいつ襲われるともわからない環境は邪魔でしかない。
バルパは腰を据えて新技術に取り組むために、地上階層への道を戻り始めた。
途中一体群れずに飛んでいる亜竜が居たので、ボロ剣を一閃して首と胴体を泣き別れさせてやった。散々煮え湯を飲まされ続けたドラゴンを殺すのは、いくらランクとしては最低の亜竜であったとしても中々の快感だった。
ボロ剣なしでドラゴンを倒せるようになれば、自分は武器に使われるのではなく武器を使えるようになるだろうか。
勇者スウィフトやヴァンスのような頂へ、自分も登りつめることが出来るだろうか。
そうすればもう、命も全ても、自分と自分を取り巻く全てのものを奪われずに済むだけの強さを得られるだろうか。
強くなるための方法が目の前に転がっているというのは中々に得難い体験だと、バルパは鼻から息を出しながら小さく笑った。
人間の社会に来て自分は、学ぶことを覚えた。安全な場所でじっくりしっかりと学ぼうとしているあたり、ただひたすらに戦闘と同時に魔撃を鍛えようと躍起になっていた少し前までとは変わっている自覚がある。
人間の生活に毒されてきたのかもしれない。少なくとも以前の自分なら、奴隷は適当に面倒見の良さそうな主をティビーに見繕ってもらい売り払っていたはずだ。だが今の自分は彼女たちを抱え込み、あまつさえ故郷に帰してやろうとさえ思っている。それは強くなるためには明らかに遠回りな選択で、強くなろうとしているはずの自分の考えと乖離している。 自分は強くなったが、その分だけどこか弱くなってしまったのかもしれない。人間のように強くなろうと考え、人間の思考を学び、その結果強くなるという本筋の目的からズレた行動を取ることが増えたというのは、本末転倒な感じがしないでもない。
守るものが増えてしまった、ミーナ、奴隷の娘達、それから……どうしてか自分を追ってきたらしいルル。
人間と共に、人間社会で生きていくことは中々ままならないものだ。鬱陶しいことも多いし、思い通りにいくことよりもそうはならないことの方が多い。
だと言うのにどうしてだろうか。バルパは以前よりももっと、もっと強くなりたいとその欲求はドンドンと強くなっているのを理解していた。そして最適で最高の効率で魔物を倒し続けていた場合よりも、今の方が強くなるためには適切であることもなんとなく理解出来ていた。
以前は守ろうとする力が、人間の強さの原動力なのではないかと考えていた。
だがもしかしたら、それだけではないのかもしれない。
このままならなさともどかしさ、それに伴う渇望や願い。
今の魔撃吸収と同じだ、そう彼は天啓を受けた。
一見遠回りのように段階を踏むことが、結果として一番の近道になっている。これもまた、人間の強さの一つなのだ。
バルパは自分に言い聞かせる。最短ばかり選んで生き急ぐよりも近い道がどこかにあるのなら、自分はもっともっと学び、先見の明を持たなくてはならない。
学ぼう、ドラゴンを一撃のもとに葬り去るのための技術を。
バルパは亜竜の死体を無限収納にしまいこんでから、地上階層への道を駆けていった。




