女の戦争 1
祝福の宿り木亭という何の変哲もない宿屋の二階、階段を上ってすぐの所にある部屋はもう長い期間、とある少女によって借りられている一室だった。
布を巻き付けただけの簡素な木造ベッドの上で小柄な少女が膝を抱えている。元々大きくはない体を更に縮こまらせ、その少女……ミーナは今日も自室で頭を抱えていた。
「……はぁ……」
最近溜め息を吐くのが癖になっている、彼女はそれを自覚しながらも吐息を出すことを止められない。その原因は二つある。まず第一に、明らかに自分を小馬鹿にしているエルフの奴隷ウィリスの挑発に毎度毎度乗ってしまっていること。そして第二に、結局自分はまた碌にバルパの役に立てていないということだ。
第一の点も改善すべきポイントではあるが、それはそこまで重要なものではない。すぐに喧嘩腰になってしまう癖は直さなければとは思っているが、舐められないようにするという点では間違ってはいないとも思っているからだ。
今彼女が気落ちしているその主な原因はやはり二つ目だ。バルパに対してはどうしても劣等感と申し訳なさを感じずにはいられない。
自分なりの頑張りは、自分なりに認められる水準にはある。だがそれはあくまでもついこないだ冒険者になったばかりの少女から見れば十分というだけであって、ドラゴンを殺せるようなゴブリンから見れば明らかに足りていない。魔物と戦う中で魔力の通し方は以前よりずっとマシになった、戦いながらどこで魔力を集中して使うべきで、どこで節約すべきなのかも感覚で掴めるようになってきた。今の自分ならベテランの、それこそCランク冒険者パーティーにでも入れば八面六臂の活躍が出来るに違いない。以前ならこれだけ強くなればもうしばらくは食いっぱぐれる心配はないと喜んでいただろうが、残念ながら今の彼女にとっては不満の残る結果でしかない。
「はぁ…………」
再び、今度は先ほどよりも少しだけ長い溜め息。
駄目だ、まだだ、全然足りない。実力が上がれば上がるほど、戦えるようになればなるほどに自分とバルパとの間にそびえる壁の高さが自覚できてしまう。見えるようになった景色があるからこそ、その先の見たくもないものが見えてしまうようになることもある。ミーナは自分がバルパと肩を並べて戦うビジョンが見えなかった。
自分が駆け足で強くなっても、彼はそれを上回るペースで疾走してしまう。追い付いたかと思ったら、自分が周回遅れでそう見えていただけだということがわかってしまう。
自分には魔力しかないのに、その利点を活かそうにも彼の魔力回復速度が高いためにどうにも長所を活かせていない。魔力の減りと回復をトータルで見てしめばそんなことなど些細な問題でしかないし、今回は使わなかった魔力回復ポーションを使うようになれば問題はほとんどなくなってしまう。
どうすれば彼の役に立てるだろう、からどうすれば役立たずにならずに済むだろうへ。そしてどうやっても役に立てないんじゃないか……と考えていけばいくほど意見が暗くネガティブになっていく。
どうすれば良いか、という問題への回答はなんとなく見えてはいる。問題解決の糸口となるのはやはり魔力量だ。強力な魔物に勝てば勝つほど魔力は増える。魔力量が増えれば、魔法で出来ることも増える。今はまだ、魔力の基本的な習熟という基礎も基礎な教えしか受けていないため碌に使える魔法は増えてはいない。だが修行が次の段階へ進めば、きっと新しい魔法を教えてもらえるだろう。
魔力が増えていけば、強力な魔法が撃てるようになる。核撃魔法や広域殲滅魔法なんていう眉唾なものにだっていつかは手が届くようになるかもしれない。
そのために今やらなくちゃいけないことは、やはり基礎の反復だ。魔力の循環が滑らかになればなるほど魔法が出るまでのラグも、魔法それ自体の威力も上がる。同じことを繰り返すのは正直退屈だが、その先にしか答えがないのならば我慢しなくちゃダメだ。
ミーナは自分に言い聞かせ、そっと目を瞑る。爪先から膝へ、膝から腿へ、腿から上体へ、左半身で魔力を上昇させていき、今度は右半身で魔力を下降させていく。
何周かしたら、逆回転に。それも終われば、今度は選んだ部位に集中的に魔力を集め、部分的に高速で循環させる。
魔力の扱いの習熟に終わりなどないというのは、彼女の師匠役を引き受けてくれたスースの言葉である。魔力の使い方を学べば学ぶほどその言葉の正しさが身に染みてくる。
上達は自分では理解できないが、それでも以前と比べれば体の魔力の通りは良くなっているはずだ。
「…………ふぅっ」
数分も全身に魔力を張り巡らせると、ドッと疲れが押し寄せてくる。魔法を使うときのように数秒集中するのとは違った、言わば体の芯からやってくる疲れのようなものがミーナの体を襲う。心地よい疲労感というよりかは何か重しを乗せられたような異物感と形容した方が正しいように思えるその感覚は相変わらず気持ちの良いものではなかったが、ベッドに倒れこみ横になれば、達成感と心地好さへと脳内変換されていく。
自分なりに一歩ずつ、いやちょっと無理して二歩ずつ進もう。バルパが走り続けられるのは、彼が今までにたくさんの強力な魔物を倒してきた経験による所が大きい。
だから自分がやるべきことは、到底敵わないような魔物を倒せるだけの地力を付けること。しっかりと土台が出来上がっていれば、あとは加速度的に強くなっていける。
心地よく微睡んでいたミーナは、コンコンとノックの音を聞き目を覚ました。自分はどうやら眠ってしまっていたらしい、そしてなにやら来客があるようだ。
誰だろう、スースが帰ってきたのだろうか? ミーナは朦朧としている意識の中、なんとか頭を回す。
「む…………誰だぁ?」
若干寝ぼけ眼になりながらベッドから起き上がり、ドアノブを握った。目を左手で擦りながらドアを開き、来訪者の姿を確認する。そこには一人の女性が居た。
「…………」
黙って自分を見つめている彼女は、シスターか何かのように見える。ボディラインがわかる青色の神官服を着た彼女は知らない顔だった。少なくともミーナには全く見覚えのない人間だ、一体何のために自分に会いに来たのだろうか。
「……誰だあんた、用がないならさっさと……」
続きの言葉を発することは出来なかった。目の前の女が、彼女の頬を思いきりひっぱたいたからだ。パァンと乾いた音がなる。
ミーナは意識を覚醒させた。いきなり顔を叩かれて、目が覚めないはずだない。
そんな彼女に厳しい視線を向けながら神官服の女、ルルが言う。その声音からは、隠しきれない怒りが感じ取れた。
「あなた、バルパさんの邪魔しかしてないんですよ。今すぐ消えてくれませんか?」
ミーナはその言葉を聞き、顔を強張らせた。




