里の外から見る景色は 3
少なくとも意識を保っている間は乱暴をされるようなことはなかった。だが霞む意識の中では碌に貞操を気にすることも出来ない。もしかしたら何かをされたのかもしれないし、あるいは何もされていなかったのかもしれない。
ウィリスは体を動かすのも億劫なほどに体調を悪化させていった。なんとか首を回して状況を確認しようとすれば、そこには人間とその奴隷が見えている。
彼女は他の奴隷のことは視界にいれようともしなかったが、自分を見る人間達の瞳ははっきりと見ていた。そしてその中に潜んでいる悪意を感じ取り、体調をより一層悪化させた。
太った男の物を見るような視線が痛かった。自分を意思のあるエルフだと微塵も思っていない獣のように見る眼鏡の細身の男の視線が辛かった。
冒険者の男達から下卑た視線を向けられるのには耐えられたが、太った男と痩せぎすの中年男の向ける自分を道端の石ころか何かのように見ていることには耐えられそうにない。
ウィリスは人に連れられ馬車に乗り、かすかに揺れている天井をみながら、回らない頭の中で必死に考えていた。
どうしてこんなことになってしまったんだろう……決まってる、私がバカだったからだ。お父さんとお母さんの忠告を無視して、自分ならどこでだって生きていけるって愚直に信じて、そしてそんななんの根拠もない自信のせいで死にかけている。
(……ああ、そうか。私、死ぬんだ……)
死というものを受け入れる準備が、彼女には出来ていた。自分がいけないことをしたその罰なのだと考えれば、当然の報いとさえ思える。
死が近づいていることそれ自体は、それほど嫌ではなかった。これから本当に奴隷として扱われるのなら、今死んだ方が幸福なのは間違いない。少なくとも物として扱われる生が楽しいと感じるほどに、彼女の精神構造は特異ではなかった。
死ねば楽になれる、そんなある種の悟りを開いたウィリスには馬車を見渡すだけの余裕が出来た。気付けば最初は自分一人だったはずの奴隷が、今は自分を含めて四人にまで増えている。
一人は自分と同様に寝込んでいる小柄な女、おそらくはドワーフ。そういえば彼女を尋問するかどうかなんて話を人間がしていた気がする。彼女は元気そうだから、尋問は平和に終わったか、もしくは高価な薬でも使って傷を治したのだろう。
そして二人目は背中に羽の生えた黒髪の少女。年は自分より少し上くらいで、その美貌は子憎たらしいほどに優れている。容姿端麗で通っているエルフの中で生きてきた自分でも美しいと思えるのだから彼女は間違いなく天使族だ。それほど美人で、かつ羽が生えた他の種族がいてたまるものか。彼女は元気に人間に尻尾を振っていた。自分を使い潰そうとする相手によく笑顔を振り撒けるものだ、自分には絶対にそんなことは出来ない。ウィリスは天使族の女の強かさに舌を巻いた。
最後の四人目の奴隷は、全身に刺青を入れた少女だった。見たところ変わったところはないから、人間に近い亜人か、あるいは人間なのだろう。話を聞けば、どうやら人間らしいことがわかった。
彼女は恐らく物としての価値が低いのだろうということは、人間の様子を見ればすぐにわかった。碌にご飯ももらえず、肋に骨の浮き出る痩せすぎた体。そして全身は泥まみれで、身体中には至るところに傷が出来ている。いかがわしいことをするには余りにも幼すぎるせいか、彼女への扱いの悪さは暴力となって表れていた。
同族相手にもそんなことをするなんて、人間という生き物はどこまで穢れているのだ。ウィリスはこの首輪が無ければ、いや痛みなどどうなっても構わないから力を発揮するための世界樹さえ有ればと思わずにはいられなかった。
人間の少女、ピリリはどういう仕組みかはわからないが傷の治りが異様に早かった。どれだけ擦過傷がついていても、次の日にはツルツルとした卵肌に戻っている。
そんな子を見て、人間達の彼女への扱いが更に酷くなったのは言うまでもないだろう。
(殺してやる、絶対に)
ピリリの泣き声と、それを聞いて笑う人間達の汚い声を聞き、ウィリスの心は決まった。無理矢理力をひり出して、それで死んでも構わない。チャンスを見計らって、あいつらを一人でも多く殺そう。
この時既にウィリスは、一日のうち半分近い時間を寝て過ごすようになった。体調の悪化はドワーフの少女ヴォーネも同様で、二人の売値が下がると思ったのか人間が急いで帰ろうとしているのは非常に滑稽だった。
馬車の揺れが少し大きくなり、休憩の時間が減るようになったことで結果的にピリリへの暴力は減った。冒険者達は外で歩かせている以上、馬車の中にいる人間は奴隷商人と彼女を奴隷にした人間の二人だけだった。
二人の目と耳を掻い潜り、奴隷達だけで話し合う時間を持つようになった。
ヴォーネは死にたくない死にたくないと嘆くばかりで、お話にならなかった。ピリリはあんなに暴力を振るわれていたのにどこかあっけらかんとしていて、どうにも気が抜ける少女だった。だから必然、ウィリスが話すのは天使族の少女レイに絞られた。
彼女とは色々な話をした。自分が話したいと思っていた天使族とこんな形で話すことになるとは思いもよらなかったが、願いの一つが叶ったのは悪くはないと思えた。
どうやら彼女は人間における宗教において重要な扱いを受ける生物に形が似ているため、奴隷とは思えぬほどの待遇を受けているらしいとわかった。その宗教の助祭という上の立場の人間があの痩せた男らしい。その男経由でなんとか自分達の扱いを少しでも良くして貰えるよう頼んでみるとレイは言ったが、ウィリスはそんなこと出来るはずないとその意見を一蹴した。レイ自身無理なことだとわかっていたからか、反論をすることはなかった。
それ以外にも色々な話をした。レイに自分は服を脱がされ健康状態を把握された以外はなにもされていなかったと教えて貰ったときには、ほんの少しだけ泣いてしまった。
あくまでも彼女にとってのほんの少しであり、客観的に見れば大泣きと変わらなかったのために二人の男に気付かれた。だが幸いにもその光景を見た助祭が感動したためにウィリスのうるさい泣き声は不問になった。
ウィリスは寝る時間が日に日に長くなっていくのを実感していたが、その心は常に機会を逃さぬように研ぎ澄ませたままだ。
死んでもしょうがないような事をした自分が命を使う場所を、彼女はただひたすらに待ち望んでいた。
ある日、今までただの一度も襲撃に遭ったことがなかった馬車が揺れた。ウィリスは完全に意識を失っていたため、攻撃を受けたことさえ気付いていなかった。
わざわざ命を使わずとも、自分が殺そうとしていた人間はドラゴンに焼かれてしまった。それを知ることになるのは、意識を覚ましてすぐの事だった。
急に体のだるさが取れ、元気が戻ってきたウィリスが覚醒したとき、彼女の目の前には全身を鎧で覆った奇妙な男が立っていた。




